ここから本文です。
「よこはま彩発見」紙面連載バックナンバー(2025年分)
最終更新日 2025年2月1日
「広報よこはま」紙面連載のバックナンバーをお届け
海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ横浜。この街の彩りを連載でお届けしている「よこはま彩発見」。2023(令和5)年1月号から「広報よこはま」紙面に連載し、さらに詳しい情報をウェブサイトに掲載しています。ここでは紙面の過去の連載(2025年)分を再掲しています。また、ウェブの掲載内容は各月記事の右下「さらに詳しい話」のリンク先をご参照ください。
2025年2月号 写真で見る都市横浜の河川運河
新吉田川(護岸工事完成後)横浜都市発展記念館蔵(佐藤鷇旧蔵写真)
横浜都市発展記念館 調査研究員 松本 和樹
近年、親水空間として、都市河川が注目されています。横浜では、大岡川(南区ほか)や石崎川(西区)に整備されたプロムナードが、人びとの憩いの場となっています。こうした都市河川は、横浜でどのように形成され、どのような歴史をたどったのでしょうか。現在は埋め立てられて大通り公園(中・南区)として整備されている、吉田川・新吉田川に注目してみてみましょう。
写真は新吉田川の長島橋※1付近を撮影したものです。新吉田川は1896(明治29)年に開削されました。明治時代、吉田新田側の市街地化が進んだ横浜では、河川の整備・開削も行われ、自然河川の大岡川とともに河川運河網を形成しました。
その後、横浜の河川運河は、関東大震災で護岸や橋梁に被害を受け、国や横浜市による復興工事が進められます。その様子を伝えるのがこの写真です。画面中央の長島橋には、復興工事で設けられた意匠を施した親柱※2を確認できます。護岸はコンクリート製の擁壁となり、両岸には舟運のための物揚場も整備されました。写真は、河川運河が輸送網として活用されていたことを示しています。
その後、吉田川・新吉田川は市営地下鉄の建設工事で埋め立てられ、地上は大通り公園として整備されます。長島橋も姿を消しますが、橋名板は吉田川・新吉田川の痕跡を伝えるレリーフとして、現在も伊勢佐木長者町駅で保存されています。
※1 現在の伊勢佐木長者町駅と阪東橋駅の中間付近 ※2 橋の両端に設けられる大きく太い柱
企画展 運河で生きる ~都市を支えた横浜の“河川運河”(外部サイト)~(有料)
【会場】横浜都市発展記念館 【期間】4月13日(日)まで
【交通】みなとみらい線「日本大通り」駅下車、徒歩すぐ
【問合せ】横浜都市発展記念館(外部サイト) Tel:045-663-2424 Fax:045-663-2453
2025年1月号 横浜中華街の風物
横浜華僑女性の婚礼衣装 1940年頃(廣東會舘倶樂部寄贈・横浜ユーラシア文化館蔵)
横浜ユーラシア文化館副館長 伊藤 泉美
横浜はお正月が二度やってくる華やいだ街です。新暦の正月と旧暦の正月「春節」です。古くは、1913(大正2)年の横浜のガイドブックに横浜の年中行事の一つとして「中華民国正月」が紹介されています。現在は「横浜春節祭」として、中華街にとどまらず、横浜を挙げて行われる早春の一大イベントとなっています。夏には旧暦6月24日に行われる関帝誕があります。関帝誕は横浜関帝廟の主神・関羽の誕生日を祝う祭事です。横浜関帝廟の歴史も古く、幕末の開港間もない頃に小さな祠が創られたのが始まりです。以来、関東大震災、横浜大空襲、そして1986(昭和61)年元旦の火事を乗り越え、現在は第4代関帝廟が街と人びとを守っています。
中華街から歩いて数分の距離にあり、「横浜で世界とつながる」をコンセプトとした博物館が横浜ユーラシア文化館です。ユーラシア地域のさまざまな民族の歴史や文物を紹介するとともに、国際都市横浜ならではの、この街に息づく多様な文化を紹介しています。常設展示室では横浜華僑の婚礼衣装や、中華街の東西南北の牌楼(門)に関係する漢王朝の時代の瓦当拓本※も展示しています。横浜中華街にお越しの際は、横浜ユーラシア文化館まで足を伸ばしてみませんか?
※軒先部分の屋根瓦に墨をあて、刻まれた模様を紙に写し取ったもの
横浜ユーラシア文化館(有料)
【交通】みなとみらい線「日本大通り」駅下車、すぐ。JR・市営地下鉄「関内」駅下車、徒歩10分。
【休館日】月曜(祝日の場合は翌平日)、12月28日~1月3日ほか
【問合せ】横浜ユーラシア文化館(外部サイト) Tel:045-663-2424 Fax:045-663-2453
このページへのお問合せ
政策経営局シティプロモーション推進室広報課
電話:045-671-2331
電話:045-671-2331
ファクス:045-661-2351
メールアドレス:ss-koho@city.yokohama.lg.jp
ページID:595-312-111