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鶴見の寺院・神社

最終更新日 2024年1月15日

鶴見区史(外部サイト)』の第二編「民俗」の第二章「寺・社一覧」をご覧いただけます。
ご近所の寺院・神社のいわれなどを調べてみてはいかがでしょうか。
以下の内容は、『鶴見区史(外部サイト)』の原文のまま掲載しています。

寺院

配列は、概ね昭和52年10月、神奈川県県民部私学宗教課発行『神奈川県宗教法人名簿』によった。
文中、風土記稿とあるのは『新編武蔵国風土記稿』の略。
表示できない字体は●で示した。

寺院
宗派寺院名創建年代

開山
( )内は没年

開基
( )内は没年
所在地代表者摘要
天台宗宝泉寺文禄2(1593)良位法印(寛永12.10.1) 菅沢町5-24横溝晃信龍沢山と号し、元日吉金蔵寺の末寺で本尊に大日如来を安置している。昭和37年堂宇を再建。
光明寺貞治元(1362)慶厳法印(貞治2.8.10) 獅子ヶ谷町746傍島毅堂長栄山と号す。正徳2年雄勇法印代に再興。本尊薬師如来は、往昔境内より現出したと伝える。
本覚寺承応年中(1652~1655)法印堯辨(延宝1.10.12)名主
横溝五郎兵衛
獅子ヶ谷町799木崎寛信真如山と号し、本尊大日如来。初め大日堂、天和3年都筑郡吉田村の本覚寺を引き移すという。
享保20年秀存が中興。
真福寺貞観年中(859~864)慈覚大師(貞観6) 上末吉1-15-10石塚慈訓明王山不動院と号し本尊不動明王は、慈覚大師の作と伝う。宝暦年中常愍が堂宇の再建を遂げ中興。
宝塔寺   下末吉6-25-34榎本昇道法栄山と号し、本尊に阿弥陀如来を安置しているが、由緒は不詳。
大聖寺正治1(1199)  仲通1-2-3山本忍友聖王山と号し、本尊に大日如来を安置しているが開山開基はつまびらかでない。嘉吉2年中興、天正15年祐秀法印が再興以来法嗣二十三世を重ねて今日に至っている。
天王院天安2(858)慈覚大師(貞観6) 寺谷1-2-1生方忠常光瑞山と号し、本尊は阿弥陀如来、文禄3年祐山が再興、その後延享3年伝海が再建したが、明治44年3月火災のため焼失、昭和2年現境地に移して再建。
真言宗龍泉寺明応3(1494)  岸谷4-3-2寿山良知生麦山と号す、往古は浄土宗で二世は本誉文覚(永正7年11月朔日寂)という。明治40年寿山良海が住持して堂宇を再興、本尊不動明王は、往昔滝坂不動に安置したものを移すという。
創建年代は『風土記稿』に「太郎兵衛姉聟明応三年三月 日没とありこれ開基にてもありや」とあるのに従った。
東福寺寛治1.3(1087)勝覚僧正 鶴見1-3-5金子隆遍子生山と号し、本尊に如意輪観世音を安置している。鎌倉時代武蔵の豪族稲毛三郎重成の帰依を得て堂宇を再建、安政2年江戸大地震に大破し同4年10月、山門下から今の境地に移して再建。
東漸寺寛治年中(1087~1093)勝覚僧正 潮田町3-144-2森岡隆宥金胎山と号し、本尊に大日如来を安置している。寛保年間宥長が住持して中興、明治初年まで鎮守杉山社(現潮田神社)の別当を兼帯していた。
正泉寺寛永1(1624)全浄 生麦4-31-4野沢隆幸南海山と号し、本尊は薬師如来、宝永年中覚宣が中興、その後文政年間恵照が再建、天保の中期以降は衰退。大正14年、野沢光了が再興。
宝蔵院   馬場4-7-5國田隆稔愛宕山と号し、本尊は大日如来、草創の年代および開山開基はつまびらかではない。
過去帳に歴代不明であるが法印弁栄永享7年□□朔日寂とある。
元禄2年秀賢が中興。
長松寺寛永年中(1624~1643)法印快重(延宝5.6.18)岸内記(駒岡町美濃部家文書)駒岡町383金子隆光摩尼山と号す、本尊薬師如来は江戸時代地頭久志本左京の寄進と伝える。
正薬寺明暦2.6(1656)法印秀尊(明暦2.6.6) 矢向3-6-23原 隆環重養山と号し、市場村金剛寺の中興秀尊の草創と伝え、本尊に大日如来を安置している。昭和3年本多隆賢が再建。次で隆環が増改築を施した。
金剛寺弘仁年中(810~822)法印尊慶 市場下町6-33中田隆勲光明山と号し、本尊は大日如来、寛永のころ秀尊が、古来天神前にあった境地を今の所に移し中興、昭和20年戦災を受け、同38年再建。
浄土宗専念寺承応年中(1652~1655)
寺伝縁起
昭西(寂年不詳) 市場東中町3-18佐々木博易一心山と号し、本尊は阿弥陀如来初め観音堂、宝暦年間誠誉代に再興、天保13年将軍家斉の娘盛姫の帰依を得て寺門興隆、安政年間達誉が堂宇を再建。
良忠寺仁治元(1240)記主禅師良忠上人(弘安10.7.6) 矢向4-21-36森本祐堂記主山と号し、京都智恩院の末寺、仁治元年3月良忠上人が、霊夢により鶴見川岸で薬師の尊像を得て、一宇を建立したのが当寺の起源といわれる。
宗泉寺正保4(1647)心連社念誉(正保4.1.15)北寺尾村
名主 市右衛門
上宮2-24-3横井久運縁峯山と号し、本尊は阿弥陀如来、初め草庵であったのを、寛文年中里正市右衛門が興して一寺とした。
正行寺天正4(1576)正蓮社行誉順他(慶長6.6.10) 駒岡町1392白石謙祐宝元山と号し、本尊に阿弥陀如来を安置している。明暦3年遺誉代に中興、什物に徳本本名号一幅がある。
慶岸寺天正9(1581)昭誉究竟慶岸大和尚(天正9.3.15) 生麦5-13-61林田智源入蔵山と号し、本尊は阿弥陀如来、聞誉可信代の元禄14年再興後数度にわたり再建、門前の子育地蔵尊は伝説として知られる。
安養寺明応9(1500)慶誉(明応9.5.7) 岸谷1-22-12宮本良純一到山と号し、本尊に阿弥陀如来を安置している。延宝4年厳誉が中興、境内弁天堂本尊弁財天の胎内仏は弘法大師の作と伝える。
浄土真宗本願寺派最願寺延慶元(1308)浄土宗改宗第一世祐源(天和元3.3)宇多源氏源三秀義の末流宗重矢向4-19-18藤江祐憲京都西本願寺の末寺、延慶山と号し、本尊阿弥陀如来、往古は真言宗で、慶長年間祐源のとき真宗に改め、後さらに良賢代の元禄10年本願寺派に転じた。
真宗
大谷派
智広寺昭和3 釈智証佃野町38-26橋本正博鶴見山と号し、本尊は阿弥陀如来、智証が、真宗山元派鶴見説教所として創立。
明正寺正徳年中(寺伝) 快順潮田町2-85深田博之石波山と号し、本尊は阿弥陀如来、もと長野県長玅寺塔頭、明治10年独立、大正6年当所に移転。
真宗
長生派
長生寺昭和28.9.8 柴田阿や生麦1-7-10柴田阿や昭和28年寺号認証、本尊に阿弥陀如来を安置している。
臨済宗
建長寺派
松蔭寺建武元(1334)枢翁妙環仏寿禅師(文和3.2.18) 東寺尾1-18-1川上敬吾仏鶴山と号し、本尊に釈迦如来を安置している。建長寺第三十世仏寿禅師の開創。二世芳林和尚中興以来二十八世を数える。寺宝に奈良時代、阿弥陀如来坐像がある。
曹洞宗総持寺元享1.6.8(1321)瑩山紹瑾常済大師(正中2.8.15) 鶴見2-1-1乙川瑾英曹洞宗大本山諸嶽山と号し、本尊に釈迦牟尼仏を安置している。もと石川県鳳至郡にあって、明治31年4月13日火災のため焼失、同40年3月、鶴見に移転再興。
成願寺天正3(1575)声庵守聞和尚(寛永1.1.29) 豊岡町6-1谷川徹禅医王山と号し、本尊に釈迦如来を安置している。往昔は寺尾に草庵として創立され、のちいつのころか鶴見二見台に移り、大正元年さらに今のところに移して再建。
光永寺天山4.4(1576)白山純応和尚(文禄4.9.10)潮田左馬介光永汐入町2-43-3荒原教之潮田山と号し、本尊は釈迦如来、光永は、父光行の遺志を継いで当寺を開基、光行の弟で下末吉宝泉寺第四世の自山純応を迎えて開山とした。
円光寺昭和17.4菅原哲円赫田正円朝日町1-55赫田正円観音山と号し、本尊は釈迦如来、初め正円が北町説教所として創立、昭和41年本堂再建。
寿徳寺寛永年間大室良奕(寛永20.12.18) 江ヶ崎町14-7広瀬定雄栄松山と号し、本尊は釈迦如来、下末吉宝泉寺第六世大室良奕の開創、昭和2年仙英が中興。
行定庵元禄2(1698)盛栄慶海(元禄11.9.21) 上末吉4-4-19松阪秀宏大日山と号し、本尊は大日如来、初め浄土宗でのち下末吉宝泉寺第十世大了慧満が再興、今の宗旨に改む。
宝泉寺永正元(1504)海印智斉禅師(大永1.8.6)間宮豊前守康俊(天正18.3.29)下末吉6-19-31松阪秀宏長谷山と号し、本尊に釈迦如来を安置している。往昔は、寺領三十石を有し、住僧他出の際は、万石大名の格式で、道中の往来を許されたという。
建功寺永禄年間大州長誉(天正12.6.9)
声庵守聞(寛永1.1.29)
諏訪馬之●馬場1-2-1桝野信歩徳勇山と号し、本尊は釈迦如来、初め声庵守聞和尚が、諏訪氏の帰依を得て、堂宇を建立。その師大州長誉和尚を講じて開山とした。
寺では両和尚を開山している。慶長14年に殿堂建立の記録(過去帳)にある。
常倫寺天文11.3(1542)涼月安清(弘治3.3.23)久志本左京亮常勝駒岡町394上原良哉照光山と号し、本尊に釈迦如来を安置している。初め瑞雲山吉祥院と号したが、のち宝永4年久志本左京が当所を知行して檀越となり、堂宇を再建、常倫寺と改む。
日蓮宗妙光寺大正14.8星野日亮平塚日順北寺尾4-15-7平塚幸光本法山と号し、本尊に釈迦如来、日蓮上人像を安置している。初め平塚日順が潮田下野谷に布教所として創立。
日蓮正宗妙寿寺昭和35.2千種日健 市場下町2-3佐藤正英鶴林山と号し、本尊は十界曼陀羅。昭和39年1月妙寿寺と改称。
法華宗
本門流
妙信寺昭和28.11中道日浄中道日浄下末吉4-12-2中道日浄初め日浄が妙信教会として創立。本尊に日蓮上人像を安置。昭和28年妙信寺と改称。
法華真宗本琉院昭和9黒沢日慈 本町通2-10惣慶ヨシ初め妙宗大慈会報恩閣として創立。昭和29年本琉院と改称。
本妙院昭和9黒沢日慈和田亮東寺尾2-10-30和田亮初め妙宗大慈会宝仙閣として創立。昭和29年本妙院と改称。
日本山大僧伽
妙法寺
日本山妙法寺
鶴見小僧伽
昭和29.3(寺号認証)石山善邦石山善邦東寺尾4-1-33石山善邦本尊に釈迦如来および日蓮上人像を安置する。
単立真宗本願寺昭和15.4塚田文道 岸谷2-8-26塚田文隆昭和15年塚田文道が、真宗本願寺派道場として創立。
念仏寺昭和12吉岡覚良 栄町通2-21-1吉岡覚了本尊阿弥陀如来、もと真宗大谷派に属したが、昭和28年寺号認証を得て、単立寺院となった。

神社

神社
神社名祭神所在地代表者摘要
末吉神社天照皇大神 大山祇命 誉田別命 日本武命上末吉4-14-14石川正人往古より上末吉に鎮座していた三島神社、八幡神社、梶山神社を、昭和31年4月合併して末吉神社と改称、同33年10月社殿を再建。
稲荷社稲倉魂命上末吉2-11 
稲荷社稲倉魂命上末吉2-20 
稲荷社 上末吉5-4 
稲荷社稲倉魂命上末吉4-14当社祭礼のノボリに「八幡稲荷大明神文化十四丑九月吉日」とある
稲荷社 梶山2-39  
道祖神社猿田彦命駒岡町273石川正人古来駒岡講中の信仰神としてこの地に鎮座、昭和29年道路拡張整備のため駒岡町194番地より遷座。
稲荷社稲倉魂命駒岡町273古くは上駒岡村の鎮守。慶応2年再建。
稲荷社稲倉魂命駒岡町1010村明細帳(明治3年)には、「稲荷大明神、小社壱ヶ所、但シ百姓持」とある。
神明社天照皇大神駒岡町1002風土記稿には「中村ノ内南ニアリ是モ村内ノ鎮守ナリ」とある。明治6年村社に列せられた。
厳島神社市杵島姫命駒岡町1222村明細帳には「弁天之小社」とあり、昭和54年4月社殿を再建。
伊勢山神社天照大神・日本武尊駒岡町1660昭和35年ごろ、同所の杉山社を合併。往古は伊勢宮と称し、社地7畝17歩を有した。
八幡神社應神天皇駒岡町2467風土記稿には「八幡社、下村ノ鎮守ナリ東南ノ間ニタテリ、村民持」とある。
浅間神社木花咲邪姫命駒岡町2494村明細帳には「浅間宮、小社壱ヶ所百姓持」とあり、石殿には「寛政九丁巳十一月建立」と刻む。
金毘羅社大物主神駒岡町1647 
三峯神社日本武尊駒岡町1527礒谷善五郎宝永2年秩父三峯神社の分霊を観請と伝える。
稲荷社稲倉魂命獅子ヶ谷町137石川正人旧字灰ヶ久保の氏神として鎮座。
神明社天照皇大神獅子ヶ谷町166古くは上村のみの鎮守。明治6年村社。昭和20年戦災により社殿を焼失、同22年再建。
日枝神社大山●命獅子ヶ谷町170旧字原谷戸の氏神として古くより鎮座昭和33年暴風雨のため社殿が倒壊し、同34年、神明社の内に移して再建。
神明社天照皇大神獅子ヶ谷町698古くは村の総鎮守でのち下村のみの鎮守となり、文政3年11月再建。
大六天社面足尊、惶根尊上の宮2-8瀧川藤平 
八幡神社應神天皇上の宮1-32伊藤 衞風土記稿には「八幡社小名上宮耕地ニアリ神体ハ木ノ立像ニシテ長九寸許リ」とある。
稲荷社稲倉魂命北寺尾5-2渋沢稲荷と称す。昭和30年火災に罹り規模を縮小して復旧したが同52年旧観に倍して再建。
熊野神社伊邪那岐命北寺尾2-3風土記稿には「小名別所ニアリ、石階20級ヲ登リテ木ノ鳥居ヲ建ツ」とある。昭和20年戦災で焼失し、その後復旧したが、老朽化のため同50年再建。
愛宕神社火軻遇突智命下末吉5-29古くは字深町俗に「土浮」という所に鎮座したが、いつの頃か洪水のため社殿を流出してそれまで鎮座していた神明社の内に移して相社とした。明治6年村社、昭和15年社殿を再建、同43年11月同所の熊野神社を合併。
稲荷社稲倉魂命下末吉3-17横山金蔵明治の初めごろ、鶴見川の洪水でどこからか稲荷の神体が漂着し、祭るところという。
熊野神社伊邪那岐命、速玉男命、事解男命寺谷2-16-1柄沢正一郎口碑によれば別当弘誓寺(廃寺)の僧が、紀州熊野大権現の分霊を観請したところという。亨保20年、寛政5年に両度に再建。
市杵島神社市杵島姫命寺谷1-16古来より熊野神社社前の池辺(旧大池)に祭られ、大正の末ごろ大池の埋め立てに伴い今の弁天池池畔に遷座。
秋葉神社天軻遇突命豊岡町10金子元重天文年間の創立というも由緒不詳。
鶴見神社素盞鳴命、五十猛命、伊弊諸命他20神を合祀。鶴見中央1-14神社明細帳には「延喜式内神社たる事著し」とあり、また「吾妻鏡」に、仁治2年11月鎌倉将軍頼経が当社へ参詣のことが見えている。古くは杉山明神と呼ばれ、その祭礼には古雅な神寿歌も伝っていたが、惜しくも明治のはじめ廃絶した。大正9年2月鶴見神社と改称。
神明社天照皇大神鶴見中央5-6由緒を詳らかにしない。
東関森社保食命鶴見中央1-20治承年間の創立というも由緒不詳。
稲荷社
(五の日稲荷)
稲倉魂命鶴見中央5-6町会管理はじめ橘樹郡生見尾村豊岡879番地、成願寺入口の小川弥太郎地内に祀るという。その後幾変遷して昭和48年2月、現境地に鎮座。
藤森稲荷神社稲倉魂命、保食神鶴見中央5-12  
御嶽神社大口真神生麦5-25-7小堀広俊(地内) 
御社母子稲荷神社 生麦4-15 風土記稿には「社宮司神社 往還ノ西側ニテ字石神井畑ノ中ニアリテ道敷ノウチナリ、祭神詳カナラズ」とある。
神明社天照大神生麦3-13照本 禎風土記稿には「神明社、字原ニアリ、海道ノ北ノ方二十四間程引込デアリ、鎮座-年代詳カナラズ」とある。
水神宮速津彦命、速秋津姫命生麦4-31もと同所の正泉寺境内にあったが、大正12年9月1日の関東大震災に大破し、昭和2年現境地に遷座。
稲荷社稲倉魂命、天照大神、豊受大神生麦4-27風土記稿には「稲荷社、往還ノ中程字元宮ニアリ、是ヲ道念稲荷ト云」とある。民俗信仰行事「蛇も蚊も祭り」の発祥地といわれる。
杉山神社日本武尊岸谷1-20-61天正2年以来この地に鎮座すという。風土記稿には「杉山明神ハ式内都筑郡ノ神社ナリ夫ヲ観請セシナルベシ」とある。明治40年2月村社。明治維新までは同社の龍泉寺が別当を兼帯していた。
八幡神社應神天皇鶴見1-10照本 禎享和3年の村明細帳には「八幡宮除地、四畝六歩」とある。
白旗神社品陀和気命東寺尾2-10照本 力永享7年6月5日寺尾の城主諏訪氏の観請と伝え、往古は寺尾4か村の総鎮守で、同所の建切寺が別当を兼帯していた。明治6年村社。
熊野神社国常立尊、伊邪奈岐命、伊邪奈美命市場東中町9-21萩原豊英口碑によれば弘仁年中、紀州熊野の別当尊慶が観請したところという。明治5年京浜間鉄道の敷設に当たり旧字道上耕地から今の地に遷座した。明治6年村社。
稲荷社稲倉魂命市場西中町5 市場一里塚の地内に祭る。往古より鎮座すという。
稲荷社保食神市場下町9  
稲荷社稲倉魂命尻手2-7  
潮田神社国挾槌命素盞鳴命五十猛命国常立尊他3柱。誉田別尊ほか2柱を配祀。潮田町3-13萩原豊英『横浜市史稿』によれば「永禄三年のころ、太田新六郎康資が当村を知行したとき、村内を二分して東潮田と西潮田とし、東に杉山社西に御嶽社を祭り、各社殿を造営したといわれる」とある。明治6年杉山社・御嶽社共に村社となり、大正8年11月両社を合併、同9年1月潮田神社と改称。
於舎子治稲荷神社 潮田町1-37 由緒はつまびらかではないが、古くよりこの地に鎮座したといい、一般に「おしゃもじさま」と呼ばれ、虫封じの神、子宝の神として信仰される。
厳島神社市杵島姫命汐入町3-47  
稲荷社稲倉魂命汐入町3-47  
稲荷社稲倉魂命汐入町2-39稲村祐雄 
稲荷社豊字気比売命汐入町3-48  
八幡神社誉田別尊。淤母陀琉神阿夜訶志古根神江ヶ崎町13-22萩原豊英天明8年、当所を知行した荒川数馬が観請したところという。もと東通り(元鶴見操作場)というところにあったが、京浜間鉄道の敷設に当たり社地がその敷地内にあったため、昭和3年10月、今の地に遷座した。明治6年村社、同42年11月同所の第6天社を合併した。
大山祇神社大山祇神菅沢町13-10萩原豊英明治維新までは、山王社と称して同所の宝泉寺が別当を兼帯していた。明治6年村社に列せられ、大山祇神社と改称。
日枝神社大山咋命・天御中主神天津神七柱国津神五柱豊受比売神矢向4-16-2寛永15年建立の標札を蔵し、古くは矢向村、市場村、江ヶ崎村、塚越村、古川村、上平間村、下平間村など近郷7か村の鎮守で、天保の末に至って各村に分離し、矢向一村の鎮守となった。明治6年村社、山王社を日枝神社と改称。
神明社天照大神馬場6-17-20萩原英政『風土記稿』には「神明社、字池ノ谷ニアリ南向ニシテ二間半四方、前ニ鳥居ヲ立」とある。明治6年村社に列せられた。
稲荷社稲倉魂命馬場3-17相国稲荷または寺尾稲荷と呼ばれた。『風土記稿』には「正一位相国稲荷ト号ス、相国ノ文学イカナル故ト云コトヲ知ラズ。馬術ヲ学ブ人当社ニ祈誓シテ大イニ感応アル由」とある。鶴見神社境内に「是より二十五丁、寺尾稲荷道」の碑がある。
小野弁天神社市杵島姫命下野谷4-154中山通之助初め鶴見川河口の北東部防波堤の起点に祭られ、のち、大正11年臨港鉄道の敷設に当たり現在地に遷座。

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