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教育委員会事務局中央図書館調査資料課
電話:045-262-7336
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最終更新日 2019年2月13日
芝居番付とは、興行を宣伝するために作成されたチラシやポスターのような広報物のことをいいます。演目や役者の情報だけでなく、当時の世相も知ることができる貴重な資料です。デジタルアーカイブでは、明治から大正時代の横浜で上演された芝居番付106点を公開しています。
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デジタルアーカイブ都市横浜の記憶 URL:https://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/(外部サイト)
デジタルアーカイブでは、高精細画像をご覧いただけます。
横浜市中央図書館で所蔵している芝居番付の目録は『横浜の芝居番付』(池田千代吉/編 横浜市図書館 1977)をご参考にしてください。
江戸時代から開かれていた「下田座」と明治期に開いた「佐野松座」が合併、羽衣町に移転し、明治3(1870)年10月に「下田座さの松」となる。下田座さの松は明治13(1880)年に「下田座平清」、明治15(1882)年に「羽衣座」と改称し、火事による再建を繰り返しながら、大正4(1915)年1月まで続いた。
〔下田座さの松 芝居番付〕(小番付)明治時代前期(外部サイト)
明治13(1880)年、賑町(現在の伊勢佐木町)に開場。羽衣座(下田座さの松)や湊座のような大劇場とは異なり、小劇場で安価に楽しめる賑座は庶民の劇場として人々に愛された。座付き役者で同じ興行を長期間繰り返すことが多かったが、「ハンケチ女」と呼ばれた女性たちが常連客として通い、にぎわっていた。その様子から、賑座の小芝居は俗に「ハンケチ芝居」と呼ばれた。
大正4(1915)年7月に「朝日座」と改称、のちに映画館花月となり、戦後の「横浜花月映画劇場」へと続いた。
〔賑座 芝居番付〕明治23(1890)年1月31日(外部サイト)
明治7(1874)年7月26日、住吉町1丁目に中村翫雀一座の「近世開港魁(きんせいみなとのさきがけ)」「当招魂祭祀(ときにむかうみたまのにぎわい)」で開場。座主は高島嘉右衛門。「近世開港魁」は瀬川如皐(じょこう)(三世)の新作現代劇、「当招魂祭祀」は仮名垣魯文による。舞台照明にガス灯を用いるなど、目新しさで多くの観客を集めた。
経営者を変えながら興行が続いたが、明治33(1900)年7月14日より「世界無此ホノグラフ」興行が最後の記録となっている。
〔湊座 芝居番付〕明治27(1894)年10月10日より開場(外部サイト)
この演目は同年8月31日から10月初旬まで浅草座で興行、その後10月10日から10日間、横浜の有志者に呼ばれ湊座での興行を行った。
湊座の興行が終わると音二郎は戦地の視察へ出かけ、その成果を同じ湊座で翌年1月2日に「戦地見聞日記」として行った。「日清戦争」は翌年蔦座でも興行が行われている。
明治34(1901)年1月31日に雲井町(現在の中区曙町)に「雲井座」として開場。明治36(1903)年1月に雲井座は閉場したが、同年10月8日に横浜座と改称し藤沢浅二郎一座で舞台開きが行われる。その後、望月正義らの新派劇による長期興行を行うなど、新演劇を中心に興行を続けた。大正4(1915)年9月3日、松竹直営となる。杮落しの公演では十五世市村羽座衛門、五世中村歌右衛門が寿三番叟(ことぶきさんばそう)を演じた。大正12(1923)年9月1日、関東大震災にて消失し、廃座となる。
〔横浜座 芝居番付〕大正8(1919)年9月6日より開場(外部サイト)
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