ここから本文です。

神奈川県史 通史編1 目次

最終更新日 2024年4月17日

「神奈川県史」へ


凡例
はじめに
総説
第一編 原始

第一章 先土器時代の文化と自然

第一節 関東ローム層のなかの遺跡

一 先土器時代文化の発見

先土器時代とその上限
N・G・マンローのこと

二 遺跡の分布と関東ローム

遺跡の分布と立地
ブロックのもつ意義

第二節 石器群の変遷

一 石器の種類

剥片と石核
剥片石器

二 石器群の変遷

三つの段階
相模野大地の石器群の区分
労働用具としての石器

第三節 生活の舞台

一 氷河の影響

寒冷な気候

二 海面の低下

古東京川
自然と人間

第二章 縄文文化とその社会

第一節 縄文文化の成立

一 弓矢と土器の出現

新しい道具の意義
時期区分と土器形式
最古の縄文土器
花見山遺跡の調査の成果

二 撚糸文土器群の文化

夏島貝塚とその年代
撚糸文土器群文化の特徴
堅穴住居跡とその集落
狩猟・漁撈・植物および貝類の採集
不安定な食生活

三 早期後半の土器とその文化

無文土器群と並行沈線文土器群
条痕文土器群のひろがり
文化の上昇と停滞

第二節 定型的集落の形成

一 縄文海進と貝塚

沖積地の自然貝層
前期中葉の貝塚の分布

二 定型的集落の発達

南堀貝塚
集落と墓地
長方形柱穴列

第三節 収集経済の諸相

一 狩猟・漁撈活動の展開

石鏃と黒曜石
家犬の役割
狩猟の対象と規制
網漁の展開

二 植物性食料の採集と貯蔵

大量採集と貯蔵穴
生活体系としての確立

第三章 水稲耕作の開始と発展

第一節 東日本弥生文化の成立

一 稲と鉄の登場

弥生文化のはじまり
縄文文化終末の事情
遺跡の現象と人口の希薄

二 初期の弥生土器とその文化

水神平式土器と三ヶ木式土器
再葬墓

第二節 弥生農耕の発展

一 農耕集落の定着

宮ノ台式土器とその分布
環濠集落と竪穴住居跡
集落と単位集団
方形周溝墓

二 小地域圏の形成

鉄器の普及
水田と集落
後期弥生土器の分布圏
前期古墳成立の基盤

第三節 農耕生活の一断面

一 海蝕洞穴内の遺跡

洞穴の利用
洞穴内の生活

二 ト骨と埋葬

ト骨の発見
洞穴内の特殊埋葬

第四節 古墳とその時代

一 初期古墳の性格

古墳の出現
真土大塚古墳と加瀬白山古墳

二 後期古墳と社会の変化

古墳の変遷
被葬者と民衆

第二編 古代

第一章 国家の成立と相武

第一節 毛人の国

一 五世紀の相武

東国最古の史料
鉄剣銘と古代東国
東は毛人五十五国

二 記紀伝承の東国

東国征服の伝承

第二節 国造と屯倉

一 国造と杖刀人

相武の国造
杖刀人と治天下大王

二 四屯倉の成立

武蔵国造家の内紛と屯倉
国造家内紛の意味

第二章 大化改新と相武

第一節 東国国司の任命

一 大化改新の発足

大化改新の発足
東国国司の任命
東国と天皇家の関係

二 大化改新の新体制

大化改新詔の新体制
相模国武蔵国の成立

三 半島侵略と東国

上毛野君の伝承
東国兵の半島動因
東国防人の成立

第二節 国郡制の成立

一 国・郡・里制と相武

国制
相模の国府
郡制
郡衙

二 相模・武蔵の郷と里

里制
相模国の郷
武蔵国三郡の郷

第三節 相模・武蔵の国勢

一 水田と人口

水田
人口

二 古代の産業

農業
薬草
林産
鉱産
水産
牧畜
二次製品

三 国勢の推移

相模国の歳入
調と副物
地方国費の支出
財政の転換
国の支出費目
利稲財政

第四節 相武農村の苦難

一 防人役

兵士役
軍団
防人役
東国防人の廃止

二 蝦夷地の兵站基地

蝦夷地経営の兵站地
東北の鎮兵
東国の兵站基地化

第五節 律令制下の文化

一 万葉歌枕

相模と万葉歌人
歌人防人
業平から相模へ

二 仏教と神祇信仰

相模と寺院封戸
帰化人の足跡
国分寺の前提
国分寺造立の詔
相模国分二寺の成立
国分寺の規模
国分寺の推移
経師と高僧
仏教の浸透
神祇信仰

第三章 古代末期の相武

第一節 相模国と天皇家

一 相模国封戸祖交易帳の分析

相模国封戸祖交易帳
祖全給の給主
祖半給の給主
相模国と天武一家

二 勅旨牧の設定

官牧より勅旨牧

第二節 内乱と相武

一 足柄・碓氷峠の関設置

〔しゅう〕馬の党
〔しゅう〕馬の道
足柄・碓氷両関の設置

二 内乱と相武

東国の農村
平将門の乱と相武
平忠常の乱と相武
中世の夜明け

第三節 武士団の発展

一 武士団の成長

大きな転換期
辺境の争乱
武士の棟梁と相武の武士
鎌倉権五郎と三浦為次
三浦氏のおこり
三浦介の役割
三浦氏の発展
三浦氏の本拠地
中村氏一族
鎌倉党の武士たち
相模の武士たち
武蔵の大武士団
横山党の武士

二 荘園・公領と武士団の生態

大庭御厨の開発
東国の大開拓時代
荘園への道
大庭御厨の成立
大庭御厨の実態
大庭御厨の産業
稲毛荘の場合
相武の荘園
相武の公領
平安時代末期の情勢
新しい国府
国府祭
大庭御厨の侵入事件

三 平安時代末期の相武地方

源義朝・義平の活躍
保元・平治の乱
平氏全盛時代の相武

第三編 中世

第一章 武家政権の成立

第一節 鎌倉幕府の成立

一 鎌倉幕府の生誕

幕府の誕生
幕府成立の背景
成立期の幕府機関
治承から寿永へ
源平の決戦

二 鎌倉幕府と相武地方

天下の草創
幕府の確立
富士の巻狩
相武の武士団の変動
幕府支配下の相武

三 源氏将軍家の滅亡

北条氏の勢力伸張
実朝の死

第二節 北条氏の制覇

一 承久の変

北条義時追討の院宣
京都の状勢
幕府の対応
大江広元の卓見
泰時の出陣
北条方連戦連勝す

二 戦後の処置とその影響

戦後の処置
関東申し行う
泰時の決断

三 泰時の時代

義時の事業
泰時の登場
泰時の事蹟
政治の刷新
泰時に対する批評

四 時頼の時代

経時の治績
時頼の登場
凶兆
時頼の全盛
県下の状況

第三節 鎌倉幕府の滅亡

一 蒙古襲来

時宗の登場
蒙古襲来

二 霜月騒動

執権と連署
安達泰盛
霜月騒動
騒動の影響

三 県土の状況

関東制覇まで
摩々の局
相模守護
波多野氏
大友能直
河村義秀
三崎の別荘
貞応以降
『資料編』より

四 相模武士の展開

所領拡大
近畿地方その他
東北地方
九州地方

五 鎌倉幕府の滅亡

内管領の専横
再び執権と連署
朝廷との関係
幕府の滅亡

第二章 鎌倉の繁栄

第一節 都市文化と農村

一 都市鎌倉の発展

武士の府の礎
鎌倉の四境
『海道記』の目
和賀江嶋築港
整った市政
保の奉行人の活躍
大仏建立
商人と庶民

二 道路と邸宅

泰時の町づくり
七口小考
掘り出される古都
鎌倉の災害

三 京都文化の移入

頼朝の京都憧憬
頼朝技術者を招く
摂家・皇族・将軍の下向

四 異国的文化の開花

禅宗流布以前
建長寺・円覚寺の創建
鎌倉武士と禅

五 農村

なお残る中世の村のすがた
武士の農業経営
中世村落の復原
掘り出される中世

第二節 新仏教

一 法然の直弟と鎮西派

専修念仏と東国
石川の道遍と毛利西阿
長楽寺の隆寛と智慶
薩生・宗観・道教
良忠が悟真寺をはじめる

二 親鸞流の念仏者と一遍流の時衆

親鸞と神奈川県
親鸞の同行
一遍・真教と神奈川県
藤沢道場

三 寿福寺から建長・円覚の開創まで

栄西と道元
円爾と鎌倉
蘭渓道隆と兀庵普寧
大休正念と無学祖元

四 貞時・高時時代の禅宗

北条貞時の禅宗振興
一山一寧と東明恵日
高峰顕日と鎌倉
高時と鎌倉の禅寺
霊山道隠と清掘正澄
南山士雲と明極楚俊
夢想疎石

五 日蓮とその弟子

松葉谷草案の日蓮
龍口法難まで
身延に退隠する日蓮
日昭と日朗

第三節 旧仏教

一 平安仏教の展開

頼朝の宗教政策
鶴岡八幡宮
阿弥陀堂と法華堂の展開
鎌倉の天台数学
称名寺の天台数学
円頓戒の復興
東密の繁栄
金沢称名寺の東密
新義真言宗の進出
光明真言の普及
密教図像集の受容と選集
声明の興起

二 南都仏教の進出

北条実時と叡尊の鎌倉行化
忍性と極楽律寺
覚園寺・清浄金剛寺の興律
称名寺の戒律
湛睿の戒律研究
東大寺華厳の展開
智照と松谷寺
円種と加点事業
湛睿の華厳教学
高山寺華厳の伝播
摧邪論の受容と三時三宝礼の盛行

三 仏教興隆運動と新仏教の受容

仏教興隆運動の提唱
鎌倉における出版活動
新旧両仏教の交流
宋朝禅の受容
法然浄土教の摂取

第四節 金工の文化

一 相模の刀鍛冶

早期の相州鍛冶
新藤五国光
五郎入道正宗
南北朝期の相州鍛冶
正宗十哲
室町時代以降の相州鍛冶

二 相模の梵鐘鋳物師

鎌倉時代の梵鐘と鋳物師
源姓の鋳物師
飯山とその周辺の鋳物師
物部姓の鋳物師
物部姓鋳物師の作品と推定される梵鐘
清原姓の鋳物師
清原姓鋳物師の作品と推定される梵鐘
つね(経・恒・常)の一字をもつ鋳物師
相模の梵鐘鋳物師の活躍期

三 鎌倉大仏鋳造に関係した鋳物師

丹治姓の鋳物師
広階姓の鋳物師
大中臣姓の鋳物師
鎌倉大仏鋳造の鋳物師

第三章 鎌倉府

第一節 鎌倉府の成立

一 足利尊氏幕府をひらく

鎌倉に義詮を置く
建武政権下の東国
中先代の乱
尊氏叛す
建武期の鎌倉
相模の三浦氏
尊氏幕府を京都に開く
常陸の北畠親房

二 鎌倉府の成立

鎌倉府
上杉憲顕と高師冬
基氏の鎌倉下向
観応の擾乱の波及
基氏の関東平定
基氏畠山国清を討つ
上杉憲顕管領となる

三 管領国及び権限

関東分国
信濃国を管轄下に置く
武蔵国を闕く
駿河国佐野郷を管轄下に置く
陸奥・出羽両国を加える
草創期の権限
基氏に与えられた権限
足利荘支配
所務沙汰権の獲得

四 足利氏満の時代

関東公方金王丸
氏満の野心
小山征伐
鎌倉府と幕府

五 足利満兼の時代

篠川御所と稲村御所
満兼の野望
伊達氏の反乱
新田氏討伐
満兼の死

六 関東管領上杉氏

重房関東下向
上杉憲顕
上杉能憲
上杉氏四家
山内家
上杉氏と幕府
法体の管領

第二節 永享の乱

一 禅秀の乱

持氏公方となる
禅秀管領となる
禅秀の乱の発端
乱の経過
武士達の動き
幕府の態度
禅秀の乱の意義

二 足利持氏と京都扶持衆の対立

禅秀与党討伐
京都扶持衆
持氏の軍勢

三 将軍足利義教の登場

義持の死
持氏の抵抗
将軍義教の富士下向
血書の願文
関東野心現形

四 永享の乱

持氏の準備
信濃出兵
義久元服
義教の守護政策
永享の乱

第三節 主なき鎌倉府

一 幕府の関東支配

まぼろしの関東公方
足利義教息は鎌倉に下らなかった
義教息が下向しなかった理由
義教の関東統治の方策
上杉憲実出家の期日
憲実が弟清方を後嗣とする

二 結城合戦

足利持氏遺児の挙兵
遺児ら結城氏朝の城に入る
持氏遺児方の軍勢
上杉憲実の俗界復帰
篠河御所足利満直の死
結城の落城
生け捕られた持氏遺児
最年少の子は殺されなかった

三 上杉憲実

公方にことを嘉吉元年
上杉憲実退隠を請願する
憲実の子一人は京都奉公三人は出家する
憲実の弟清方が死ぬ
憲実の子憲忠が還俗して家をつぐ
長尾景仲らが憲忠を擁立した
勅命で憲実の関東管領留任を命じる
憲実再び退隠する
政治史家の憲実論
憲実という人
憲実と易

第四節 鎌倉府の没落

一 帰ってきた鎌倉公方

関東公方に足利成氏関東管領に上杉憲忠が就任する
足利成氏が京都から下向したという通説
通説と抵触する史料
京都から下向した人は成氏の弟であった
鎌倉にいる「御両所様」
成氏は信濃から鎌倉に帰還した
成氏が関東公方となったのは文安五年か
成氏の帰還を望んだ人々
幕府内の成氏親派は畠山氏
成氏元服して左馬頭となる

二 江の島合戦

合戦起こる
幕府成氏の要請を受入れる
憲忠帰府し合戦終わる
成氏代始めの徳政を行う
成氏従四位下左兵衛督となる
成氏派武士との所領相論
関東統治における幕府と成氏
成氏派の焦燥

三 享徳の乱

足利成氏関東管領上杉憲忠を殺す
相模守護は上杉扇谷顕房
顕房武蔵の戦いで敗死する
上杉軍常陸小栗城に遁れる
成氏小栗城を陥す
上杉軍下野天命・只木山による
幕府軍鎌倉に入る
成氏幕府に憲忠殺害の陳弁をする

四 堀越公方の下向

成氏は京都の改元を用いない
足利政知関東公方となる
政知下向せず京辺に日を送る
政知再度の出京
政知伊豆下向の時期
下向は長禄二年五月から八月までの間である
政知下向の時期を秘める宇都宮等網書状
等網書状の年次は長禄二年
等網が書状を京都で書いたとすると
書状が東国で書かれたとすると
等網書状に残る疑問
幕府が東征を命じた武将
政知下向の従軍を志願した武士
鎌倉の寺院に伝わった長禄二年の禁制
羽継原で敗戦後の政知・上杉軍の配備
政知伊豆に留まる
政知の政治的活躍はみられない
関東管領上杉氏と渋川義鏡の立場
幕府関東管領無視の手続を行う
渋川義鏡の被官が御料所と没収地を調査する
疎遠な政知と関東管領
堀越公方と相模守護上杉持朝
堀越公方と相模の諸将

五 上杉山内・扇谷両家の実力者

鎌倉で私年号延徳が使われる
長尾景仲死す
長尾景信が継ぐ
長尾忠景と景春の争い
太田道灌の諱は資長か
右衛門尉から左衛門尉に転任の例と道灌
道灌の著作といわれる偽書
道灌の詩文の遊び
聖護院道興と堯恵法印の遍歴
文芸人の遍歴のもつ政治的意義
道灌の「足軽之軍法」
道灌江戸城を築く
太田氏による相模支配
当方滅亡

第四章 北条氏政権

第一節 北条早雲・氏綱の相武侵略

一 早雲の小田原城攻略と相模進出

早雲の登場
伊豆の平定
小田原城の攻略
伊勢弥次郎の敗死
立川原の合戦
権現山と鴨沢の攻防
岡崎城の攻略

二 玉縄築城と鎌倉の支配

早雲、鎌倉に入る
玉縄城を築く
玉縄の城主
三浦氏の滅亡
鎌倉の代官と小代官
早雲の死

三 氏綱の相模経営と武蔵侵攻

虎の印判と調の印判
江戸城攻略と武蔵進出
北条改姓と叙爵
河越城の奪取
氏綱と社寺
鶴岡八幡宮の造営

第二節 北条氏の領国経営(氏康・氏政の時代)

一 氏康の時代

氏康、家督を継ぐ
河越合戦前後
税制の改革
東嶺智旺の来相
相甲駿三国同盟の成立
『小田原衆所領役帳』の作成

二 氏政の時代

氏康から氏政へ
長尾景虎(上杉輝虎)の来襲
支城体制の確立とその領域
永禄の飢饉
相越融和と三増合戦
氏康の死と氏政の引退と

三 土地と人の掌握

検地の実施
検地の内容
検地帳
貫高の制
農民の掌握
職人の掌握

四 年貢と公事

年貢
人数着到(軍役)
出銭と普請役
段銭と懸銭
棟別銭と正木棟別銭
夫役
船方役など
公用使役と納物課役
商売役と伝馬役

五 統一施策と領国整備

公定枡(榛原枡)の設定
貨幣対策
賃金と物価
流通政策
伝馬・宿駅政策
暦の統一

第三節 北条氏の滅亡

一 氏直の家督と信長との接触

氏直の家督相続
氏政・氏直父子と信長
神流川の戦い
氏直と家康との講和

二 秀吉との交流と臨戦体制

関東・奥両国惣無事令
氏規の上洛
軍備増強
百姓大量動員体制

三 小田原合戦

秀吉の宣戦布告状
小田原評定
秀吉の出陣と石垣山築城
相つぐ支城の陥落
小田原開場とその後の後北条氏

執筆分担一覧
年表
付表

年号一覧表
度量衡換算表
国県対照表

あとがき
口絵

配石遺構
環礫方形配石遺構
空からみた上ノ台遺跡の集落跡
土器群の出土状態
鷹匠の埴輪 厚木市教育委員会蔵
万巻上人坐像 箱根神社蔵
田辺福麻呂の歌 『万葉集巻九』から お茶の水図書館蔵
相模武士奮戦の図 『後三年合戦絵詞』から 東京国立博物館蔵
源頼朝画像 神護寺蔵
鶴岡八幡宮
北条時頼坐像 明月院蔵
安達泰盛邸図 『蒙古襲来絵詞』から 宮内庁蔵
小袋坂での一遍 『一遍聖絵』から 歓喜光寺蔵
円覚寺舎利殿
称名寺絵図 称名寺蔵 県立金沢文庫保管
結城落城 『結城合戦絵詞』から
空から見た小田原城
玉縄城跡

このページへのお問合せ

教育委員会事務局中央図書館調査資料課

電話:045-262-7336

電話:045-262-7336

ファクス:045-262-0054

メールアドレス:ky-libkocho-c@city.yokohama.lg.jp

前のページに戻る

ページID:211-516-550

  • LINE
  • Twitter
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • SmartNews