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勘九郎地蔵

最終更新日 2022年1月27日

勘九郎地蔵の写真

港南区の民話

勘九郎地蔵 大久保

自性院

港南区大久保の自性院というお寺に、勘九郎地蔵というお地蔵さんがあります。万治三年(1660)とかかれた古いお地蔵さんです。
以前は、南区六ツ川の武蔵の国と相模の国の国ざかいにあったものをここに移したそうです。今でも勘九郎地蔵のあったもとの場所には、かわりの石のお地蔵さんと、そのいわれを書いた碑が建てられています。

むかし、その国ざかいを勘九郎という名の歌舞伎役者が先を急いでいました。
このあたりは、昼間は多くの旅人や村人が行き来しますが、夜ともなれば、それはそれはさびしいところでした。
次の朝、村人が見たのは、その勘九郎の変わりはてたすがたでした。おいはぎにでもおそわれたのか、身ぐるみはがされて、息たえていました。村の人々はあわれんで、手あつく葬むり、石のお地蔵さんをつくりました。
それから間もなく、近くの村では悪い病気がはやり、多くの人々が死んでいきました。
むかしは、こうした病気をなおすことができませんでした。ただいっしょうけんめい神や仏にいのるしかありませんでした。またこうした悪い病気の原因は、殺された人々の悪霊のたたりだとも考えられていました。

勘九郎地蔵の写真

それで村人たちは、勘九郎地蔵にいろいろな物を供え、たたりをしずめるようにいのりました。
するとどうでしょう。ふしぎなことに、悪い病気はぴたりとおさまり、村人たちは、勘九郎地蔵のおかげだと大変よろこびました。
しかもそのうわさはすぐにひろまり、近くの村々はもちろんのこと、行商する人たちや旅人たちを守るお地蔵さんとしても、お参りされるようになりました。
勘九郎の死んだとされる28日には、多くの人々が集まり、店を出したり、しばいまでやっていたと伝えられています。今でもお参りする人が多く、お供えの花がなくなることがありません。

お問合せ

「ふるさと港南の昔ばなし50話」に収録されているお話です。
各民話は非営利目的の場合に限り、原則として自由に利用可能です。
内容に関しては港南歴史協議会へお問合せください。
港南歴史協議会ホームページ(外部サイト)


このページへのお問合せ

港南区区政推進課企画調整係

電話:045-847-8327

電話:045-847-8327

ファクス:045-841-7030

メールアドレス:kn-kikaku@city.yokohama.jp

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