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全権

最終更新日 2024年4月17日

日本側(にほんがわ)全権(ぜんけん)

全権(ぜんけん)とは、この場合(ばあい)、アメリカとの交渉(こうしょう)条約(じょうやく)締結(ていけつ)についての権限(きげん)(あた)えられている(ひと)()します。日米(にちべい)和親(わしん)条約(じょうやく)日本側(にほんがわ)全権(ぜんけん)として名前(なまえ)があるのは、林大学頭、井戸対馬守、伊沢美作守、鵜殿民部少輔の4(にん)でした。アメリカ(がわ)記録(きろく)『ペリー艦隊(かんたい)日本(にほん)遠征記(えんせいき)』には、4人の様子(ようす)(つぎ)のように(えが)かれています。

  • 林大学頭 はやしだいがくのかみ (林復斎 はやしふくさい 1800-1859)

「55(さい)くらいで、立派(りっぱ)風采(ふうさい)をそなえ、やさしげな容貌(ようぼう)ときわめて丁重(ていちょう)物腰(ものごと)とは裏腹(うらはら)に、(かお)表情(ひょうじょう)重々(おもおも)しく、むしろむっつりしていた。」

  • 井戸対馬守 いどつしまのかみ (井戸覚弘 いどさとひろ 生年不明-1858)

「およそ50(さい)くらいの、(ふと)った()(たか)人物(じんぶつ)だった。(かれ)年長者(ねんちょうしゃ)(はやし)にくらべれば、多少(たしょう)快活(かいかつ)表情(ひょうじょう)をしていた。」

  • 伊沢美作守 いざわみまさかのかみ (伊沢政義 いざわまさよし)

「40(さい)をさほど()えていないようで、3人のうちではとびぬけて美男(びなん)だった。(かれ)はまったく陽気(ようき)人物(じんぶつ)で、冗談(じょうだん)やお(まつ)りさわぎが()きで、道楽者(どうらくもの)との評判(ひょうばん)だった。通訳(つうやく)(はなし)によると、美作(みまさか)(こう)外交(がいこう)についてほかの同僚(どうりょう)(だれ)よりも自由(じゆう)見解(けんかい)()っているとのことで、もちろんアメリカ人のみんなに人気(にんき)があったが、日本人(にほんじん)(あいだ)でも大変(たいへん)()かれているようだった。(かれ)愉快(ゆかい)性格(せいかく)は、艦隊(かんたい)軍楽隊(ぐんがくたい)音楽(おんがく)大好(だいす)きなことからも(あき)らかで、軍楽隊(ぐんがくたい)がにぎやかな(きょく)演奏(えんそう)すると、手足(てあし)をじっとさせていられなかった。」

  • 鵜殿民部少輔 (鵜殿長鋭 うどのながとし)

()(たか)く、まずまずの容貌(ようぼう)だが、顔立(かおだ)ちがきわめて特徴的(とくちょうてき)で、いかにもモンゴル(けい)らしかった。」

参考文献

『幕末維新外交史料集成』第三巻 維新史学会/編 第一書房 1978.4 (復刻)
『ペリー艦隊日本遠征記』Vol.1 オフィス宮崎/翻訳・構成 栄光教育文化研究所 1997.10

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