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もちはなくとも餅井坂
最終更新日 2022年1月27日
港南区の民話
もちはなくとも餅井坂 最戸
ずっと、ずっとむかしのお話です。
いまの港南区の最戸と南区の別所の境のところに、「餅井坂」という坂があります。
一里塚といって、道しるべのために、大きな松も植えられていました。「餅井坂」は、鎌倉時代につくられた道で、鎌倉下の道のなかでもとくに道がけわしく、草木におおわれて昼でも薄暗く、坂がとても急なことで有名でした。旅をする人たちは、覚悟を決めて、登っていったのでした。
ある日のこと、京都から旅を続けていました道輿准后という、えらいお坊さまがこの道にさしかかりました。村人から、「急な坂での、きいつけんさいね・・・」
ということばを聞き終わらないうちに登りはじめたのでした。きょうじゆうに、小菅ヶ谷あたりまで行きたいと思っていたからでした。
餅井坂というからには、坂の上の茶店では餅を売っているにちがいないと、すっかり思いこんでしまいました。
久しぶりに好物のお餅が食べられる、それまでのしんぼう、しんぼう、と自分に言い聞かせて、きつい坂道を、あえぎ、あえぎ登っていくと、やっとのことで坂の上までたどりつきました。
一軒の茶店が目に入りました。「あ、、やれやれ、つかれたなあ」
と言いながらも、お餅がチラツキはじめ、足どりも軽く、茶店の主人に声をかけました。 しかし、お坊さまがあれほど楽しみにしていたお餅はなかったのでした。
本当にがっかりしたのでしょう、この旅のようすをまとめた『廻国雑記』という日記にこんな俳譜を書き残していたのでした。
餅井坂の頂上からの眺め
行きつきて
見れどもみえず
もちひ坂
ただわらぐつに
あしを喰はせて
これは、こういう意味になります。
(やっとの思いで餅井坂にたどりついて、お餅を食べられるかと期待して、あたりを見わたしたが、餅屋はなくて、ただはいているわらじが足にくいこんでいるだけだ)
今でも餅井坂の登りきったあたりを「甘酒台」といいますが、このお話のずっとあとになってから、なんげんかの茶店では甘酒を売っていたそうです。でも、お餅を売っていたかどうかは、よくわからないんですって。
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「ふるさと港南の昔ばなし50話」に収録されているお話です。
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