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2023年9月号 横浜市民の関東大震災―八木熊次郎(彩霞)の記録を中心に―

 海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ横浜。この街の彩りを「よこはま彩発見」としてお届けします。 今回はちょうど100年前に発生した関東大震災と横浜市民の被災体験についてです。

最終更新日 2023年10月3日

「広報よこはま」2023年9月号「よこはま彩発見」の掲載内容はリンク先をご覧ください。

特別展「関東大震災100年 大災害を生き抜いて―横浜市民の被災体験―」

 横浜都市発展記念館 主任調査研究員 吉田 律人

 1923(大正12)年9月1日、神奈川県を震源とするマグニチュード7.9の大正関東地震が発生しました。横浜市は激しい揺れに襲われ、市街中心部では多くの建物が倒潰(とうかい)、さらに289ヵ所から発生した火災は強風に煽られて急速に燃え広がっていきます。横浜市内の犠牲者数は推定2万6623人、当時の人口が約44万人だった点を考えると、およそ17人に1人が亡くなった計算となります。そうした大災害を生き抜いた横浜市民は、日記や回想録、スケッチなどに当時の様子を残していきました。
 現在の中区、元街小学校の教師であった八木熊次郎(彩霞)もその一人です。午前11時58分、元町5丁目の理髪店で地震に遭遇した熊次郎は、『大正十二年九月一日 関東大震災日記』に「遠雷のやうな響きがしたと思ふと間なしに烈しく上下震動が起った」と、地震発生時の様子を記したほか、スケッチブックにも描いています。熊次郎は両手で鴨居と柱をつかみながら、揺れを耐えましたが、我慢できず、裏口から外へ飛び出しました。その直後、理髪店は倒潰します。そして熊次郎の目に飛び込んできたのは、破壊された元町と負傷した被災者の姿でした。今回は当時の市民が残した記録から横浜の関東大震災を追っていきます。
 
1 八木熊次郎が描いた地震発生時の状況

 1923(大正12)年9月 八木彩霞画『大正十二年九月 関東地方大震災画録』八木洋美家文書 横浜開港資料館保管

八木熊次郎が描いた地震発生時の状況


 9月1日午前11時58分、理髪店で被災した際の八木熊次郎の状況。熊次郎は理髪店の女将の勧めもあり、奥の茶の間で昼食を食べようとしたところ、激しい揺れに襲われた。熊次郎の描いたスケッチからは倒れる棚や左右に大きく振れる電灯、落下する食器などが確認できる。理髪店の女将は子どもを背負って外へ逃れたが、熊次郎は室内にとどまった。壁土が雨のように次々と落下し、熊次郎の視界を遮ったという。

 
2 地震発生直後の元町

1923(大正12)年9月 八木彩霞画『大正十二年九月 関東地方大震災画録』八木洋美家文書 横浜開港資料館保管

地震発生直後の元町


 屋外へ逃れた八木熊次郎は転びながらも横浜市電の軌道上に避難した。間一髪、理髪店は軌道の反対方向に倒れた。なおも震動は続き、電柱は倒れ、建物と建物はぶつかり合って潰れていった。熊次郎は日記に「壁土が蒙々と立ち昇って太陽は赤銅色に変し、夕暮の様な暗さになった。地面がボンボンと音を立てて電光状に裂ける」と記している。熊次郎は倒潰した建物や散乱した瓦、曲った軌道、負傷者の姿などをスケッチに描いた。

 
3 救助活動を行う八木熊次郎

1923(大正12)年9月 八木彩霞画『大正十二年九月 関東地方大震災画録』八木洋美家文書 横浜開港資料館保管

救助活動を行う八木熊次郎


 倒潰した理髪店では、数人が建物の下敷きとなっていた。八木熊次郎は周囲に対し、大声で「諸君、誰人か私に助力して下さるまいか」と訴えたが、人びとは自らの生命を守ることで一生懸命だった。元町は混乱状況にあった。そのため熊次郎は1人で救助活動にむかい、建物の中で無事だった老人の協力を得て、なんとか3人を救助したが、火災が近づいてきたため、柱に挟まった人を残して退避せざるを得なかった。この時、3つの方向から炎が迫りつつあった。

 
4 焼き払われた元町と西之橋

1923(大正12)年9月2日午前 岡本三郎撮影 横浜開港資料館所蔵

 地震発生翌日の元町の状況。ちょうど八木熊次郎が被災した理髪店の位置から西之橋を撮影している。火災によって元町一帯は焼き払われてしまった。理髪店の周囲も焼けたトタンや瓦のみとなっている。西之橋のトラスの部分は無事だったが、橋桁や橋板は焼け落ちてしまった。横浜市街地は僅か1日で焼け野原となったが、石炭や石油の貯蔵施設は燃え続けた。炎に囲まれた熊次郎は、山手トンネルの方向へと逃れていった。

焼き払われた元町と西之橋

 
5 山手の丘から関内方面を望む

1923(大正12)年9月 中野春之助撮影 横浜都市発展記念館所蔵

 山手トンネルの直上、元街小学校付近から関内方面を望む。外壁のみとなった開港記念横浜会館【1】や横浜中央電話局新庁舎【2】などが確認できる。写真の左端には、中村川と派大岡川の合流点【3】があり、そこから右側、横浜港へむけて掘川が通っている。堀川上流から電車専用橋、西之橋【4】が架かっており、右端には壊れた旧内田造船鉄工所(山下町113番地)【5】がある。トンネルを抜けた熊次郎は丘を登り、勤務先の元街小学校をめざしていった。

山手の丘から関内方面を望む

 6 『大正十二年九月一日 関東大震災日記』前編・続編

大正期 八木洋美家文書 横浜開港資料館保管

『大正十二年九月一日 関東大震災日記』前編・続編


 地震発生の前日から1924(大正13)年1月15日に発生した丹沢地震(M7.3)までの様子を綴った日記(体験記)。表紙には「罹災者 八木熊次郎」とある。前編では、元町での被災から自宅(青木町上反町)へ逃れる過程、被災地の混乱状況、秩序の回復、郷里の愛媛県松山市へ帰郷するまでの経緯が詳細に記されている。また、後編では、松山市長岩崎一高や愛媛県知事宮崎通之助との救援交渉の内容が記録されている。

 現在開催中の特別展「関東大震災100年 大災害を生き抜いて―横浜市民の被災体験―(外部サイト)」では、市民の残した記録から横浜の関東大震災を再現しています。今から100年前に横浜を襲った大災害の様子を広く知っていただき、防災意識を高めていただければ幸いです。

横浜開港資料館・横浜都市発展記念館合同特別展「関東大震災100年 大災害を生き抜いて―横浜市民の被災体験―」

会期    2023(令和5)年8月26日 (土曜日) ~2023(令和5)年12月3日 (日曜日) ※

休館日:月曜日(ただし、祝日の場合は開館し翌火曜を休館)

開館時間  9:30~17:00(入館は16:30まで)
会場    横浜開港資料館 企画展示室 横浜市中区日本大通3
      (みなとみらい線「日本大通り」駅下車 徒歩2分、JR「関内」駅(南口)・市営地下鉄「関内」駅から徒歩約15分)
観覧料ほか リンク先(外部サイト)でご確認ください。

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招待券・絵葉書

 応募受付は終了し、当選者に10月3日(火曜日)に賞品を発送しました。ご応募ありがとうございました。
 いつも『広報よこはま』・「よこはま彩発見」をご覧いただき、ありがとうございます。感想をお寄せいただいた方の中から抽選で、震災100年特別展の招待券2枚とオリジナル絵葉書1枚をセットにして5名様にプレゼントします。ご希望の方は、次の6項目※を明記し、郵便はがき(〒231-0005 横浜市中区本町6-50-10 横浜市役所政策局広報課 あて)又は電子メール(ss-saihakken@city.yokohama.jp)でご応募ください。締切は2023年 10月2日(月曜日) 必着です。
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 なお、当選者の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。また、いただいた個人情報は、賞品の発送以外の目的には使用しません。

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