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知ってる?西区のむかし

最終更新日 2024年2月1日

西区文化協会が発行している広報誌「にしぶんか」から、 これまでの西区の歴史をひも解いていきます。ぜひ西区のむかしに思いをはせてみてください。

西区文化協会とは?

西区文化協会は1981(昭和56)年の創立。創作・芸能・茶道部門に分かれて活動しており、誰でも加入できます。「にしぶんか」は創立から5年後に発刊されました。西区に密着した文化と歴史、地域に隠された趣あるエピソードを交えて、温故知新を語り継ぐ広報誌です。地域振興課(区役所4階48番窓口)でお渡ししています。

第5回 日本貿易博覧会(2024年2月号掲載)・・・・・・にしぶんか No.34から

知ってる?西区のむかし第5回内容
知ってる?西区のむかし第5回

日本の復興をアピールし、貿易の再開を求めて1949(昭和24)年3月15日から6月15日まで、横浜市と神奈川県の共催により「日本貿易博覧会」が開催され、国内外から360万人の入場者数を記録しました。会場は野毛山公園と反町公園です。野毛山公園では児童館・天文館・観光館・特設野外会場・動物園などが設けられ、反町公園では産業館・企業紹介館・外国館などが設けられました。野毛山公園は子ども向けなど娯楽色の強いものが設けられていました。野毛山の特設野外会場では大人気を博したテレビジョンの公開実演のほか、のど自慢大会、人形劇、お化け屋敷などが行われました。横浜港から戦後初の生糸の輸出が行われたことから、この博覧会は横浜が貿易港として再出発する記念のイベントでもあったのです。
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日本貿易博覧会野毛山会場のにぎわいの画像
日本貿易博覧会野毛山会場のにぎわい

第4回 掃部山の銅像(2023年12月号掲載)・・・・・・にしぶんか No.32から

知ってる?西区のむかし第4回内容
知ってる?西区のむかし第4回

「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も眠れず」
幕末、ペリー提督が黒船四隻を率いて江戸湾に来航した時の世相を詠んだ戯れ歌です。上喜撰は宇治の高級茶で、蒸気船に引っ掛けています。歌の意味は、「泰平の世の中にたった四隻の黒船が来たことで(たった四杯の高級茶のカフェインで)夜も眠れなくなってしまったことよ」といったものです。
海岸には異国の巨船見たさに野次馬が押し寄せ、幕府は開港を迫るアメリカの圧力に右往左往しました。時の大老井伊直弼は、朝廷の許可(勅許)を得ずに独断で開港したと、尊皇派の怒りを買ってしまいます。そして「桜田門外の変」で倒れます。横浜にとっては直弼の「勇断」によって、寒漁村から大都市への未来が開けたと言うことができます。直弼の銅像は掃部山公園から海を見下ろしています。
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掃部山の銅像のスケッチ画像

第3回 近代水道の誕生(2023年10月号掲載)・・・・・・にしぶんか No.34から

知ってる?西区のむかし第3回内容
知ってる?西区のむかし第3回

開港場近くの居留地や日本人街には人口が密集していました。しかしこの地域は埋立地で水質が悪く、井戸を掘っても塩分を含んだ水しか得られませんでした。ここにきれいな大量の水を安定的に供給する必要に迫られました。この事業はイギリス人技師のヘンリー・パーマーに委託されました。パーマーは日本人技術者と一緒に、相模川上流から総延長43kmの導水管(鉄管)を敷設して水を野毛山に導き、貯水池と浄化槽を設けました。この導水管を埋設した道が水道道と呼ばれています。1887(明治20)年10月、野毛山から日本最初の近代水道として市街地への供給が開始されました。これを記念して野毛山にはパーマーの胸像と顕彰碑が建てられました。
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パーマーの胸像と顕彰碑

パーマーの胸像と顕彰碑の画像
パーマーの胸像と顕彰碑

第2回 新橋・横浜間の鉄道開通(2023年8月号掲載)・・・・・・にしぶんか No.35から

知ってる?西区のむかし第2回内容
知ってる?西区のむかし第2回

江戸から明治の世になると、国の近代化のために多くの人や物資を一度に運べる鉄道の敷設が大切だと考える人々が現れました。明治政府の大隈重信や伊藤博文たちでした。一方で、鉄道よりも軍備優先だと考えるグループがありましたが、明治天皇を後ろ盾にして鉄道建設計画は着々と進められました。今から150年ほど前の1872(明治5)年、新橋と横浜を結ぶ全長27kmの日本最初の鉄道が完成しました。その「初代横浜駅」は開港場に近い、今のJR桜木町駅の場所に造られました。その後、京都・大阪方面に鉄道を伸ばすために便利な、東京寄りの高島町に「二代目横浜駅」が。さらに現在の横浜駅は「三代目横浜駅」の場所に建て替えられています。新橋・横浜間に敷かれた鉄道がその後の鉄道の発展と、日本の近代化の礎となりました。
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初代横浜駅(横浜開港資料館所蔵)

初代横浜駅の画像
初代横浜駅

第1回 西洋文化との出会い(2023年6月号掲載)・・・・・・にしぶんか No.34から

知ってる?西区のむかし第1回内容
知ってる?西区のむかし第1回

アメリカのペリー艦隊の浦賀への来航をきっかけに、西欧諸国の日本に対する開港圧力が強まりました。武力で劣る日本はやむを得ず開港を決めましたが、その影響をできるだけ小さくするため、港は当時寒村だった横浜村(現在の神奈川県庁近く)に開設しました。東海道と港を結ぶための道路を突貫工事で造りました。現在の浅間町から、平沼、戸部を経て港へつながる最短道路です。このために野毛山は削られ、「野毛の切通し」が生まれました。野毛山からは、港近くの外国人居留地や外国船が望めましたし、イギリスやフランスの兵隊が訓練後に、
ラッパを吹きながら山手の駐屯地に戻る行軍も見えました。こうした光景は当時の人たちにとって異国情緒あふれる新鮮なものと映りました。
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イギリス軍駐屯兵の行進

イギリス軍駐屯兵の行進の画像
イギリス軍駐屯兵の行進

野毛の切通しより開港場方面を望む(横浜市立図書館所蔵)

野毛の切通しより開港場方面を望むの画像
野毛の切通しより開港場方面を望む

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このページへのお問合せ

西区制80 周年記念事業実行委員会(事務局:西区区政推進課内)

電話:045-320-8321

電話:045-320-8321

ファクス:045-314-8894

メールアドレス:ni-suishin@city.yokohama.jp

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