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鎮魂の句碑
最終更新日 2024年12月10日
港南区の民話
鎮魂の句碑 笹下
昭和も太平洋戦争直後のお話です。
笹下町の日下小学校前の道から大岡川の方へ下って行くと、古い曲田橋へ出ます。むかしを偲びながらこの橋を渡って行くと、成就院のお寺の山門が見えてきます。
むかし、間宮氏が築いたといわれる笹下陣屋の門を移したものと言われています。
この寺の名は「梅花山成就坊」(後に成就院)といいますが、梅の花と境内の美しさから、今まで呼ばれていた「曲田山」を「梅花山」と名を改めたということです。
この山門のすぐ脇に、この地域の方々の悲しくも美しいいわれのある句碑が建っています。
激しく戦われた戦争に、笹下の若者たちも戦場へ駆り出され、何人かの戦死者を出しました。
この地域の人たちは、勇敢に戦い、若い命を散らしたこの霊を慰め、永遠に戦争をなくし、平和を守ることを誓い、碑を建てました。
その気持ちが、この碑の形や碑文の表現ににじみ出ているのです。
戦後の当時は、進駐軍の占領下にあったため、日清、日露戦争や満洲事変後に各所に建てられたような忠魂碑を、自由に建てることができなかったのです。人々は知恵をしぼり、俳句の形で、戦死者の鎮魂の碑を建てることにしました。
そこで、横浜で有名な俳人大野林火に碑文をお願いしました。すると、意味深いこの碑文の句が詠まれ、送られてきました。
地域の人たちはこの立派な俳句によって、この気持ちを永遠に残すことにしたのです。
句碑は次のような句文です。
林 火
猛り鵙
松籟にいま
鎮まりぬ
秋が訪れ、鵙が大きな松の木の枝で、キキキッ、と甲高い声を張り上げて鳴いている。
秋風が松の枝をゆらし、音を奏でて吹き抜けて行く、鵙の高鳴きが静まった。
若き御霊よこの故郷の地に安らかに眠れ!
平和よ、永えに!
実はこんな深い意味を持つ句碑だったのですね。
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「ふるさと港南の昔ばなし50話」に収録されているお話です。
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