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インタビュー3

最終更新日 2019年1月16日

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→vol.3

(このインタビューは2005~2007年に実施したものです。)

吉野理事長

すぎの森幼稚園理事長
吉野浩司さん

昭和27年11月生まれ
横浜市立中川小学校
横浜市立中川中学校
昭和50年大学卒業後イギリスに留学
昭和52年横浜商科大学高等学校英語科教員として教鞭をふるう
平成10年すぎの森幼稚園副園長
平成11年同園園長
平成15年同園理事長


理事長先生の願い。フナよ、よみがえれ
緑の中で元気に遊ぶ子供たちよ、育て

今回インタビューにお応えいただいたのは、すぎの森幼稚園(大棚町)の吉野浩司理事長先生。早渕川にほどちかいこの幼稚園は、昭和44年に開園した都筑区のなかでも古くからの「子供たちのオアシス」です。この春まで4年間幼稚園協会の支部長をなされていた吉野先生は生粋の「つづきっこ」でした。

そのころ都筑は「安曇野(あずみの)」だった。

─この地に生まれて50余年という吉野先生。子供の頃のご記憶ではこのあたりはどんなところでした?

僕の記憶には小学校低学年くらいまでの思い出が一杯です。この(幼稚園の前を通っている)道=横浜-生田線はいわば村の幹線道路ともいえる道だったけれど、まだ砂利敷きだったし馬車(!)も往来してたんじゃないかな。まぁ田んぼのひろがる田園地帯ですね。─第3部会ホームページ「勝手に景観賞」の田んぼ風景の写真をみて─そうそうまさしくこんな感じ。これはコンクリで用水路をつくっているけれど、土だけであぜ道ができてるようなね。ここはまるで安曇野のようでしたよ、長野の。長野でも松本とかは都会だけれど、すこしはずれた安曇野みたいなところ。とにかくあるのは畑と田んぼ、山と川。聞こえてくるのは、はるか遠くの横浜線。

─横浜線ですか?あの中山とか小机とか新横浜を通る?

そうです。今では考えられないけれど、蒸気機関車のボーッという汽笛やゴトンゴトンという音です。でも子供は遠くに行くわけでもないので僕は汽車も電車も見たことはなかったです。そのころ、たとえば父母がちょっとした服を買いに行く時は溝の口の呉服屋さんまで歩いて(!)いってたような土地でした。

屋号は「宮の脇」。それですべて通じる世界

─小学校はすぐ上の中川小学校ですね。

いや、まだ僕の頃は今の中川中学校のグラウンドの辺り、清林寺の入り口付近でした。でもその頃の中川小の学区はものすごく広かったんです。北で東山田、北山田、南は勝田、茅ヶ崎一帯までとてつもなく広くて一時間以上もかけて歩いて通ってくる子もいました。

─そういう点では近いほうだったんですね。以前私が聞いたところによるとニュータウン開発前まで、今のセンター北から中川中学校あたりまででたった19軒しかお宅がなかったとか。地域の方もみんなお知り合いのようなもの?

そうそう、学校で何かワルさとかすると、家に帰る頃にはなぜかもう親たちはみーんな知ってる(笑)宮の脇の…は今日これこれこうだったって。

─屋号ですか?

そうです、屋号。我が家の場合、隣、今大棚町の公民館になってますが、そこの裏手にお宮があったんで「宮の脇」。他にもいろんな屋号がありました。「ちょうちんや」とか「でみせ」「くるまや」「炭や」っていうのもありました。「くるまや」っていうのは、馬車の車輪、木のわっかの部分を作ってて、「炭や」はそれこそ炭を焼いたりしてた。だから「宮の脇の」といえばああ吉野○○でその親父が○○でその親父が○○でとすぐにぴーんと来る。名前を言うよりもどこか、親しみとかを感じますよね。でも父の代ぐらいまでですかね。屋号で呼び合ってたのは。今じゃ「宮の脇」といっても何それってところでしょう。

川の思い出はとにかくフナ

─早渕川で遊んだ思い出みたいなものはありますか?

とにかく悪ガキだったんで(笑)川だとか.田んぼだとか畑だとか毎日のようにどろんこになってあそんでました。畑を掘って落とし穴つくったり、アオダイショウを捕まえてはぐるぐる振り回したり…。そういえば今のすくすく保育園あたり(早渕川矢橋付近)の近所の人は、堰に水がたまってるのを、この辺はプールなんてなかったですからプール代わりに水遊びしてるって言うのは聞きました。このあたりではなかったなぁ。早渕川はいわゆる土手が土でした。ススキをかき分けておりていくと川、そこで少し年上の近所のお兄さんたちがフナやハヤ、ハヤはきれいな水にしかいないんだけれど、釣っているのを見ていた記憶があります。小学校低学年(昭和35)くらいまでの思い出かな。

─そういえば、すぎの森幼稚園の園歌にもフナが登場しますね。

そうですねあの歌詞は初代の園長がつくったそうです。とにかく開園までの昭和30~40年頃の早渕川はきれいで、魚といえばフナ・ハヤでした。

─今、フナは見かけませんね。

護岸工事が始まったり、それからあと川はだんだん変わっていったと思います。古梅(こうめ)と呼んでいた今の牛久保東辺りは、小川にフナはもちろん、カメやメダカがいましたし、ホタルも見たことがあります。ニュータウン開発の中で用水路も上にフタして道になっていきましたし、そうなると「川は(田んぼに水を引くための)なくてはならないもの」だったのが、段々と意識の中でも「あってもなくてもどちらでもいいもの」みたいになってった。川との距離も遠くなってしまった。僕自身、中、高校や大学生ともなると興味も違うほうに向いていきますし、気が付くといつの間にかこんなになってるなというのが正直なところです。

自然を取り戻し、あったかい地域環境づくりにつなげて…

─早渕川の周辺でのぞむことはありますか

あの川にフナとかがほんとに復活してね。メダカとかも増えたらいいですねぇ。少し前までよく散歩したんですが、緑道というのかな、せせらぎがあっていいですよね。涼しさもあって水の音も爽やかだし、木漏れ日もきれいで。あのせせらぎが大きくなったものを川と捉えて風景をつくって小学生くらいが川で水遊びもできるような水辺が出来たらいいなぁ。

─もうすぐ中央地区の親水公園ができますね。

えっ、そういったところができるんですか。そう、そんな場所が川沿いにつながっていくといいですねぇ。そうなるとともに地域の人の団結が出来ていくといいですよね。自分のことだけじゃなくこどもにも「危ないよ」とか「この魚はフナだよ」とか声をかけられるあったかい地域環境がそだっていくようにしたいですね。

─ここは市街化調整区域、すぐ上がニュータウン地区です。

去年大雨の後に、家のすぐ脇から温泉だったらいいのにと思うくらい水が湧いて出て家が小島みたいになったんです。それまでの井戸や湧き水の場所から違うところに水が出た。裏手の山を削って開発する中でどうも水のみちが変わったようですが、地下水の調査はこれから区などにはたらきかけたいと思ってます。

それでもこのあたりは都筑の昔の自然が残っている場所で、冬場、庭の柿の実にはオナガやヒヨドリ、メジロをはじめとしていろんな鳥が訪れますし、キジやコジュケイも藪を歩くし、鳥だけでもけっこう見られますね。ただ、昔は雑木林だったところにタケがどんどん侵食してくる。毎年、7.8月ごろまで毎週土日は出てくるタケノコをきれいにしたり下草を刈るのが大変です。

─都筑区にはタケを伐採する技術を身につけたボランティアグループも多いですよ。手入れするのに難儀されている方をお助けして、云わば都筑らしい風景を守って行きたいと思っている方々も多いと思います。お声をかけてみるといいですね。

やあ、僕みたいに腰を痛めていたりという人も助かりますね。

地元に戻っての幼稚園運営は夢がいっぱい

─長く高校で教鞭をとってこられて、8年前からですかふたたび地元に帰っての生活はいかがですか?

高校の教師だった頃は職場に朝早く出て、帰るのは夜ですし、幼稚園を継ぐことになっていわば地元に帰ってきたわけですが、ご近所の方々のお顔もわからなかった。見たことはあるようなないようないちいち教えてもらってました。そういうのってなんか寂しいですね。毎年園庭で大棚町の盆踊りをやるので、そんな折に話したり、このごろは青少年指導員になったので他の町会の人たちと話をする機会も増えました。

─これからやってみたいことってありますか

盆踊りは続いていますが、ニュータウンが出来るまで毎年1月15日にどんど焼きをやっていたのがなくなっちゃった。お札を焼いてお清めの煙を吸い込んで気分もあらたまったり、けやきの枝にお餅を刺して焼いたり、ああいう機会もあっていいんじゃないかと思う。火を使うので煙がとかヤケドしたらどうかとか苦情が心配で取り掛かれないんですが…。

観察のための畑か田んぼみたいなものもあるといいなぁ。恒例のサツマイモ堀は遠い親戚にあたるところの吾妻山の畑をお借りするんですが、たとえば苗からとかタネからこどもたちがずーっと育てて観察できるような何かもほしいし…。

もうひとつは裏山をこどもたちの遊び場にしたいんです。木で工作したり木登りしたりの山遊びをさせてあげたいなぁと、思いはするんですが木陰のできる季節は蚊も出るしおうちに帰って何かいわれたらどうしようとか、なかなか踏ん切りがつかないところがあって…。

早渕川にフナが戻ってきたらというのと同じように、人に任せるでない、自分もふくめみんなで作っていく文化みたいなものを、横のつながりをはぐくみながらつくれたら…夢なんです。

─ぜひ夢で終わることなく実現できますよう、応援いたします。今日はいろいろなお話をありがとうございました。


幼稚園から早渕川へでてみる。
手前大崎橋の向こうにセンター南のビルがのぞめる



昭和37年頃の杉之森=現大棚町付近。
北側の土地にはニュータウン開発で中川小学校が移転した



「宮の脇」の由来のお宮跡が
大棚公民館と幼稚園の間にひっそりあった。
他4つの神社をあわせて祀ったのが、
現在のセンター北駅の杉山神社という。


「牛窪白夢」は初代園長の牛窪全浄氏のペンネーム。
開園前まで、この地域には幼稚園というものがなく
なんと綱島の幼稚園まで通っている子もいたそうだ


早渕川の向いの山も貴重な風景だ



ひだまりの園庭。背後の森を子どもたちの
山遊びの場にするのが吉野先生の夢とか



幼稚園の裏にはお宅のお庭と森が広がる



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