よこはま彩発見
2025年12月号
<読者プレゼントあり>

海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ都市横浜。この街の彩りを「よこはま彩発見」としてお届けします。今回は、横浜市歴史博物館(都筑区)からです。 広報よこはま2025年12月号に紙面掲載した「よこはま彩発見」の内容は、「よこはま彩発見」紙面連載バックナンバー(2025年分)をご覧ください。

企画展「ほうじょうげんあん
―横浜・小机城と関東の戦国―」

横浜市歴史博物館
 主任学芸員 阿諏訪青美


伝・北条氏信使用の甲冑 個人蔵 小田原城天守閣保管・写真提供

■北条幻庵の人物像

北条幻庵は、戦国大名・北条氏の初代であるそうずいほうじょうそううん)の四男として、16世紀初頭に生まれました。幼名(元服前の名前)はきく寿じゅまるという名前で、生まれたときから、出家して箱根権現社(現・箱根神社)のべっとう(神社の管理を司る長官のこと)になることが決められていたため、1519(永正16)年4月に父・宗瑞が菊寿丸へ譲り渡した所領(土地)のほとんどは、箱根権現社のものでした。
たとえば、現在の港南区日野のあたりにあった「日野郷」は、かつて箱根権現社のたっちゅう(大寺院の中にある小さな寺のこと)であるしんみょういんの所領でしたが、廃絶後には幻庵の領地となりました。


『小田原衆所領役帳』1559(永禄2)年)成立 当館蔵

幻庵は、1540(天文9)年までには別当を退任し、当主で兄の氏綱が亡くなると、最長老として若い当主や一門衆を補佐し、やがて一族の重鎮になっていきました。1559(永禄2)年成立の「小田原衆所領役帳」には、幻庵の所領として、一門衆の中で最高の5,442貫文もの所領があったと記されています。
また幻庵は、武将でありながら文化人としての一面もありました。和歌・連歌・茶の湯・工芸(鞍や尺八作り)に精通し、北条氏の文化的基盤も支えていました。


笠原信為寺領寄進状 1529(享禄2)年12月13日付 雲松院蔵

■小机城の城主は幻庵の息子たち

北条氏は、領国を分割しそれぞれの拠点となる城をおいて、一門衆を城主に据えました。小机の一帯はもともと玉縄城が管轄していましたが、後に幻庵がこの地を引き受け、「小机領」としたと考えられています。小机城には当初、重臣のかさはらのぶためが城を守る役として入り、その後に幻庵の息子・ぶろうが初代城主になりました。しかし三郎は若くして亡くなり、家督を継ぐことはかないませんでした。小机城二代城主に就いたのは、北条うじたかです。氏堯は北条家の二代当主氏綱の四男で幻庵の甥にあたり、幻庵が後見役を務めていました。小机城は江戸方面や鎌倉街道を押さえる位置にあったことから、氏堯の統治は小田原城を中心とした防衛網の重要な一角を担っていました。実務派の武将として一族の信頼も厚かった氏堯ですが、彼もまた若くして亡くなります。


北条時長像(寺伝の法名等から三郎といわれる) 16世紀後半 宝泉寺蔵 小田原市教育委員会写真提供

その後、幻庵の次男であるうじのぶが三代目の城主に就任しました。1568(永禄11)年に武田信玄が駿河国に侵攻したため、北条氏は蒲原城(現・静岡市)を前線基地とし、城主に氏信が入りました。氏信は弟・融深や重臣らと共に城をまもりましたが、翌年再び攻め込んできた信玄軍に敗れ、弟の融深とともに戦死しました。これで幻庵は、3人の息子すべてを失ってしまいました。


北條家朱印状 四郎殿(氏光)・口野五ヶ村宛 1574(天正2)年7月10日付 沼津市指定文化財 個人蔵 沼津市明治史料館保管・写真提供

幻庵は家を守るため、北条氏の当主である氏康の六男・西堂丸を養子に迎え、娘を嫁がせます。しかし、西堂丸は上杉氏との同盟の証として越後へ送られることになりました。そこで幻庵は、二代目城主氏堯の子であるうじみつに娘を再び嫁がせ、氏光を小机城の四代目城主としました。
氏光は、武田氏との戦いに備えて、深沢城(現・御殿場市)や足柄城(現・南足柄市)の守りを担当しました。さらに、口野五ヶ村(現・沼津市)の領主として、駿河湾の海上防衛にも関わりました。沿岸では船の出入りを見張り、鉄砲や火薬の運び出しを取り締まり、兵糧が国外へ流れ出るのを防いでいました。
このように、四代にわたる小机城主は、すべて幻庵の息子や養子、後見した若者が就いていました。


幻庵をめぐる人々の略系図

■幻庵の死去と北条氏の滅亡

氏信が戦死した後、幻庵には幼い孫・きくが遺されました。菊千代は元服してうじたかと名乗り、久野北条家の家督を継ぎます。1585(天正13)年に発行された文書に、領主として氏隆の名が記されていることから、幻庵はこの頃に亡くなったのではないかと考えられています。
そして幻庵の死からわずか数年後、北条氏は滅亡しました。その後、五代当主の氏直は高野山に入り、一門や家臣も多くが同行します。氏隆も高野山で過ごした後、讃岐国高松城主の生駒氏に仕えましたが、後継を残さず亡くなり、幻庵の血筋は途絶えました。
戦国時代、北条氏の拠点だった小机城は、北条氏の滅亡とともに役目を終えました。その後、城跡は徳川幕府が管理する山林として守られました。
近代に入って周辺の開発が進み、1977(昭和52)年には「小机城址市民の森」が開園。当時の城の姿を今に伝える貴重な場所として、多くの人に親しまれています。

■小机城の発掘調査

2021(令和3)年度と2022(令和4)年度に、横浜市教育委員会は小机城の発掘調査を行いました。
2021(令和3)年度には、2か所で発掘調査を実施しました。ひとつは本丸広場の北側にある「きたからぼり調査区」、もうひとつは二の丸広場の「ひがしくる調査区」です。北空堀調査区では、南側から当時の空堀の壁面が確認されました。また、東曲輪調査区では72か所の柱穴が見つかり、異なる時期に複数の建物が建てられていたことがわかりました。
2022(令和4)年度は、本丸広場の周辺に、東西南北4か所の調査区を設けました。特に東側の調査区では、南から北西へ延びる大規模な堀の跡を確認し、その内部から16世紀前半の陶磁器片や、かわらけ(素焼きの土器)片など、多くの遺物が出土しました。この堀の跡は、江戸時代の小机城絵図には描かれておらず、北条氏が小机城に入った後、比較的早い時期に埋められたものと考えられています。

企画展「北条幻庵-横浜・小机城と関東の戦国-」~1月18日(日)まで開催~

長寿であったにも関わらず、これまであまり知られていなかった北条幻庵ですが、近年の研究で幻庵ゆかりの歴史資料が発掘され、その人物像も分かってきました。本展では、最新の研究成果を踏まえ、様々な歴史資料をもとに幻庵の生涯をたどっていきます。さらに小机城跡から発掘された出土資料とあわせ、小机城の歴史も紐解いていきます。
ぜひご来館いただき、横浜に眠る戦国時代の軌跡を感じてください。

≫横浜市歴史博物館 公式ウェブサイト(外部サイト)

問合せ

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TEL 045-912-7777
FAX 045-912-7781

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※招待券は、企画展と常設展が観覧できるもの(使用期限は2026年1月18日まで)1枚と、常設展のみが観覧できるもの(使用期限なし)1枚のセットが、1名様分となります。

ご希望の方は、次の6項目※を明記し、電子メール(ss-saihakken@city.yokohama.lg.jp)または郵便はがき(〒231-0005 横浜市中区本町6-50-10 横浜市役所政策経営局広報・プロモーション戦略課 あて)でご応募ください。締切は2025年12月22日(月)必着です。

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