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インタビュー7

最終更新日 2019年1月16日

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(このインタビューは2005~2007年に実施したものです。)

松澤さん近景

荏田東

松澤秀定さん

昭和9年生まれ
昭和16年横浜市立山内小学校
昭和22年浅野学園中学校
昭和25年浅野学園高等学校
秀栄技研株式会社代表取締役
株式会社松澤土木代表取締役


350年続く名家のあるじは、
散策路の家鴨(アヒル)のファン

都筑区の中央部市街地にありながら自然の面影を留めている都筑中央公園、そのほとんどが今回の松澤さんのお宅の庭山だったとか。その一角早渕川に面する丘に今もたたずむ松澤家。江戸時代から都筑の移り変わりを眺めてきたその丘とともに育った松澤さんの、暖かく寛容な心を感じさせるお話です。

幼少期の寝室は文化財として「八聖殿」に常設展示

──中央公園から「やさきのみち」を通るたびに、お宅の近くのしっとりした風景に見入ってしまいます。

むかし、1650年に建てられた家で生まれて育ったんです。土台も自然の玉石を礎石にしているような茅葺の大屋根でこーんな太い梁や柱があったなぁ。ニュータウン開発で解体する時、昭和48年か、横浜市の文化財として八聖殿に寄付したんですよ。郷土資料館にするというのでね。
お釈迦様やキリスト、孔子や聖徳太子とならんで、小さい頃から僕が寝ていた部屋と隣の土間がそっくりそのまま展示されてます。寄贈したいろんな民具とか農具も一緒にね。

──それは知りませんでした。あの丘の上にあったのですか。

そう350年近く。その頃は横浜市の教育委員会の人なんかがよく来て、蔵からいろんな道具や資料が出る、それを調査整理してくれていました。センター北の歴史博物館にも寄贈して展示してあると思います。

──350年!!名家ですね。庄屋さんとかされてたのかしら。

いやぁ、どうなんでしょう。農家には変わりないでしょうが蔵の中に十手とかあったっていうからなんかやってたのかもしれないね。覚えているといえば今の中央公園ではシイタケを作っていたことですね。このあたりでシイタケを作ったのはうちが最初でしょう。
親父はニュータウン開発のまとめ役を金子保さんの前にやっていた人で、終戦まで市役所の農政課に勤めていたんだけれど、もともと平塚の県立農業高校を出てたので、市役所を辞めてからも、植木なんかもいろいろ試していましたよ。
中央公園は80パーセントくらいがうちの庭山だったんだけれど、シイタケの原木、雑木林でした。それをホダ木にしてシイタケを作ってたね。昭和医大(北部病院)のあたりにはクリ山も持っていたのでよくクリも作っていましたね
小さい頃は学校行くにも靴はいてる人はいない、草履も珍しいくらいで、はだしの子もいたくらいですから…。みんな農家でしょ、生活するのも大変だったですよ。馬力で鵜の木あたりまで…、大田区、多摩川の橋の向こう側のほうね、野菜を積んでいって飼料を帰りにもってくるような時代でした。

──馬力?戦争中でしょうか

馬力っていってもこの辺じゃ馬のいるのは一軒くらいだったから、牛ですよ、牛に車引かせて。終戦でやめちゃったんじゃないかな。
終戦後には、二子玉川とか東京から野菜を買いに来てましたね。物資のない時ですから。よく、娘さんとか自分の着物を入れた大きな風呂敷を背負ったひとがバスで来て、物々交換ですよね。うちはその頃は野菜は作っていなかったが、まわりではよくそういった光景を目にしましたね。
バスといっても江田から綱島までのね、一日3本くらいしか走らないし、バス通りもずいぶん後まで、ニュータウンが始まる20年前位かまでは砂利道でしたよ。バスの前は馬車が走ってたのを覚えています。ちょうど荏田宿に馬車屋さんがいてね。笛鳴らしながら走ってたね。
店も柚木に石渡さんてよろずやさんみたいなのが一軒あるだけ、あとは荏田の宿辺りに何件かあるだけでほかはなーんにもなかったですね。

──今のお宅の様子もとってもいいですがずいぶん変わったのでしょうか

家のまん前の桜、ヤマザクラのところには氏神様がまつってあったんで公団でも伐らないで残してくれたのが、今、大きく育ってますね。昔はみんな山の中に稲荷さまだとかお地蔵さんをまつってあったのを、開発で家のほうに移動したんです。
壊す時には、おもしろかったですよ。古銭、古いお金ね、がいっぱい出てきて、お賽銭だったのかなぁ、バケツ2杯分くらい土に埋まってた。今も清水が沸いてるところに、あれは水がきれたことないんだが、弁天様があったり。小さい頃はすぐ下を川が流れていて「松澤橋」って橋がかかってたんです。

渋沢川は魚の宝庫。大きい魚は早渕川。

──すぐ横、渋沢川ですか

そうそう、湧き水よりちょっと下に上のほうから流れてくる川と合流するところがあったんですよ。いつか大水が出た時うちの弟が落ちてね、おぼれそこなったんですよ。

──そんなに大きい川でした?

そうね、2メートルくらいの幅だったな。川そのものはね。耕地整理で畑にする前はみんな田んぼでしたからそこへの灌漑用ですね。ふだんはほんとにきれいな流れでした。矢先橋の下あたりで早渕川に合流する、僕らは「まがれーど」って呼んでたけれど曲がり井戸ってことかな、そこではカイボリしましたね。
渋沢川では魚釣りとかカイボリでそりゃあ遊んだものです。タナゴ、ハヤ…いっぱいいましたね。モクタガニって僕たちは呼んでいたんだがモクズガニですか?上海ガニの仲間ですね、その橋の下のちょっとした段差のところによくいたのをたーくさん獲りましたよ。
ふつうはこの川で遊んで、早渕川へは少し大きい魚を釣りに行くんです。ちょっと糸垂れると2,30匹はすぐ釣れた。ウグイ、ハヤ、とくにナマズ、ウナギはよく釣りました。(井上さんの回の写真を見ながら)ゲバチもいたなぁ。これは、うちの犬に食べさせてましたね。よく泳ぎもしましたよ。大棚堰でも。

早渕川のほとりのクワの実の味は格別

──早渕川でも泳いでいらしたんですね

ええ、ええ、泳いだもんです。小学校の帰りに泳いだりなんだりしたきれいな川でしたよ。柚木川のふもと、川が曲がってくるところあたりにそりゃ大きなクワの木があってねぇ。時期になるとよくその実を食べました。うまかったなぁ

──ご兄弟とでしょうか、子どもたちはどんな遊びしてました?

子どもは山か川で遊んでましたよ。きょうだい6人でその4番目なんだけどよく兄弟で竹の棒でもって遊びましたよ。僕はわんぱく坊主だったからこの辺の子どもたち集めちゃぁねよく遊びましたね。紙デッポウみたいなの作って…。
紙デッポウ知らないかなぁ、水鉄砲みたいなんだが、竹切って中に細い棒を入れてね。新聞紙よく噛んで丸めて中に詰めて押し出すと、ポンッポンッってこれがまたいい音するんだ(笑)よく竹で遊んだよねぇ。マダケとかハチクとかもあんなにあったのに、公園になって刈られたりしていまはモウソウばっかりになっちゃいましたね。

せせらぎの復活に寄せる期待

──今度せせらぎをつくるところのすぐ脇、クロチクもきれいですよね。あと、モミジ。残していって欲しいです

枝垂れモミジね。あれも親父が挿し木から育てたものです。さっきもいったように親父はいろいろ植木作りにも挑戦してました。むかし、その向かい側でメタセコイアも栽培していたんです。「都筑の丘小学校」ができる時に、何本か校門のところに移植しましたよ。あれは大きくなるんだよね。都筑区役所の横にもありますね。
せせらぎといえばこちら(やさきのみち)側にはニュータウンの計画の時に青木さんていう、父と一緒にやっていた、地元の有力者が、ここにせせらぎをつくるんだ、つくるんだってよくいってたんだ。だけどいつのまにかそれをボックス(カルパート)で塞いじゃったでしょ、それをまた壊すの?

──いえ、下水管の上に水を流すかたちですね

じゃあ浅いのか。渋沢川は耕地整理で用水路として作った時の検地石はまだ今のせせらぎ(ささぶねのみち)の下に埋まっているはずだし。いま水が少ないところをシールドで掘削してくるって言ってるけど水がちゃんとくるのかな。直接うちが関わるんじゃなくて工事は別のところがやるっていうからわからないけれど。

──せせらぎができるとまた少し変わりますね

まぁ、美的にも良くなるし、人が歩くようになるとゴミも捨てられなくなるかもしれないね。中央公園のタケノコを、春になると盗掘しに来る人たちも…すごいよ、朝早くから車がズラーッと並ぶものね…やりにくくなるかもしれないし…。
それでないとなんでもかんでも掘って、いいタケもアタマを欠いちゃってくから竹林が細っていくばっかりになっちゃう。このあたりのタケノコは日本一って言われてたのにね。注意しても、横浜市のものは自分のものみたいな感覚で盗ってくからねぇ。少しは、マナーも良くなるかもしれないですね。

──ふだん、緑道などを歩くこともありますか?

今、この会社まで出社する時には家からせせらぎ緑道(ささぶねのみち)をずーッと歩いて来るんですよ、なるべく運動しようって。そうすると、うちのすぐ下に、あそこにカモ?アヒルかがいるじゃない、かわいいんですよあのカモが

──堰の谷戸の、生物保護相のあたりですよね

堰の谷戸?あぁむかしは古谷戸(こやと)っていってたところだ。昔、山の神かな?が祀ってあったんだそうです。山の木をめったに伐ると祟りがあるっていわれてた…。だから手をつけないようにして動植物を保護するようにしたのかなぁ。
あのせせらぎが「ささぶねのみち」っていうんですか?みんな名前が変ってるからわからなくなっちゃうなぁ。とにかくあそこ、カモと緋鯉も2匹いるんで工事も大事にやってほしいねぇ。

お父様の代からニュータウン開発にたずさわってこられた、松澤さん。350年も前から続く丘の上のお宅から眺める風景は日々変貌を遂げることでしょうが、散歩道の家鴨にも注がれる松澤さんのこの土地や自然を愛する気持ちはこれからも変わらないと感じました。貴重なお時間をありがとうございました。

八聖殿
八聖殿郷土資料館は中区本牧元町、八王子の丘の上に建つ法隆寺夢殿を模した一風変わった建物。三渓園もすぐ近くだ



テラスからの絶景はもともと別荘だったというので納得


勝田町防災マップ
その2階は「八聖人」すなわち聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮、釈迦、ソクラテス、孔子、キリストといった古今東西の聖人たちの彫像と共に
松澤邸の一部が設置されている不思議な空間─





解体時の様子や間取りも展示されている。立派なお屋敷だったことがわかる


松澤少年が寝ていたという部屋を隣の土間から見る


手打ちうどんの会


竹細工の鈴虫



浄念寺川のせせらぎ緑道は本格的な石組みがまるで深山の渓流のようだ、
20年ほど前に、松澤さんが工事を担当されたという。



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