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増徳院

最終更新日 2024年4月17日

増徳院(ぞうとくいん)

元町(もとまち)1丁目13番地、現在(げんざい)の元町(もとまち)プラザの場所(ばしょ)にあった寺院(じいん)です。古(ふる)くから町(まち)の人(ひと)たちの信仰(しんこう)の中心的(ちゅうしんてき)存在(そんざい)でした。震災後(しんさいご)、1928年(昭和(しょうわ)3年)に南区(みなみく)平楽(へいらく)103に再建(さいけん)し、戦災(せんさい)を経(へ)てそのほとんどが平楽(へいらく)へ移転(いてん)しました。現在(げんざい)元町(もとまち)にあるのは、1972年(昭和(しょうわ)47年)に再建(さいけん)された薬師堂(やくしどう)のみです。大同(だいどう)年間(ねんかん)(9世紀(せいき)初頭(しょとう))の創立(そうりつ)といわれていますが、記録(きろく)は残(のこ)っていません。

ペリー艦隊(かんたい)のミシシッピ号の船員(せんいん)の葬式(そうしき)が行(おこな)われたときは、葬儀(そうぎ)の列(れつ)は街中(まちなか)を太鼓(たいこ)の音(おと)に合(あ)わせて行進(こうしん)し、住民(じゅうみん)達(たち)は家(いえ)や店(みせ)から出(で)てきて、見物(けんぶつ)しました。そのとき埋葬(まいそう)された場所(ばしょ)は増徳院(ぞうとくいん)の境内(けいだい)の丘(おか)で、現在(げんざい)の外人(がいじん)墓地(ぼち)の一部(いちぶ)です。

参考文献

『増徳院阿字観道場壁画 弘法大師御一代』佐藤振寿/編 増徳院 1986.9

『横浜市史稿 仏寺編』横浜市役所/編 名著出版 1973

『ペリー来航~横浜元町一四〇年史』元町の歴史編纂委員会/編著 横浜元町資料館 2002.11

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電話:045-262-7336

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ファクス:045-262-0054

メールアドレス:ky-libkocho-c@city.yokohama.lg.jp

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