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名瀬のむかしを未来に語り継ぐ

最終更新日 2025年10月17日

新井さん写真
新井 敏行さん(77) 2025年インタビュー当時

生まれも育ちも名瀬なのですね。

 私は1947(昭和22)年生まれ、77歳です。名瀬は昔、田んぼと山ばかりで本当に何もないところでした。うちは数少ないサラリーマンの家庭で、両親ともに教師でしたが、地域には農業を営む家がほとんどでした。お店もほとんどありませんでしたから、自給自足の生活でしたよ。学校では給食がありましたが、それ以外何にもないので、海苔がないおにぎりをおやつにしていました。

 子どもの頃は阿久和川の近くに住んでいて、川の水がきれいだからヤマメも捕れたし、蛇もいました。川には堰止めもあって泳ぐことができましたが、蛇には気をつける必要がありました。蛇とウナギを間違えますから。食べ物がない時代だったから、蛇も食べましたよ。

 ただ、水害も多くありました。学校に行けないことが度々あり、なかでも被害が大きかったのは1959(昭和34)年の伊勢湾台風です。私はこの台風により当時住んでいた家に住めなくなってしまい、山の方に引越すことになりました。

 バスも通っていました。戸塚駅から出て、今の泉区岡津町を経て、相模新橋(泉区新橋)、阿久和(瀬谷区)の方に向かうのです。このバス道路は阿久和川沿いを通る、「大山道」と呼ばれる古くからの街道です。阿久和川の源流は大山ですが、大山道も東海道から分岐して大山に至る街道でした。昔は歩いて大山まで行ったそうです。私は行ったことないですけどね。

 私が通っていたのは岡津小学校と岡津中学校です。この頃、上矢部町、名瀬町、秋葉町の子どもはみんな岡津小学校に通っていました。近くに川上小学校があったのですが、平戸永谷川を渡る橋がなかったので遠くの学校に通わなければなりませんでした。岡津中学校は今の場所ではなく、今の泉区「相模新橋」「観音寺」のあたりにありました。私の家から歩いて1時間ほどかかりましたが、当時はそれが当たり前でした。途中にある観音寺ではよく休憩させてもらったものです。

昔の名瀬の名残を感じられるのものはありますか。

 とにかく山、谷、川ばかりでしたから、名瀬には谷戸(※)が99ヶ所もありました。横浜市で一番多いそうです。今もそのまま地名として残っている谷戸名も多くあります。例えば、今では住所は「名瀬町」ですが、ある地域は昔から「歌舞岐(かふき)」と呼ばれていました。これは「かふき谷戸」という谷戸名に由来します。昔からいる人は、「どの地域の誰」を示すために「かふきの誰々」といいます。他にも、谷戸名がそのまま残っているところがたくさんありますが、「うちくね」というのも谷戸名で、今の横浜新道の料金所の近くに「内久根公園」という名前が残っています。知らない人は、なんで「内久根」というんだろうと、不思議に思われるかもしれません。住所に「内久根」という言葉は残っていなくても、土地名としていまだに残っているのです。

 もともと、名瀬も秋葉も上矢部も「中川村」というひとつの村でした。名前の由来は村の真ん中に阿久和川が流れていることだそうです。秋葉には何もなかったので「空場」と呼ばれていましたが、千疋屋の農場がたくさんでき、秋には果物が採れる非常に良いところということで「秋庭」「秋葉」に名前が変わっていったという説があります。

東戸塚駅開業は地域に大きく影響したのでしょうか。

 1980(昭和55)年に東戸塚駅ができると生活は大きく変わりました。ただ、東戸塚駅ができた直後はバスの便が少なく、半日に1本程度しかありませんでした。当時私は既に就職しており、東京方面に出ることが多かったので、利用する駅はそれまでと同じく戸塚駅でした。状況が変わったのは東戸塚駅周辺の大型店舗ができてからではないでしょうか。

 東戸塚駅ができたとき、駅周りだけではなく周辺地域、名瀬町の方まで開発対象となりました。そのため道路も広げられ、バスの便も良くなりました。駅前だけの開発だったら今のような便利な地域にはならなかったのではないかと思います。何もないところでしたが、東戸塚駅ができて良い影響を与えてもらいました。

 名瀬に住宅が増えたのは東戸塚駅ができる前からです。1976(昭51)年に相鉄いずみ野線が開通した影響が大きいのではないでしょうか。相鉄ができて住宅が増えたなあと思った頃に東戸塚駅ができた印象があります。


▼川沿いに田んぼが広がっていた地域にどんどん建物が増えていった
 出展:国土地理院ウェブサイト(https://service.gsi.go.jp/map-photos/)

地域への思いを教えてください。

「名瀬・上矢部市民の森」の風景は、子どもの頃の山そのままだと感じます。開発すればするだけ地域は活性化するのでしょうが、自然は一度壊すと元に戻らないので、私としては自然を残したい気持ちがあります。

 名瀬には13の町内会と自治会があります。昔は多くの地域で盆踊りをやっていましたが、今では「盆踊り」という言葉を使うところは少なくなり、「夏まつり」や「秋まつり」をやるところが増えました。私たちが子どもの頃は8月のお盆に盆踊りをやるものでしたが、時代に合わせて変わっていき、「盆踊り」という名前で育った私から見ると、少し寂しい気分になります。

 自然と同じように、消えてしまったものは戻すことができないので、残せるものは残したいなと思っています。例えば、屁理屈かもしれませんが盆踊りでいうと「夏まつり兼盆踊り」とか。

 生きてきた過去を振り返ると、50年くらい経つと全然違ってしまうのだと感じています。もしここで消えてしまったら、50年後の人には何も伝わりません。なので、土地名として谷戸名が残っていることを大事にしています。

チョウガヤト広場
名瀬・上矢部市民の森


名瀬・上矢部市民の森にある「チョウガヤト広場」という名前も谷戸名に由来している

 今、私がこの歳になってお話をさせていただいているのは、未来に繋げていくためだと思っています。私は自分が生きてきた今のことや、子どもの頃のことはわかります。ただ、それ以前のこととなると知っている人がいなくなってしまいます。私が知っている話を残しておけば、次の世代の人が、今と昔と将来・未来を繋げてくれるかもしれないと思っています。

※谷戸・・・丘陵地が川に浸食されてできた、コの字型に丘に囲まれた地形のこと

このページへのお問合せ

戸塚区総務部区政推進課

電話:045-866-8321

電話:045-866-8321

ファクス:045-862-3054

メールアドレス:to-kusei@city.yokohama.lg.jp

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