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最終更新日 2025年2月13日
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戸塚駅西口周辺の移り変わりを見てきました
旭町通商店会理事長・仁天堂薬局代表 湯川 仁さん(64) 2023年インタビュー当時
子どもの頃、地域はどんな様子でしたか?
私は昭和35年生まれで、今は64歳です。戸塚駅西口、旭町通商店街に生まれ育ちました。小学校は戸塚小学校でした。5年生のときに上矢部小学校ができてクラスが分かれましたが、当時、下郷小学校や南戸塚小学校はまだなかったので、みんな遠くからバスで戸塚小学校に通っていましたね。1学年7クラスあり、1クラスあたり45人とか50人いたので、同じ学年でも全く知らない人もたくさんいました。クラスが多かったので、校庭はほとんどプレハブ校舎として利用されていました。
今のフォーラム(男女共同参画センター横浜)の辺りが全部田んぼだったことはよく覚えています。田んぼの真ん中に駐車場がちょっとあるだけで、一面田んぼだったのでよくザリガニ取りをしました。紐の先にサキイカを結んで田んぼに垂らすと、ザリガニが食いついて放さないのです。とにかくたくさん、100匹くらい取れました。
1960年代の戸塚駅周辺【とつかフォトコレクション】
今、戸塚図書館がある場所には市民プールがありました。小さい子ども用のプールや中学生くらいまで入れるプール、25mプールがあって、夏休みには毎日のように行きました。プール帰りには駄菓子屋さんに寄ってラムネとかお菓子を買いました。当時は「満州屋」さんと「えびすや」さんという駄菓子屋さんがあって、よく買い食いをしたものです。
戸塚郵便局の向かいの、今はマンションになっているところには当時バスセンターがあって、戸塚駅から行き来する人が大勢歩いていました。私はその道沿いに住んでいたのですが、朝バスが到着すると道が人でいっぱいになってしまってしまうくらい混雑していて、毎朝人の足音で起きるような状態でしたよ。迷惑だったのはタバコのポイ捨て。当時は歩きながらタバコを吸えたので、バスを降りてタバコを吸って駅まで歩いてポイポイ捨てる。夕方は駅で電車を降りてタバコを吸ってバス停に向かうので、うちの周りは吸い殻だらけで本当に困ったものです。今はどこも禁煙ですけどね。今以上に駅周辺に飲み屋さんも多くて、夜中までうるさかったこともありました。
再開発前の旭町通商店街と戸塚バスセンター
旭町通商店街の思い出を教えてください。
実家は元々、私の祖父が始めた呉服屋でした。店舗兼自宅は結構大きくて、着付教室や展示会をすることもありました。景気が良かった頃は、帯一本10万円、海外旅行付きで販売することもありましたし、添乗員としてお客さんを何十人と連れて海外旅行に行く、なんてこともありました。
当時戸塚駅周辺には旭町通商店会のほか一丁目商店会、寿商店会、吉田商店会、西口商店会の5つの商店会があり、合同で売出しの企画などを手づくりしていました。商店街のくじの景品が海外旅行ということもありました。このオリジナルのツアーが大人気で、リピーターもたくさんいましたよ。くじに外れても自費で参加したいという人も多かったから、1回あたり20~30人の団体で海外旅行に行っていました。1990年代から、結構長く続いて、2005年くらいまでやっていたのではないでしょうか。
旭町通商店街のアーケード
旭町通商店会だけでも、もともと130店舗くらいお店があって、駅前の真ん中に旭町通商店街の大きなアーチがあったのが懐かしいです。平成9年頃から始まった戸塚駅再開発により、多くのお店がトツカーナに入ってしまったので今商店会に入っているのは35店舗くらいですかね。
再開発前はごちゃごちゃしていて火事も多かった。昔の雰囲気の方が良いって人もいるでしょうし、防災などの面では今の方が良い部分もあるでしょうし。街路灯ひとつとっても、維持していく費用を商店会から出したりと大変なこともあるけれど、地域を盛り上げていくために必要なことですからね。イベントで人を呼ぶことも大切なので、先日も戸塚小学校で商店会主催の盆踊りをやらせてもらったところです。私は何といっても戸塚が好きですし、お客さんの中にも戸塚が好きな人が多いですよね。地域に愛着がある人が多いと感じています。そういう地元愛が、大変なイベント準備などの力になっているのでしょうね。
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