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源為朝の隠れ里

最終更新日 2019年3月14日

港南区の民話

源為朝の隠れ里 上大岡・日野

為朝の祠

上大岡のにぎやかな街を見おろすことのできる東の丘に、雑木林があって、その一帯を「八郎ケ谷」とよびます。
為朝は、源為義の八番目の子で、鎮西八郎とよばれていましたが、保元の乱で父ととも崇徳上皇に味方して戦い、やぶれたために落人となり、ここに隠れ住んだといわれています。
この丘の切り立った崖の上に「為朝の祠」があり、今でも四月二十五日に近隣の人々が供養しています。
また、この丘のふもとには、為朝の妻の墓といわれている笠石がまつられています。
そして、明治二年にはこの丘の崖がくずれて、その横穴から古い鏡の入った壷が見つかった時には、ここが為朝の隠れ穴ではなかったかと、大さわぎになったといわれています。
為朝は日ごろ、金のお地蔵様を信仰していたといわれていて、八郎ケ谷にある富士見坂近くの子育地蔵は、為朝とつながりがあるともいわれています。
為朝伝説とは直接関係ありませんが、この上大岡東のところどころには板碑があり、鎌倉武士の子孫との言い伝えをもっている、旧家もあります。
全国各地には、平家の隠れ里はたくさんありますが、この港南区内では、もうひとつ珍しい源氏の隠れ里があります。
それは、春日神社に近い、「兎ケ谷」というところです。
鎌倉幕府を創設した源頼朝は、幼少のとき伊豆の蛭ケ小島に流されました。弟の義経は、京都の鞍馬寺にあずけられました。
頼朝の叔父の新宮十郎行家は、山伏の姿の修行者になって、武士たちをたずねて源氏の再興をうながして歩きました。
平家をたおし、源氏の世の中をつくる糸口をつけた、行家の功績を忘れてはいけないと思います。
しかし、頼朝は、この行家も弟の義経をも討たせてしまいました。行家の家来の中に、紀伊の国(和歌山県)の田井庄からでた武士がいました。
この人たちは、頼朝と行家の仲がわるくなってから、この日野川支流の奥の兎ケ谷に、ひそかに隠れ住んだと伝えられています。


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