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でいだらぼっち

最終更新日 2024年12月10日

馬洗川と天谷大橋の画像その1
馬洗川と天谷大橋

港南区の民話

でいだらぼっち 野庭

現在は、団地や家が建ちならび、昔のおもかげはありませんが、天谷大橋のふきんは、四、五十年前までは、田んぼや畑でした。
ふつう田んぼは、川を中心にして、一面に続くのですが、野庭の田んぼは、ところどころに、ポツンポツンとあったので、めずらしい「飛び田」と呼ばれていました。どうして、こんな飛び田ができたのかというと。
むかし、むかし、まだ、でいだらぼっちという人のいたころのこと。
ある時、このでいだらぼっちが野庭へ遊びに来たんだと。
でいだらぼっちは、力持ちの大きな男なんだが、とても気持ちのやさしい男でのー。村の家々をふまないようにと、つま先で立って歩いていたんだと。
馬洗川の近くまで来た時のことだ。川で水を飲んでいた馬が、でいだらぼっちに驚いてとつぜんあばれだしたものだから、静かに静かに歩いていたでいだらぼっちも驚いた。
思わずつま先立ちの指に力がはいって、土の中に指がめり込んだんだと。そのくぼんだ所に、水がたまつてできたのが「飛び田」なんだと。
まだまだ話のつづきがあるんだ。でいだらぼっちに驚いた馬というのは、北条政子という信心深い人が、鎌倉から、弘明寺観音へ、馬に乗っておまいりに通われたそうだが、その時の馬でのー。ちょうど天谷あたりの川原で馬に水を飲ませるために、一休みなさっていたんだと。
この人はエライ人でのー、「尼将軍」と呼ばれた人だけれどね。
でいだらぼっちは驚いて飛び田を作ってしまったけど、たまげた馬は、かわいそうに、川におっこって、ついでに顔を洗ったのでこの川は、「馬洗川」と呼ばれるようになってね、「馬洗橋」の前の山を“糞山”というんだ。
それで、後の人たちが、いつとはなく、田んぼに出て仕事をしながら、こんな唄をうたうようになったんだと。

馬洗川と天谷大橋の画像その2
馬洗川と天谷大橋


野庭はよいとこ 雨あがり
美人はいないか
ぬき足 さし足
尼さんの馬に追われて
でいだらぼっちが
“ふん”をした

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「ふるさと港南の昔ばなし50話」に収録されているお話です。
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内容に関しては港南歴史協議会へお問合せください。
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