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室の木と富士塚

最終更新日 2019年3月14日

港南区の民話

室の木と富士塚 港南

みなさんは、葦という植物を知っていますか。水辺に生える多年草で、茎はすだれなどの材料になり、別名をよしともいいます。
そのむかし、日野川はよく氾濫し、河原はよしでおおわれていました。これが、鎌倉街道にある「吉原」という地名の由来です。
区役所から、南高校の方に坂をのぼって行くと、相武山小学校につきあたります。その辺りは武蔵国と相模国の境で、「室の木」が植えられていました。
「室の木」は、ねずともいわれ、高い木で冬でも緑の葉をつけているため、目印になったようです。今は、その木はありませんが、地名として、坂やバス停、また、公園や幼椎園の名前に使われています。
吉原村の北のはずれの一番高いところ、すなわち、室の木の近くには、富士塚がありました。富士塚には、富士浅間宮と彫られた、石の供養塔が置かれていました。上部には、仏さまが、下部には、二匹の猿が、向きあって手を合わせている姿が彫られています。これは、とても珍しいものだそうです。
江戸時代には、厳しい身分制度があり、農民は重い年貢に苦しみました。また、大雨が降ると日野川はすぐにあふれて、田畑を流し、あすの食べ物にも困りました。そして、疫病がはやって大勢の人がなくなり、悲しみに暮れました。
それらを支える信仰として、富士山に登る人が多くいました。白装束を身につけて、富士塚に旅の安全を祈願してから出かけました。また、富士山まで行かれない人は、この富士塚を拝んで、そのかわりとしました。昔は、村と村、国と国との境に、よそから悪霊が入らないようにするために、このような石塔や石仏を建立し、また樹木などを植えて境や道標の役目をもたせていました。
また、疫病などを境で塞ぐ「塞の神」や、旅の道中の安全を守る「道祖神」もよくまつられています。相模の国だった永谷には、男と女の神様が仲良く並んだ姿を石に刻んだ、珍しい道祖神塔がまつられています。
近年、富士塚は住宅地になり、石塔は日野二丁目五十四番の、小高く木の茂っているところに移されました。

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