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新田義貞の刀剣塚

最終更新日 2019年3月14日

港南区の民話

新田義貞の刀剣塚 日野・下永谷

むかし,港南区には,鎌倉に向かうおもな道が,いくつかあって,鎌倉幕府が滅んだ時のお話が,たくさん伝えられています。
「陣ケ台」のお話。
桜道を登って日野公園墓地に入ると,正面の方にこんもりとした古墳のようにも見える土盛りがあります。このあたりを陣ケ台と言います。江戸時代の書物にも,むかしここに,戦のために陣をしいたことがあると書かれています。
きっと,敵の矢をふせぐための,小高い土盛りのようなものを築いたと思われます。
そこで,鎌倉に向かおうとする新田の軍と鎌倉を守る側とがぶつかり,激しい戦いがあったと伝えられています。
そのあとで,鎌倉方は,新田の軍に敗れました。その時にキズを負った鎌倉方のさむらいが,たくさん逃げて来たそうです。
そして,陣ケ台にいた新田のさむらい達に,はとんど殺されてしまったそうです。死体は,このあたりに散乱することになりましたので,このままではいけないと,村人は考えて,敵味方の区別なく埋めて供養したそうです。
日野公園墓地の入口には,そうした鎌倉時代のさむらいが今でもねむっているのかも知れませんね。
あわれな最後を遂げた人たちの魂が,無念のあまりに,うらみの心がつのって,村にたたりをもたらすのではないかと考えたからでしょう。
むかしの人たちは,悲しい死を遂げた人の魂は,成仏せずに村の中をさまようと考えていましたので,血に染まった刀や鎧も,に葬り皆で供養しました。
もう一つ「刀剣塚」のお話。
下永谷に,地蔵院という寺の跡があります。新田義貞が鎌倉を攻めた時に,戦死した人たちや刀などを埋め,供養したという塚です。
戦にまきこまれて,多くの人たちがなくなりました。亡きがらと共に刀なども葬られ,供養したという塚があって,刀剣塚と呼ばれていました。
りっぱな刀剣塚がいくつか建てられていたのですが,いつしか失われて,言い伝えだけが残っています。

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