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保土ケ谷区史 目次

最終更新日 2018年8月29日

「保土ケ谷区関連資料目録」へ

『保土ケ谷区史』発刊によせて
『保土ケ谷区史』発刊によせて
『保土ケ谷区史』発刊を祝って
『保土ケ谷区史』発刊を祝って
凡例
通史編
「かたひら」から「ほとかや」へ
第一章 原始・古代、中世
第一節 原始・古代の保土ケ谷区域
第一項 保土ケ谷区域の黎明
起伏に富んだ丘陵の形成
関東ローム層中の足跡
第二項 縄文時代の土器と集落
(1) 土器の誕生とその成立
縄文時代
最古の土器
早期の土器と遺跡
(2) 縄文海進と貝塚の形成
縄文時代前期の土器と遺跡
貝塚の形成
(3) 大型集落の形成
縄文時代中期の土器と遺跡
定型的集落の出現
(4) 縄文時代の終わり
縄文時代後期・晩期の土器
縄文時代後期・晩期の遺跡
第三項 稲作の始まった弥生時代
(1) 稲作農業の始まり
弥生時代
弥生時代の土器
稲作農業と農具
石器と鉄器の普及
(2) 弥生時代の集落と方形周溝墓
中期の集落
後期の集落
第四項 古墳時代の始まり
(1) 古墳の出現と発展
古墳時代
初期の古墳
後期の古墳
(2) 古墳時代の生活と集落
古墳時代の土器
古墳時代の集落
第五項 奈良・平安時代の保土ケ谷区域
(1) 律令国家の成立と発展
律令制の時代
武蔵と相模の国
律令制時代の役所
国分寺の造営
仏教の普及と火葬墓
御殿林遺跡
(2) 律令制時代の庶民の生活z
条理制
庶民の生活
第二節 中世の保土ケ谷区域
第一項 武家支配の始まり
(1) 中世武士支配の成立
鎌倉幕府と武蔵国武士団
畠山重忠とその滅亡
榛谷御厨
(2) 榛谷御厨の変遷
榛谷氏滅亡後の榛谷御厨
鎌倉幕府の滅亡
室町時代の榛谷御厨
鎌倉公方と関東管領上杉氏の対立のころ
(3) 帷子郷
臼田文書にみられる小帷郷
歌にみられるかたびら郷
第二項 戦乱の時代
(1) 小田原北条氏の興亡
小田原北条氏の支配
小机衆中田加賀守
中田加賀守館
小田原北条氏滅びる
小田原北条氏遺臣の土着
今井砦
第二章 江戸時代
第一節 保土ケ谷宿の成立と発展
第一項 保土ケ谷宿の成立
街道の整備
保土ケ谷・藤沢間の道
神奈川坂の位置
元町付近の道路工事
元町付近の治水対策
保土ケ谷宿の成立
保土ケ谷と神戸の関係
第二項 保土ケ谷宿の発展
地子免除
新東海道の造成
新保土ケ谷宿の町並
住民の移動
第三項 人馬の継立
伝馬の制
宿の人馬
助郷人馬
継立の苦労
金沢道の継立
当分助郷
第四項 宿泊施設
本陣・脇本陣
旅籠屋
飯盛女
茶屋
第五項 宿場の諸商人・職人
街道沿いの暮らし
菜種作りのようす
第六項 保土ケ谷の道と道標
八王子道と相州道
和田村道橋改修碑
金沢道入口
第七項 寄場組合
寄場組合の設置
寄場組合村
犯罪者の捕縛
条目の徹底
組合村の変動
第二節 村々の生活
第一項 村々の仕組
保土ケ谷区の旧町村
村高
村役人
名主
年寄
百姓代
米作り
余業と御捉飼場
第二項 検地と年貢
検地
検地帳
今井新田
年貢
小物成
第三項 新田開発
平沼・岡野新田
新井新田
帷子新田
今井新田
第四項 保土ケ谷の信仰
(1) 神社の分布
神戸神明社
杉山神社
今井川流域の社寺
(2) 村人たちの信仰
地蔵菩薩信仰と地蔵菩薩塔
庚申信仰と庚申塔
地神塔
馬頭観世音塔
二十六夜塔
出羽三山供養塔
百万遍供養塔
徳本念仏塔
ミニ霊場巡り
第五項 災害
江戸時代の災害
初期の災害
中期の災害
後期の災害z
第三節 横浜開港と保土ケ谷
第一項 帷子川と今井川
帷子川
坂本村風水害の記録
今井川の改修
余聞 石工鈴木八五郎
第二項 黒船来航と保土ケ谷宿
黒船来航
日本からの贈呈品
外国人の見た保土ケ谷宿
吉田松陰
横浜開港
第三項 横浜に進出した保土ケ谷商人
横浜開港場へ
横浜町総年寄となる
第四節 宿場の文人と浮世絵
第一項 保土ケ谷ゆかりの文人
紀行文などに見る保土ケ谷
俳諧が盛んだった保土ケ谷宿
保土ケ谷の歌人たち
五返舎半九の謎
第二項 浮世絵から見た保土ケ谷
風景画錦絵続々と
広重(初代)「東海道五拾三次之内 保土ケ谷 新町橋」
前北齋為一「冨嶽三十六景 東海道 程ケ谷」
一惠齋芳幾「東海道中栗毛弥次馬 程ケ谷」
その他の風景画
美人画
役者絵
第三章 明治・大正時代
第一節 保土ケ谷の町づくり
第一項 行政の変遷
戸口の掌握と幕藩体制から中央政府へ
評判の悪かった大・小区 固有名詞の町村制が復活
町村の合併をめぐって旧宿場と村々の確執
宮川村、矢崎村との合併と横浜市から合併の働きかけ
二町七か村が横浜市に 保土ケ谷町が「区」に
大横浜市の実現と保土ケ谷区の拡大
人口増加で保土ケ谷区が分区、旭区の誕生
第二項 鉄道の建設
(1) 東海道線
保土ケ谷宿に鉄道建設の夜明け
現役で一番古い鉄道トンネルが保土ケ谷に
保土ケ谷を結ぶ幻の鉄道建設計画
スカ線の電車化と保土ケ谷の近代化
(2) 相模鉄道
砂利輸送を主とした創業のころ
経営苦しいなか一歩ずつ横浜へ
東急へ経営委託、戦中戦後の苦難から自立へ
(3) 横浜市電
保土ケ谷区の路線は一・五キロ足らず
(4) 乗合自動車(バス)
女性車掌に応募者殺到
(5) トロリーバス
無公害バスも渋滞に勝てず
第三項 主要道路の整備
(1) 東海道
権太坂は東海道で有数の難所
新道開削の費用は財政難で地元寄付も
震災後の大改修でコンクリート舗装に
「保土ケ谷橋」命名の由来
箱根駅伝も旧東海道を
保土ケ谷・横浜道の改修
引越坂の新道開通と保土ケ谷への影響
(2) 八王子道
シルク・ロードも道路幅は狭かった
(3) 水道橋
水道管が丘を越えて野毛山へ
「レンガ坂」から鶴見へも水道道
第四項 寺子屋から学校へ
(1) 寺子屋の実情
寺子屋・私塾
(2) 学制の発布
学区
小学校の設立
学区取締
学校世話役
初期の教員
就学率
教育内容
子供たちの日常生活
(3) 異色の学園
横浜家庭学園
純真学園
第二節 工場の誘致と耕地整理
第一項 富士瓦斯紡績の進出
水陸交通の利便さ帷子川下流が適地
就業環境の悪化と労働運動の高まり
富士瓦斯紡績株式会社保土ケ谷工場(川辺町)
地元企業を合併し工場進出の基地に
富士紡は「富士絹」のほかに電力も供給
富士紡保土ケ谷工場の労働事情
関東大震災で多くの犠牲者
労働争議と女性指導者
第二項 内陸工業地帯の工場群
日本硝子株式会社横浜工場(神戸町)
ビン工場が今や高層ビル街に
保土谷化学工業株式会社保土ケ谷工場(天王町)
化学工業の発展と公害の矛盾を背負う
日本カーリット株式会社保土ケ谷工場(仏向町)
広大な火薬製造工場に再開発の話題が
古河電池株式会社(星川町)
豊富な地下水が工場用水に
東洋電機製造株式会社横浜工場(西久保町)
戦前に横浜市電の運転台にTDKが
株式会社諸星千代吉商店(西久保町)
「孔雀印」で印刷業界に親しまれる
南北石油株式会社横浜製油所(西久保町)
橋の名前に当時のなごり
第三項 農事試験場と耕地整理
(1) 農事試験場
農事試験場の誘致
岡野新田から帷子峯へ移転
園芸作物など都市型農業に
(2) 耕地整理
耕地整理の始まり
帷子耕地整理組合の誕生
街づくりの骨格と桜のトンネル
(3) 別荘と文化住宅の誕生
別荘があった保土ケ谷
オゾンが多い健康地
丘の上に赤い屋根の住宅が
斉藤茂吉も賞賛した文化住
第四項 葡萄園と馬鈴薯と茶畑と
(1) 帷子葡萄園と葡萄酒の製造
ぶどう栽培を米国で学ぶ
震災後の洋風化・ぶどう酒の普及
戦争で消えた名産のぶどう
(2) 特産「保土ケ谷いも」
国内で有名な馬鈴薯の産地
いも問屋から俵につめ出荷
都市化の波 生産は減少
(3) 新井新田の茶畑
荒地を茶畑に
先進製茶の技術を習得
大正末年の製茶の状況
お茶場の仕事
校章に残る茶の葉と花
第三節 帷子川沿いの移り変わり
第一項 横浜水道の整備・西谷浄水場
開港場は水で苦しむ
相模川からの新式水道建設
江戸時代の用水事情
旧帷子に共有水道の建設
配水管は竹を使用
リボンシトロンの原水にもなる
西谷浄水場の建設
西谷浄水場の完成と保土ケ谷への給水
町営水道を設立 横浜水道の分水
合併前は割高だった水道料
第二項 岡野公園と程ケ谷カントリー倶楽部
(1) 常盤園(通称岡野公園)
鎌倉時代の伝説も残る
岡野公園(常盤園)の特色
岡野公園の賑わい
常盤園(岡野公園)の設立由来と岡野欣之助
岡野欣之助の経歴
(2) 程ケ谷カントリー倶楽部
保土ケ谷近郊に本格的ゴルフ場
駒沢から程ケ谷へ
程ケ谷カントリー倶楽部開場
競技会と倶楽部の移り変わり
第三項 近代の帷子川と人々の生活
昔からの「暴れ川」
利水
舟運と工業化
捺染工場の進出理由
第四節 関東大震災前後
第一項 震災の被害と復興
震災前の保土ケ谷
震災発生後、市街地の火事を未然に防いだ
工場に被害、富士紡は多数の圧死者を出す
震災当時の混乱の状況
保土ケ谷の復興計画
第二項 震災の恐怖体験
災害は忘れずに……、貴重な体験を聞き書き
◇あやうく赤ん坊が箪笥の下に
◇山へ避難、蚊帳をつって寝る
◇数日たっても死体が川の中に
◇火事の出なかった保土ケ谷
第三項 普通選挙実施のころ
厳しかった制限選挙
江戸時代の地域有力者が世襲
普通選挙の実施と治安維持法の制定
無産政党の進出
第四項 保土ケ谷の銀行
保土ケ谷に本店のある銀行はなかった
程ケ谷第百三十二国立銀行
東陽銀行
養老貯蓄銀行
瀬谷銀行
鎌倉銀行
戸塚銀行
関東興信銀行
都南貯蓄銀行
武相貯蓄銀行
神奈川県農工銀行
横浜興信銀行
第四章 昭和時代(戦前)
第一節 保土ケ谷区の誕生
第一項 区制はじまる
(1) その前夜(一九二三~二六)
復興の一翼
さきがけの公共施設
(2) 町から区へ(一九二六~二八)
市へ編入
区の誕生
自治組織ができる
職業紹介
普通選挙
公共施設
帷子川の水運
(3) 不況のなかで(一九二九)
失業対策
ツェッペリン伯号
花電車
横浜市児童遊園地
都市化へ
第二項 昭和が始動
(1) 市民の関心(一九三〇・三一)
ゴルフ競技場
忠魂碑
耕地整理
保土ケ谷の大火
復興の祝い
(2) 区の商店街(一九三二)
商店街のPR
同業組合
防護団の発会
連合町内会の発足
区制五周年記念
近代住宅
失業日雇い
文化資料展
(3) 関東防空大演習(一九三三)
国際連盟脱退
演習開始
東京音頭とサクラ読本
福祉施設
区民団体の活動
第三項 復興博の前後
(1)演習開始すべし(一九三四)
防空演習
ラジオの普及
学校と住宅
衛生問題
衛生組合の活動
生活改善
(2) 祝のあとに(一九三五)
復興大博覧会
桜ケ丘の花見の宴
駅東口の開設
天皇機関説
兵隊検査
保土ケ谷の車
(3) 防護団など(一九三六)
二・二六事件
各種団体
市営住宅
露天商
営業の種類
第二節 戦時下の保土ケ谷
第一項 戦争はじまる
(1) 出征兵士(一九三七-1)
各団体の結成
出征兵士
(2) 国民総動員(一九三七-2)
運動の推進
組織固め
(3) 戦争への道(一九三八)
早くも管制
一役担って
区民葬
保土ケ谷の工場
防火水利
郷土史の発刊
第二項 “統制”のなかへ
(1) ままならぬ身(一九三九)
第六次合併
勅令により
徴用令
防空義務
(2) 奉祝・暗転(一九四〇)
大変な年
奉祝二千六百年
暗転はじまる
地域調査
タンゴが流れる
(3) 町内会強化(一九四一-1)
町内会の整備
組織・事業
区常会
国民学校
配給の実施
第三項 戦争の渦中に
(1) 戦う町内会(一九四一-2)
町内会の責務
隣組橋
市民動員と産業報告会
開戦年の都市計画
太平洋戦争勃発
(2) 市民の戦い(一九四二-1)
大戦下の正月
東南アジアへの進出
初空襲
翼賛選挙
翼賛壮年団
大日本婦人会
(3)切符生活(一九四二-2)
欲しがりません勝つまでは
戦時下の区民
銅鉄強制回収
第三節 保土ケ谷の変転
第一項 戦雲暗く
(1) “撃ちてし止まん”(一九四三-1)
次々と行事
体制再編
公園が畑に
(2) 防空の強化(一九四三-2)
神中線の買出し部隊
防空服装
極秘の防空計画
(3) 疎開する(一九四四)
疎開の方式
疎開空地
学童疎開
空腹に耐えて
戦況不利のなかで
第二項 炎上そして終戦
(1) 前兆(一九四五-1)
警報下の新年
機動部隊来襲
重なる空襲
(2) 保土ケ谷炎上(一九四五-2)
遂に本格的な空襲
五月の空襲
終戦へ
(3) 連合国軍進駐(一九四五-3)
進駐の行列
占領下の保土ケ谷
第三項 苦渋のはじめ
(1) 戦災復興(一九四六-1)
年明け
自由の雰囲気で
戦災復興が続く
(2) みじめ、食料なく(一九四六-2)
食料不足
体操も中止
カボチャを主食に
食料は遅配
「米よこせ」
野草も主食
(3) 救援要請(一九四六-3)
知事出馬
働けるだけ食わせろ
空閑地利用と他の援助
英連邦戦死者墓地の造成
第五章 昭和時代(戦後)
第一節 再生保土ケ谷
第一項 新時代の胎動
(1) 学制新しく(一九四七)
二・一スト禁止
日本国憲法施行
配給事情
新学制
新制中学
(2) ヤミの横行(一九四八-1)
新春
ヤミの取締り
戦後処理
(3) 新時代への対応(一九四八-2)
機構の改正
都市計画
第二項 戦後の保土ケ谷
(1) 新しく(一九四九・五〇)
日本貿易博覧会
新しいスポーツ施設
古墳発掘
小学校庭陥没
商店街の復興
新しい都市計画
(2) 講和の年(一九五一)
接収の解除
行政の充実
スポーツの復興
児童遊園地
都市周辺の農村生活
新制度の町内会
(3) 農地解放(一九五二)
百万都市
和田町駅
物価と募金
施設の充実
防火対策
第二次農地改革
第三項 終戦のあとに
(1) 戦後派施設(一九五三・五四)
公共施設
戦後派の学校
中学校対策
市電と水道
栄誉も
二十年代の公営住宅
(2) 問題解決へ(一九五五)
このころ
高射砲陣地
英連邦墓地問題
(3) 変わりはじめた保土ケ谷(一九五六・五七)
スカーフ業界
横浜駅西口にデパート進出
二部授業の解消
農地転用
横浜新道の建設
第二節 高度成長の中で
第一項 開発への道
(1) 川に道路に(一九五八)
工場事故
帷子川氾濫
暴走・砂利トラ
明神台団地完成
(2) 開発進む(一九五九・六〇)
好況
砂利トラ対策
開発のあとの問題
大型の施設が
(3) 丘や谷にも(一九六一~六三)
環状二号線の計画
町の新設や規制
帷子川改修へ
第二項 問題は多く
(1) オリンピックと新幹線(一九六四)
オリンピックの年
三十年代の住宅建設
(2) 施設つぎつぎ(一九六五~六七)
急激な人口増加
六大事業計画の発表
需要に応じ
高射砲陣地の廃止
新貨物線反対運動
いざなぎ景気
(3) 二百万都市へ(一九六八)
東戸塚の開発
渋滞解消へ
公共施設
分区問題
第三項 地域の変化
(1) 旭区が分区(一九六九)
農地をどう使うか
行政区再編成と区役所機能の移転
住民サービスの向上
建築協定
協定の内容
ゴルフ場から国大へ
学園紛争により中断
(2) 公害に対して(一九七〇・七一)
この年
保土ケ谷駅周辺の再開発
公害問題発生
施設の充実
(3) 中期計画と開発(一九七二~七四)
スクールゾーン
第一次石油危機
マイナスの年
国際港都中期計画が進む
横浜市基本構想と総合計画
第一回区民会議
文化サークル
四十年代の地域開発
地価公示
第三節 昭和終章
第一項 区制五十周年を迎え
(1) さまざまに(一九七五)
英国女王墓参
公共施設など
農業の実情
商店街の組織化
(2) 保土ケ谷を愛し(一九七六・七七)
公害後遺症
高値のマンション
いずみ野線開通
天王町周辺一変
祝・区制五十周年
(3) 子らがいて(一九七八)
生活圏の充実
帷子小学校問題
保土ケ谷球場の熱戦
第二項 変貌しつづける保土ケ谷
(1) 鉄道と農業と(一九七九・八〇)
余熱を利用
新貨物線開通
減少する農家
(2) 通過地保土ケ谷(一九八一-1)
保土ケ谷駅の全面改築
交通路整備
南横浜バイパス
区民会議から
(3) 総合計画(一九八一-2)
よこはま21世紀プラン
第三項 横浜の発展とともに
(1) 新しい保土ケ谷区を(一九八二)
明るいライフタウンをめざして
文化施設
(2) 安全で暮らしやすい街へ(一九八三~八六)
水よみがえれ
保土ケ谷と捺染業
自転車放置問題
五十年代の住宅建設
施設さまざま
横浜駅東西商戦
(3) 「まつり」と「未来」(一九八七~八九)
近代水道百年と区制六十周年
YESとプレ・イベント
魅力ある道路を
工場群解体
YBPの建設
六十年代の住宅建設
昭和終わる
付章 二十一世紀にはばたく
(1) 川面にアユの姿が!
(2) 戦争のおとしもの(今井川不発弾処理)
(3) 水害のない街づくり(帷子川分水路の完成)
(4) 震災に強いまちづくり
(5) 個性のある区づくりと保土ケ谷区政
(6) やさしい風がふく保土ケ谷
(7) 区制七十周年記念事業
地域編
保土ケ谷区の概況
町それぞれ
旧東海道・今井川に沿って
1 宮田町
2 天王町
3 岩間町
4 帷子町
5 保土ケ谷町
6 権太坂一丁目・権太坂二丁目・権太坂三丁目
7 境木本町
8 西久保町
9 岩井町
10 瀬戸ケ谷町
11 狩場町
12 法泉一丁目・法泉二丁目・法泉三丁目
13 境木町
14 今井町
帷子川の流れに沿って
1 神戸町
2 川辺町
3 星川一丁目・星川二丁目・星川三丁目
4 和田一丁目・和田二丁目
5 仏向町
6 坂本町
7 上星川町
8 川島町
9 東川島町
10 西谷町
11 上菅田町
12 新井町
丘つづく上に
1 鶴岡町
2 鎌谷町
3 岡沢町
4 峰沢町
5 常盤台
6 釜台町
7 明神台
8 花見台
9 桜ケ丘一丁目・桜ケ丘二丁目
10 月見台
11 霞台
12 岩崎町
13 初音ケ丘
14 藤塚町
風にのって保土ケ谷
保土ケ谷区歴史年表
索引(通史編)
保土ケ谷区制七十周年記念事業協賛者一覧
区制七十周年記念事業実行委員会(平成九年八月二六日現在)
編集部会
資料提供等協力者
編集を終えて

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電話:045-262-7336

ファクス:045-262-0054

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