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中区の町名とその歩み(は行の町名)

最終更新日 2019年2月18日

「はひふへほ」から始まる町名の由来と、設置年月日を掲載しています。
出典 「横浜の町名」横浜市市民局(平成8年12月発行)・橫濱市町名沿革誌(昭和14年発行)・横浜市報

羽衣町(はごろもちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡吉田新田の内であり、明治2年までは姿見町裏と呼んだ。明治2年8月に羽衣町字1丁目から3丁目を新設した。昭和3年の町界町名地番整理施行にともない姿見町、蓬莱町、梅ケ枝町の一部と浪花町を合併した。町名は洲干弁天を遷座した厳島神社に因み天女に関係のある「羽衣」を選んだ。謡曲「羽衣」がある。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

初音町(はつねちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡太田村といい、明治4年に町並みの整ったところに初音町字1丁目から4丁目までを新設した。昭和3年の町界町名地番整理施行にともない字4丁目の区域を前里町に編入し、黄金町、三春町の各一部を編入した。町名は佳名を採った。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

花咲町(はなさきちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。花咲町の地域は、元治元年(1864)に野毛山下の海岸を埋め立てて石炭倉庫を建てたところであるが、明治3年から5年にかけて倉庫を取り壊し、明治5年11月に花咲町字1丁目から12丁目までを新設した。昭和3年の町界町名地番整理施行にともない花咲町字1丁目を緑橋に延長し、福島町を廃止して花咲町字2丁目に改め、戸部橋際を境に花咲町字7丁目と改め、花咲町字8丁目から12丁目を廃止した。町名は町の前を流れていた桜木川(後に桜川と改称し、その後埋め立てられている)に因み佳名を採った。花咲町1丁目から3丁目の字区域が中区に属し、花咲町4丁目から7丁目の字区域が西区に属している。

英町(はなぶさちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡太田村といい、明治4年に町並みの整った所に英町字1丁目から4丁目を新設した。昭和3年9月の町界町名地番整理施行にともない字3丁目を前里町、西中町に編入し、霞町の一部を編入した。町名は『淮南子の「清水有黄金龍淵有玉英(清水に黄金あり、龍淵に玉英あり)」から「英」を採った。「清水町(廃町)」、「黄金町」と対になっている。

万代町(ばんだいちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡吉田新田の南一ツ目と呼ばれる沼地であったが、明治6年4月に掘割川を切り開いた土砂で埋め立て、不老町、翁町、扇町、寿町、松影町などとともに万代町を新設した。町名は佳名を採った。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

久方町(ひさかたちょう)

明治6年11月設置。
昭和3年廃止。
吉田新田埋立地内に設置。昭和3年9月1日町界町名整理の際に廃止。
現在の中区伊勢佐木町4丁目、長者町6丁目、曙町1,2丁目の一部。

日ノ出町(ひのでちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。この地域は江戸時代の宝暦年間(1751~1763)に埋め立てられ、久良岐郡太田村といい、安政6年(1859)の横浜開港の際、横浜の警備を命じられた越前福井藩主松平越前守茂昭が越前陣屋(太田陣屋)を置いた所である。その後、陸軍用地となり、明治4年9月に町並みの整った所に日ノ出町字1丁目から3丁目を新設した。昭和3年の町界町名地番整理施行にともない字3丁目を廃止した。町名は佳名を採った。町は1丁目と2丁目の字区域がある。

福島町(ふくしまちょう)

明治5年5月設置。
昭和3年廃止。
福島長兵衛の埋立地に設置。その姓を採って町名とした。昭和3年9月1日町界町名整理の際に廃止。現在の中区花咲町2丁目の一部。

福富町(ふくとみちょう)

明治3年6月設置。
昭和3年廃止。
吉田新田内の家屋が連なって建っていた場所に新設。現在の中区福富町東通、同西通の地である。昭和3年9月1日町界町名整理の際、これを3ケ町(福富町仲通、同東通、同西通)に分立して福富町を廃止。

福富町仲通(ふくとみちょうなかどおり)

昭和3年9月1日設置。
昭和3年の町界町名地番整理施行にともない福富町字2丁目、長者町の各一部から新設した町。古くは久良岐郡吉田新田の内、勇吉新田、加島新田で、明治3年に町並みの整った所に福富町字1丁目から3丁目までを置いた。町名は縁起を祝って佳名を採った。

福富町西通(ふくとみちょうにしどおり)

昭和3年9月1日設置。
昭和3年の町界町名地番整理施行にともない福富町字3丁目から新設した町。古くは久良岐郡吉田新田の内、勇吉新田、加島新田で、明治3年に町並みの整った所に福富町字1丁目から3丁目までを置いた。町名は縁起を祝って佳名を採った。

福富町東通(ふくとみちょうひがしどおり)

昭和3年9月1日設置。
昭和3年の町界町名地番整理施行にともない福富町字1丁目、長者町の各一部から新設した町。古くは久良岐郡吉田新田の内、勇吉新田、加島新田で、明治3年に町並みの整った所に福富町字1丁目から3丁目までを置いた。町名は縁起を祝って佳名を採った。

富士見町(ふじみちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。もとは、久良岐郡吉田新田の内であり、明治5、6年頃に富士見町字1丁目から5丁目までを新設した。明治15年に富士見町字3丁目を永楽町へ、富士見町字4丁目・5丁目を真金町に編入し、富士見町は字1丁目・2丁目となる。町名は佳名を採った。

不老町(ふろうちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。明治6年4月に吉田新田の沼地を埋め立て、不老町字1丁目から3丁目までを新設した。町名は「不老不死」の地とされる霊山蓬莱に因んで佳名を採った。小泉八雲は『Glimpses of unfamiliar Japan.』の「At the Market of the Dead.」に不老町を「the Street Everlasting.」と紹介している。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

弁天通(べんてんどおり)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859)の横浜開港に際し、弁天通字2丁目から5丁目までを新設した。明治4年4月に丁目の数え方を変更し、神奈川県庁を起点として字1丁目から6丁目までを置く。町名は洲干弁天社へ一直線に通づる道路にあたることから名付けた。町は1丁目から6丁目の字区域がある。

蓬莱町(ほうらいちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。明治6年に羽衣町裏の埋立地に蓬莱町字1丁目から4丁目までを新設した。昭和3年の町界町名地番整理施行にともない蓬莱町字4丁目を長者町字5丁目に入れ、羽衣町字1丁目・2丁目の一部を編入した。町名は不老不死の地とされる霊山蓬莱に因んで佳名を採った。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

本郷町(ほんごうちょう)

昭和3年9月1日設置。
昭和3年に本牧町の一部から新設した町。本郷町字1丁目・2丁目を置き、その後、昭和8年に本郷町字3丁目を置く。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、北方村と合併して本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名は旧村名を採った。地名研究で「本郷」とは「枝郷、出郷、出村」に対しての「本郷」を意味するという。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

本町(ほんちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859)6月2日の横浜開港に際して本町字1丁目から5丁目を新設した。明治4年4月に神奈川県庁を起点として丁目の数え方を変更し、字1丁目から6丁目を置いた。町名は横浜町の真ん中という意味で名付けた。町は1丁目から6丁目の字区域がある。

本牧町(ほんもくちょう)

明治34年4月1日設置。
明治34年の横浜市編入の際、久良岐郡本牧村大字本郷から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村大字本牧本郷となる。昭和8年の町界町名地番整理施行にともない旧字名を廃止して本牧町字1丁目から4丁目までを置き、旧本牧町の区域に本牧荒井、本牧満坂、本牧緑ケ丘、本牧元町、本牧大里町、本牧三之谷、間門町、本牧和田、本郷町、本牧十二天を置いた。『横浜文書』の「北条氏康禁制(天文14年・1545)」に「本牧郷」の記録がある。「本牧」は「本目」と書いた記録があり、地形状からも牧場との関係はないと考えられる。町は1丁目と2丁目の字区域がある。

本牧荒井(ほんもくあらい)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年の町界町名地番整理施行にともない本牧町、根岸町の各一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、北方村と合併して本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名は字名を採った。地名研究で「アライ」は「新居、新しい村」を意味するという。

本牧大里町(ほんもくおおさとちょう)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名は字名「大谷戸」と「下里」から「大」と「里」を採った。

本牧三之谷(ほんもくさんのたに)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名は字名を採った。本牧村には一之谷、二之谷、三之谷の谷戸がある。なお、三溪園(さんけいえん)の「三溪(さんけい)」は、創設者、原富太郎(はらとみたろう)の号であるが、「さんのたに」を意味している。

本牧十二天(ほんもくじゅうにてん)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。昭和61年7月21日に住居表示を施行し、小港町、錦町の各一部を編入した。町名は字名を採った。町名の「十二天」は魚網の中に十二天のご神体が出現し、それを祀った本牧村の鎮守、十二天(本牧神社)に因んで名付けた。

本牧原(ほんもくはら)

昭和61年7月21日設置。
昭和61年の住居表示施行にともない錦町、本牧三之谷、本牧十二天、本牧町、本牧元町、本牧和田の各一部から新設した町。町名は字名に「本牧」を冠した。

本牧ふ頭(ほんもくふとう)

昭和43年8月31日設置。
昭和43年の錦町地先の埋め立てにともない新設した町。その後、数十次にわたる埋立地の編入で現在の町区域となる。町名は、この埋立地が「本牧ふ頭」と呼ばれていたことから名付けた。

本牧間門(ほんもくまかど)

平成6年9月26日設置。
平成6年の住居表示施行にともない、本物三之谷、間門町の各一部から新設した町。町名は、従前の町名「間門町」に地元要望により「本牧」を冠した。間門町は、昭和8年の町界町名地番整理施行にともない、本牧町、根岸町の各一部から新設し、町名は本郷村の小名を採った。柳田國男は「マカド」とはアイヌ語のマカ(開く、開けたる)と、ト(湖水)という二語からでたものではないかという。他の地名研究で「マカド」は「崖などの急斜地」を意味するという。

本牧満坂(ほんもくまんざか)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名は字名を採った。地名研究では「マンザカ」は「崖の谷戸」を意味するという。

本牧緑ケ丘(ほんもくみどりがおか)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年の町界町名地番整理施行にともない本牧町、根岸町の各一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、北方村と合併して本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。町名はこの地域に丘陵が多く、緑葉風光を添える地であることから佳名を採って名付けた。

本牧宮原(ほんもくみやばら)

昭和61年7月21日設置。
昭和61年の住居表示施行にともない小港町、本牧十二天、本牧町の各一部から新設した町。町名は字名に「本牧」を冠した。

本牧元町(ほんもくもとまち)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。昭和40年代に4回にわたり埋立地の編入をした。町名はこの地域が本牧本郷村の中心であったことから「元町」と名付けた。

本牧和田(ほんもくわだ)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に本牧町の一部から新設した町。古くは久良岐郡本牧本郷村といい、明治22年の市町村制施行の際、本牧村となり、明治34年の横浜市編入の際、本牧町となる。昭和61年7月21日の住居表示施行にともない、本牧荒井、本牧三之谷、本牧町、間門町の各一部を編入した。町名は字名を採った。地名研究で「ワダ」とは「川の曲流部などのやや広い丸みのある平地」で、そこが田であることを要しないという。

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