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板碑 寛元銘
最終更新日 2018年10月22日
文化財は長い間受け継がれてきた大切な財産です。
原則として公的機関が所蔵するもの以外は非公開となっています。
見学等にあたっては所有者の意向に充分ご配慮いただきますようお願いいたします。
板碑 寛元銘
(画像提供:横浜市教育委員会事務局)
名称 (ふりがな)
板碑 寛元銘 (いたび かんげんめい)
分類/指定年月日
考古資料 平成4年11月2日 市指定
概略
板碑は中世に盛んに造られた石塔の一種で、板状の形をしているからそう呼ばれている。石材・形状ともに地域によって多種多様のものがある。この寛元銘板碑は鴨志田町の集合墓地内にある。
当初は河原石の小山が3つ並んだ中央に碑面を東側に向けて立っており、その下に6~7個の河原石に囲まれた蔵骨器が埋葬され、墓碑的な性格を持ったものだったようである。板碑は秩父産の緑泥片岩で作られている。碑面には阿弥陀如来をあらわす種子キリークが大きく薬研彫りされ、その下の右側に「寛元第二口」、左側に「七月廿口」の紀年銘が確認できる。この寛元2年は西暦で1244年、県内で確認されている板碑の中では最古のものである。
時代:鎌倉時代 寛元2(1244)年
法量:高133センチメートル 上幅47.5センチメートル 中幅49.5センチメートル 下端幅52.0センチメートル 厚さ8.0センチメートル
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