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中区の町名とその歩み(な行の町名)

最終更新日 2024年7月16日

「なにぬねの」から始まる町名の由来と、設置年月日を掲載しています。
出典 「横浜の町名」横浜市市民局(平成8年12月発行)・橫濱市町名沿革誌(昭和14年発行)・横浜市報

仲尾台(なかおだい)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に根岸町の一部から新設した町。古くは久良岐郡根岸村といい、明治34年の横浜市編入の際、根岸町となる。町名はこの地域が台地にあるため字名「仲尾」に「台」を付けて名付けた。地名研究で「ナカオ」は「谷戸の中央の尾根」を意味するという。

長島町(ながしまちょう)

明治6年11月設置。
昭和3年廃止。
吉田新田埋立地に設置。昭和3年9月1日町界町名整理の際に廃止。
現在の中区伊勢佐木町5、6、7丁目の一部区域である。
長島町4、5丁目の一部区域は曙町となる。
長島町7丁目の一部は南区山王町となる。

浪花町(なにわちょう)

詳細不明設置。
昭和3年廃止。
「横浜開港五十年史」(1909年)では慶應2年新設と記載があるが、明治初年の地図には掲載されていない。吉原遊廓の設置(慶應3年)後、明治5年頃に町名を付した可能性がある。昭和3年9月1日町界町名整理により廃止。
現在の中区羽衣町3丁目の大部分。

賑町(にぎわいちょう)

明治6年11月設置。
昭和3年廃止。
吉田新田埋立地内に新設。昭和3年9月1日町界町名整理の際、廃止。
現在の中区伊勢佐木町3、4丁目に含まれる。
賑町2丁目の一部区域は曙町となる。

錦町(にしきちょう)

昭和42年11月10日設置。
昭和42年の本牧町、本牧元町などの地先の埋め立てにともない新設した町。町名は縁起を祝って名付けた。

西竹之丸(にしたけのまる)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に根岸町の一部から新設した町。古くは久良岐郡根岸村といい、明治34年の横浜市編入の際、根岸町となる。町名は字名を採った。

西之谷町(にしのやちょう)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年の町界町名地番整理施行にともない北方町、本牧町、根岸町の各一部から新設した町。古くは久良岐郡北方村という。町名は字名を採った。『新篇武蔵風土記稿』の「北方村」の項に「西谷戸 西南なり」の記録がある。「谷」は「谷戸」の省略形である。

日本大通(にほんおおどおり)

昭和3年9月1日設置。
昭和3年の町界町名地番整理施行にともない境町を廃止し、その区域と山下町および本町字1丁目の一部から新設した町。古くは久良岐郡横浜村といい、安政6年(1859)の横浜開港で外国人居留地と定めたが、最初は町名を設けなかった。明治12年1月に外国人居留地内に町名を付け、加賀町、薩摩町、越後町など30か町を新設し、当町を日本大通と名付けた。明治33年に日本大通を山下町と改称して字日本大通となる。町名は旧字名を採った。

根岸旭台(ねぎしあさひだい)

昭和15年4月1日設置。
昭和15年に根岸芝生台を根岸旭台に改称して新設した町。古くは久良岐郡根岸村といい、明治34年の横浜市編入の際、根岸町となる。昭和8年に根岸町の一部から根岸芝生台を新設した。『新篇武蔵風土記稿』の「根岸村」の項に「芝生 南の方を云」の記録がある。

根岸加曽台(ねぎしかぞうだい)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に根岸町の一部から新設した町。古くは久良岐郡根岸村といい、明治34年の横浜市編入の際、根岸町となる。町名はこの地域が台地にあるため字名「加曽」に「台」を付けて名付けた。『新篇武蔵風土記稿』の「根岸村」の項に「加曽 東の方にあり」の記録がある。地名研究で「カゾ」は「崖」を意味するという。

根岸芝生台(ねぎししばふだい)

昭和8年4月1日設置。
昭和15年廃止。
昭和8年に根岸町の一部から新設した町。芝生台、寺久保、西根岸町字下、西芝生から字名の一つを採り、根岸の芝生台であるとしてこの町名とした。
昭和15年4月1日の町名改称にて廃止。現在の根岸旭台となる。

根岸台(ねぎしだい)

昭和8年4月1日設置。
昭和8年に根岸町の一部から新設した町。古くは久良岐郡根岸村といい、明治34年の横浜市編入の際、根岸町となる。字名に「仲丸」があるが、昭和7年に神奈川区中丸が新設されているため、この地域が根岸の台地であることから根岸台と名付けた。

根岸町(ねぎしちょう)

明治34年4月1日設置。
明治34年の横浜市編入の際、久良岐郡根岸村から新設した町。古くは久良岐郡根岸村という。昭和2年に根岸町の一部の字芝生、西芝生、下、坂下、馬場、上の区域を西根岸町と改称して磯子区に編入した。昭和8年の町界町名地番整理施行にともない磯子区西根岸町字下の一部を中区根岸町字芝生台に編入し、旧字名を廃止して18か町を新設した。『横浜文書』の「眞照寺圓鎮法印遺跡寄進状(寛正4年・1463)」に「平子郷根岸村」の記録がある。柳田國男は『地名の研究』の「地名考説」で「東京と横浜に1つずつある根岸という地名は、また関東から奥州にかけて数多い地名である。『地名辞書』には前代の地誌の説を承けて、山の根岸の義なるべしと書いてある。またそれより他の解しようもない。目撃または地図によって自分が検した数箇所の地形もこれに合致している。ただし何ゆえにこの地名がはなはだ多く発生したかについては、なお考えてみる必要がある。岸はもと水際のことであるのを、丘の麓にまで準用したのは、方言かあるいは転訛である。」と述べている。『新篇武蔵風土記稿』の根岸村の項に「此地西北山にして、其根岸なれは則村名とすと云」の記録がある。地名研究で「ネギシ」は、「山・岡の麓に沿った地」、「崖・斜面」を意味するという。町は1丁目から3丁目の字区域がある。

野毛町(のげちょう)

明治22年4月1日設置。
明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入した町。古くは久良岐郡戸部村野毛浦といい、横浜の開港にともない万延元年(1860)に神奈川奉行預り地となり、野毛町を新設し、字1丁目から4丁目までを置く。昭和3年9月1日の町界町名地番整理施行にともない丁目の配列を変更した。中島利一郎は『日本地名学研究』の「神奈川雑記」に「野毛は突端の訳で、ここばかりでなく、金沢八景の所謂能見堂も、林羅山が、『寛明日記』正保2年の条に、「金沢のノツケ堂をば、金岡が筆を捨て仰に反りたりと云事証説なし」と書いてゐるやうに、ノツケといつた。吉田博士は、「今按ノツケは方俗に野毛と云ふと一語にあらずや」といつてゐる通りで、ここのも横浜野毛山と同じく、突端の義であることは明かである。」と述べている。また、地名研究では「ノゲ」は「崖」を意味することが多いという。町は1丁目から4丁目の字区域がある。

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