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古老が語る鶴見の百話 目次

最終更新日 2019年2月22日

「鶴見区関連資料目録」へ

口絵
ふるさとの心を求めて
発刊にあたって
第一章 町の移り変わり

一、町の変ぼう・発展

江ヶ崎のむかし
鶴見操車場ができたころ
ゴマみたいな顔
菅沢の海
海水侵入との闘い
生見尾村当時
ノリ取り「ベカ舟」
厳島と丸山
増上寺御霊屋領
坂道
原見世
板碑
松陰寺の山号
墳・塚
昭和初期の馬場
水の犠牲
人面土器の発掘
豊岡通り今昔
鶴見川の船着き場
江戸山古墳
大山街道
古代の住居跡と東急団地
鶴見で最初にできた旭硝子社宅
総持寺周辺
大坂ができるころ
吉田一族と寺谷
寺谷の弁天様と氷場

二、旧東海道

市場村住民の先祖
一里塚のお稲荷さん
元宮の八本松
斜めになって走るトラック
三家の軒並図
鶴見橋関門旧跡の碑
今でも景勝鶴見橋
是れより二十五丁、寺尾稲荷道
停車場道
大正から昭和初期の鶴見仲町
草葺き屋根が点在していた生麦村
生麦の茶屋町
岸谷弁財天
生麦の貝殻街道
おでんの串

三、鉄道・バス

臨港線と扇島の海水浴
下駄減らすよりバスに乗れ

四、商店街

鶴見駅西口の開設と駅前商店街
潮田本町通りの縁日
工場地帯の発展と人口の激増

五、第二国道ができるころ

国道一番の難工事
国道ができて土地と税金が値上がり

六、失業救済道路

はじめてできた鶴見獅子ヶ谷線
道路のできるまで
宮台の道路

七、区画整理

馬場谷戸の区画整理
当時だからできた
将来の街をつくる事業

八、橋

人力車一台通れる旧潮見橋
まぼろしの橋・ゆたか橋
名前を取られた鶴見橋(現鶴見川橋)
めがね橋工事の不思議
お花見ができた市場橋

九、上・下水道

横浜で最初の下水道工事
浅野水道
松をくり抜いた水道管
抜井戸

十、二ヶ領用水

市場を流れた二ヶ領用水
生活用水となった二ヶ領用水
埋立てられた二ヶ領用水(市場)

十一、灌漑用水

寺谷の大池
三ツ池用水と「どんどん川」
鎧ヶ池

十二、京浜運河

運河のできたころ
トラックに押されてなくなった運河

第二章 村々の生活

一、野菜作りに熱心な村

悲喜こもごも土地代金
茅立ち御神酒・早苗ぶり
新しい品種「八右衛門」
村中総出の川さらい
乾田の二毛作
全国的に有名な「江ヶ崎のナス」
市場の茶畑
菅沢のタマネギ
借金が払えたんだよ

二、白い花咲くナシの里

家計を潤す「市場のナシ」
百年以上の古木
一日に一本終わんないんだよ

三、谷戸田の稲作と土地改良

蒼く光る水、さえずる小鳥
寺谷あたりでは
水切れの悪い谷戸田
農民泣かせの供出制度
暗渠排水組合と耕地整理組合
底なし田んぼの改良工事
農村の民主化

四、丘陵地に広がる大根畑

理想の大根「寺尾大根」
北寺尾の新品種「三交時なし大根」
雪の中からぽん!

五、西洋野菜と天然氷

リヤカーの後押しと牛車
スイカどろぼう
三度の飯にカボチャ
ニンジンで儲けたよ
百合工場と薬用サフラン
向谷の天然氷
小遣いにでもしよう

六、植木園芸発祥の地

宗泉寺の境内で苗木を養成

七、灌漑用水に支えられて

干ばつ救った二ツ池
稲は「田舟」に乗せて
不作そして年貢米
よいコメ、でも水害が
供出米三百俵

八、イチゴ摘む白手ぬぐい

「ヤマトスイカ」の金肥
夜通し走る大八車
正月飾りの富貴ネギ
肥やし買い
「しまっぱたけ」
田んぼで作った西洋野菜

九、現金収入は副業で

これがほんとの水商売
夜も寝ないでお蚕さま
野菜を入れる三番カゴ

十、まさに桃源郷

「ビワすぐり」
試験場の先生にも負けないよ
なんともいえない里景色だったねえ

第三章 海辺の生活

一、生麦の漁業

ハエナワ漁
曳き網・イカナゴ網漁
タタキ網漁
コザラシ網
芝エビ漁
漁場と潮どき
ある漁師の生活
シャコふみ
カイマキ(貝まき、又は介捲き)
仕切り・つけ・分けうち
むきみ

二、塩田とノリの養殖

潮田の塩田
ノリの養殖
ノリは農閑期の仕事
ノリヒビ
ノリの加工・種付け
ノリの出荷

三、「ボテフリ」さん

板台から飛出すシャコ
貝の売り・買い
朝市と佃煮
夕河岸

第四章 商工業にまつわる話

一、臨海工業地帯の建設

東京湾埋立と企業の進出

二、労働運動に熱中した或る古老の話

労働運動と労働者たちの一面
造船争議と「ポンチカス」

三、労働運動の思い出の一コマ

石油労働組合の元祖
外国人社長相手に八十日間のストライキ
思い出のメーデー

四、鶴見のビール工場

「カスケードビール」と「オラガビール」
工場内では無税のビール飲み放題
キリンビール生麦進出のエピソード

五、エンゼルがほほえむお菓子工場

葦っ原の中のお菓子工場
エンゼルマークは責任保証印
従業員が協力して作った緑の環境
スポーツを通じて地域とのかかわり
菓子工場とビール工場の交歓
戦争と菓子工場

六、鶴見の煉瓦工場

地場産業として栄えた煉瓦工場
女性も働いた煉瓦工場
煉瓦船の船頭さん
関東大震災で廃れた煉瓦工場

七、潮田商店街の発展とその移りかわり

全国から集まった労働者の町「潮田」
家業は女房にまかせて商店会づくり
明るくて楽しい商店街づくり

第五章 暮し方と庶民信仰

一、町のたたずまい

街道の家並
町のようす
清水汲取り踏切
市場の灸
ぼろ市
安芸様屋敷
さぼてん茶屋の由来
菅沢村から富士山が
昭和天皇と生麦

二、肩を寄せ合う人々のくらし

農村のくらし
昔の普請
屋根葺き
町の消防団
大工仕事
病気のときは
先達様・鴨志田与右衛門
住民の人情深さ
言葉遣い・「どぶされ」
富士登山と人情
奉公
さまざまな食事
村田屋の日掛け
農家のくらし
住まいのこと
井戸水
足の便
自家製のお茶
お葬式

三、四季の行事と風習

お正月から歳末まで
どんど焼
寒餅搗

四、鎮守とお祭り

八幡宮のお祭り
日枝神社の扁額
村の鎮守社
神社の移り変り
杉山神社と水神様
祭りの暴れ御輿
白幡神社とお祭り

五、人々の娯楽

潮田の娯楽
娯楽施設など
生麦甚句
野兎捕り

六、心の安らぎ・講信仰

念仏講
稲荷講
庚申講
地蔵講
三峰講
富士講
不動講
日待ち
道了講
大山参り
地神講
入道講

七、風土に培われた伝統芸能

市場囃子
獅子ヶ谷の獅子舞
蛇も蚊もまつり(本宮)
市場雅楽
水神宮の神楽

第六章 赤ナス 金太ナス ぎゃあろんぼ

一、障子の学校から

雪道を竹馬に乗って
学校が足りない
二銭の小遣いと五円札
裸足で でんでん
気前のいい花見客
駒下駄と藁草履
絣の着物でABC
村の学校と越境入学
人さらいが出る
弁当のおかずがちがうんだよ

二、道草しながら

お化けの正体
麦畑を抜けて
口のまわりが真赤っか
どろぼう山でうさぎ追い
机を担いで

三、子どもだって一人前

「三時だ、起きろ!」
学校をやめて奉公に
お茶受け運び
昔は不景気だったもの
荒れた指先とひのきの油
夜中に出かけるボテフリさん
「むき身エイッ アサリエイッ」
人参畑の草むしり
うちの庭とおんなじサ

四、野山を駆け巡り

川の遊びと下町の名人
がき大将
ちいちゃくなあれ
トンボの王様
ネッキ棒とホンチ遊び
赤ナス 金太ナス ぎゃあろんぼ
竹ぞりとゴロベース
ドジョウ打ちとウナギの穴釣り
狐火
ホタル

五、今も聞こえる祭り太鼓

十夜と双盤念仏
夜明けの太鼓

第七章 天災・事件

一、油断大敵-関東大震災の思い出話-

やっぱり地震が一番怖い
満ちるヒューマニズム
まどわされるな流言飛語に
大震災と落ち梨

二、天災は忘れたころにやって来る

大正六年の大津波
一瞬の山津波・辺り一面泥の海
堤防が決壊!変電所が浮いている
百年に一度の大洪水

三、火の用心!マッチ一本火事のもと

汽車の火の粉が藁屋根に
二本木の大火
おばあちゃんの荷物と火事場どろぼう

四、第二次世界大戦-生兵法は怪我のもと-

焼夷弾攻撃を受けた菅沢方面の話
生麦方面の話
三ツ池公園方面の話
岸谷方面の話・悲惨な爆死者の処理
高射砲陣地とB29
空襲余話

第八章 鶴見川とくらし

一、川の流れに親しんで

潮の香りと松並木
ガラ場を通る船
一間流れりゃきれいだよ
潮田の渡し
船頭ひと筋
濁流

二、生活の糧としての川魚漁

ナマズ漁と鯉縄の舟
ピンピン跳ねるシラウオ
天然マスと車エビ
ウナギとり名人・赤ガネさん
ウナギの稚魚・メソ
魚供養
太郎兵衛と次郎かっぱ

第九章 大人の夢・子供の夢

一、花月園

パリの遊園地と観音さま
アイドルはゾウのおじさん
子供に大人気!大山すべり
お化け屋敷の踊り子
「さるかに合戦」「金太郎」
二十銭の日当、五十銭の鯛飯
文人墨客が集った花月園
花香園と市島別荘

二、上遠牡丹園

ホタルの里と人力車
趣味で始めた花卉園芸
みんなに愛されて
惜しまれながら

三、三笠園

房野池
投げ縄とカウボーイ
オリンピック予選
民衆花壇

あとがき
談話者一覧
古老が語る鶴見の百話刊行委員会
編集・執筆者・協力者一覧

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教育委員会事務局中央図書館調査資料課

電話:045-262-7336

電話:045-262-7336

ファクス:045-262-0054

メールアドレス:ky-libkocho-c@city.yokohama.jp

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