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鶴見の百年 写真情報
最終更新日 2019年2月20日
掲載ページ | 写真情報 |
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扉 | 〔写真〕 |
5 | 生麦村東海道風景 生麦事件発生地付近(『横浜市史 第二巻』より) |
5 | 生麦事件の碑 生麦1-16-4 京浜急行「生麦」駅より徒歩10分 |
6 | 生麦事件図(横浜市図書館所蔵) |
7 | 生麦事件の碑 |
9 | 〔関口日記〕 |
9 | 関口東園(藤右衛門)八十寿肖像(文政10年) 横浜開港資料館提供 |
10 | 総持寺大祖堂 |
11 | 三門の金剛力士像は元横綱北の湖がモデルといわれています。 |
15 | 浅野学園敷地内にある総一郎の銅像は京浜工業地帯をみおろすようにたっています。 |
16 | 現在の末広安善町付近 |
22 | 昭和30年ごろの鶴見臨海工業地帯の航空写真(東亜港湾工業株式会社パンフレットより) |
23 | ポンプ船2度吹 『扇島埋立工事報告書』より |
23 | 海上排砂管 |
25 | 大黒大橋は横浜港の新しいシンボルです。 |
26 | 大黒ふ頭での荷あげ作業 |
27 | 空から見た大黒ふ頭 |
28 | 花月園案内図 |
29 | 鯉の大噴水 |
29 | ペリカン |
29 | 望遠塔 |
29 | 釣橋 |
30 | チルドレンパーク |
30 | サークリング |
31 | 演芸場 |
32 | 玉井式二十四型複葉機(大正十年十二月 玉井飛行場) |
32 | 木部シゲノとアブロ式五〇四K練習機(大正十二年初夏) |
33 | 第一航空学校の開校式(大正十二年五月五日) |
33 | 第一航空学校操縦教官亀井五郎(二十一歳)は、教習中練習機のエンジン・ベッドが折れるという事故に遭遇したが、懸命に操縦し無事着陸をした。写真は、その時の練習機と亀井教官である。(大正十二年六月五日、宗里飛行場) |
35 | 『闘いの構図』上・下(青山光二著 新潮社)は第八回(昭和五十五年)平林たい子文学賞を受賞しています。 |
38 | 人気もの<クモハ12> |
38 | 天井には白熱燈,床は板ばり 柱が立っていて・・・。なつかしさいっぱいの車両です。 |
38 | こじんまりと一人席もあります |
39 | カモメがとびかう海芝浦 |
39 | 京浜運河をへだてて向岸は扇島。石油タンクが軒を連ね、その先が東京湾。ホームの下は海水が寄せ、台風で強風、高潮ともなると電車は運転休止になります。 |
39 | この駅には改札口がなく、代りに東芝京浜事業所の入口になっていて、これより先は東芝関係者以外は立入禁止地域です。 |
40 | 〔昭和駅切符〕 |
41 | 〔浅野駅〕 |
41 | 〔国道駅〕 |
43 | 蛇行する鶴見川下流域(昭和60年1月撮影 建設省京浜工事事務所提供) |
45 | 明治43年8月の水害・鶴見駅側から国鉄線路の流出状況を見るひとびと(鶴見歴史の会提供) |
45 | 明治43年8月洪水による鶴見町の浸水(鶴見歴史の会提供) |
45 | 昭和13年の大水害・市場町熊野神社境内の様子(鶴見歴史の会提供) |
47 | 昭和46年8月31日(神奈川新聞社提供) |
47 | 昭和54年から始められた浚渫工事(建設省京浜工事事務所提供) |
50 | 生麦車庫(昭和四十一年) |
51 | 第一京浜国道の混雑(昭和四十一年) |
51 | 生麦線、最終電車(昭和四十一年七月三十一日) |
53 | 一夜明けて復旧を急ぐ横須賀線事故現場(10日午前6時15分 ヘリコプターから写す)(朝日新聞社提供) |
54 | 国鉄鶴見事故遭難者之塔 |
55 | 下り電車5両目に突込んだ上り電車は馬乗りになりました。負傷者が運び出されます。(神奈川新聞社提供) |
55 | 総持寺境内にある鶴見事故慰霊碑 |
57 | 潮田のノリ干場(『橘樹郡案内記』より) |
57 | 生麦海岸のノリ取り(明治の末年ごろ)(『橘樹郡案内記』より) |
57 | 生麦漁民の鉄製貝捲機(『鶴見区史』より) |
58 | 朝の荷下ろし作業 |
58 | 魚河岸ならではの迫力 |
59 | 〔写真〕 |
59 | 朝早くから新鮮な魚を求める人々でにぎわいます。 |
59 | 魚河岸の人たちはみんな気さくで親切 |
60 | 〔たこ〕 |
60 | 〔うなぎ〕 |
60 | 〔美味味がり 1Kg 430円〕 |
61 | 〔あなご〕 |
61 | 〔箸 おり箱 包装紙〕 |
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