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浄念寺の咳止め玄入坊

最終更新日 2022年1月27日

港南区の民話

浄念寺の咳止め玄入坊 野庭

ほこら

むかしなあ、上野庭の島田という所に、一人の旅の僧が訪れたそうな。
その僧の名前はな、玄人坊というたそうな。
玄人坊がこの村を歩いていると、病人が多いことに気がついたんだと。昔の山深い里ではな、くらしは貧しくてな、天候が悪くて農作物がとれないとな、たちまち飢えに苦しんだんだとさ。
病気になっても、お医者にかかれない貧乏な暮らしに、若者は近くの戸塚あたりに働きに出て、村には年寄りと子どもばかりになってしまったんだと。
「コン、コン」
と、ひっきりなしに咳をしながら苦しむ農民を見て、玄人坊は何にもできない自分の力の無さをなげき悲しんだと。
玄人坊は、人間はどんなに苦しくても、明日への希望と元気な体があれば、生きぬくことができるんだと。だけどもな、この村には、その元になる希望と健康が失われているのじゃよ。玄人坊自身も、僧として旅の終わりを予感したのかも知れないな。そこで村人たちを呼び集めてな、自分の決意を述べて、大きな穴を掘ってもらったとさ。


そしてな、その中に、自ら生き埋めになろうと入って行ったんだと。そして村人にな、次のように頼んだんだと。
「私が穴の中に入ったら、土の中からお経を読む声のある間は、この竹の筒を通して一日三回、水だけを流しこんでもらいたいと。そして、その経を読む声が絶えた時、私の願いは聞き届けられ、あなたたちの村から、咳をする人たちの苦しみがなくなるだろう」
と言い残して、土の中に消えて行ったんだと。
村人は、最初は、見ず知らずの旅の僧のことばを、信じなかったんじゃが、命をかけてまでの不思議なふるまいと、玄人坊の言ったとおりの奇跡にびっくりしたんだと。
そしてな、玄人坊にたいしてな、感謝と悲しみをこめて、塚を築いてな、その上に榊の木と、石の祠を建てて、後の世まで玄人坊の徳をたたえて、おまつりしたそうな。そして、今でも咳に苦しむ人たちの、おまいりが続いているそうな。

浄念寺のやまゆりの写真

浄念寺のやまゆりの画像その2
浄念寺のやまゆり


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「ふるさと港南の昔ばなし50話」に収録されているお話です。
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内容に関しては港南歴史協議会へお問合せください。
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