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鶴見の石碑

最終更新日 2019年2月6日

ここでは『鶴見区史(外部サイト)』の第二編「民俗」所収の第三章「石碑一覧」をご覧いただけます。
以下の内容は、『鶴見区史(外部サイト)』の原文のまま掲載しています。

石碑一覧

配列は、現行の町内会組織による地区とし、そのなかで年代順としたが、一部地区においては便宜上数区を一括し、代表的な地区に含めた。

矢向地区(矢向、江ヶ崎)

石碑一覧 
年代名称建立者所在摘要 「 」は銘文を示す
徳治元年二・九(一三〇六)板碑 矢向四-二一 良忠寺蓮台上に阿弥陀三尊の種字、中央に年号を陰刻。
延慶二・二・九(一三〇九)板碑 矢向四-一九 最願寺上部方形の輪郭内に阿弥陀三尊の種字、中央下に年号、両側に光明真言偈を四行に彫出する。
寛文一一・一(一六七一)庚申塔江ヶ崎村
庚申講中一一人
江ヶ崎一四-七 寿徳寺舟形光背。阿弥陀如来合掌立像、台石に三猿を浮彫り。
正徳二
(一七一二)
橋桁石 矢向四-一六 日枝神社もと二ヶ領用水路に架した橋桁石、現在五枚が、神社の参道敷石となって残る。
元文四・三(一七三九)石燈籠残欠小泉太次兵衛ほか念仏講中

正面角塔「念仏講供養」

元文四・三(一七三九)念仏供養塔念仏講中角塔台石正面「念仏講供養」
安永九・一(一七八〇)手洗鉢矢向村巳待講中鉢石側面、推橋伝右衛門ほか十一人の願主名を陰刻
天明四・一一(一七八四)庚申塔庚申講中七人江ヶ崎一三 八幡神社六臂青面金剛像浮彫り頭上に蛇巻きの庚申。
天明四・一二(一七八四)手洗鉢施主 黒川喜兵次

鉢正面「浄水」は隷書で陰刻。
天明六・一一(一七八六)石鳥居「惣氏子中」明神形。
天明八・一二(一七八八)右大臣左大臣像地頭 荒川数馬衣冠束帯坐像、石工鶴見村飯島吉六。
天明八・一二(一七八八)狛犬(一対)願主鴨志田与右衛門 
寛政四・七(一七九二)道標 矢向四-一九 最願寺尖頂角柱正面「右いけがみ道」。右側面「左りか奈川道」。左側面「左りすへよしみち」
寛政五・七(一七九三)百番順礼供養塔施主 中村平左衛門矢向四-二一 良忠寺角塔丸彫観音坐像、西国、秩父、坂東百番観音霊場巡礼供養碑。
寛政五・二(一七九三)橋桁石世話人 鴨志田ほか江ヶ崎町一四-七 寿徳寺橋桁石側面に、寒念仏石橋供養とあり、世話人の連名がある。
寛政六・三(一七九四)石鳥居造立発願主
金子武助他
矢向四-一六 日枝神社

明神形、石工は鶴見村飯島吉六。

寛政九・六(一七九七)石宮江ヶ崎総村中
発願主、永井伴蔵
江ヶ崎一三
八幡神社境内
切妻笠石宮第六天社。
寛政一一・二(一七九九)庚申塔講中 黒川喜兵衛ほか六臂青面金剛合掌像浮彫、頭上蛇巻庚申。
文化二・四(一八〇五)狛犬(一対)願主 斉藤次郎兵衛矢向四-一六 日枝神社 
文政五・一(一八二二)庚申塔矢向村庚申待講中剣形六臂青面金剛像、台坐に三猿(浮彫)。
文政一〇・七(一八二七)手洗鉢女人念仏講中矢向四-二一 良忠寺鉢正面「金浄水」
文政一二・六(一八二九)徳本念仏塔当村百八講中良忠寺角塔正面南無阿弥陀仏名号、左右側面に観無量寿経「偈」
天保六(一八三五)力石世話人 音五郎他矢向四-一六 日枝神社「奉納 五拾〆余」
天保九・六(一八三八)庚申塔南講中六臂青面金剛像、像の胴周り龍を浮彫り。
嘉永四・(一八五一)豊遊石(力石)矢向村弥五郎石面「豊遊石 矢向村当所弥五郎」
元治二・二(一八六五)手洗鉢願主 山本平四郎他 
慶応二・二(一八六六)八幡石(力石) 江ヶ崎町一三-二二
八幡神社
「八幡石 四十〆目 江ヶ崎村」
明治二九・一・一二(一八九六)豊遊石記念碑発起人
矢向 森田庄兵衛他
矢向四-一六 日枝神社豊遊石百二十貫(四五〇キロ)をさし上げ歩いた、矢向の弥五郎と江ヶ崎鴨志田与右衛門の大力記念碑。
明治三九・五(一九〇六)忠魂碑矢向、江ヶ崎村
青年同志会
矢向四-一九 最願寺日露戦役従軍者二十余名の忠魂碑。
大正八・六(一九一九)報恩碑 江ヶ崎一四-七 寿徳寺扶桑教故権大教正鴨志田與右衛門翁之碑。
昭和二四・一一・二五(一九四九)梵鐘釋祐賢 前住釋天城矢向四-一九 最願寺池中央「南無阿弥陀仏」
昭和三五・一一・六(一九六〇)梵鐘五十七世喜譽祐顯矢向四-二一 良忠寺池面「梵聲如雷八音聴妙響」吉田茂揮毫。
情報なし橋欄 矢向四-二一 良忠寺正面「ぢざうばし」とあり、もと二ヶ領用水に架した橋欄を移すという。

市場地区(尻手、元宮、市場上町、市場東中町、市場西中町、市場下町、市場大和町、市場富士見町、菅沢町、平安町、栄町通)

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
寛永一〇・二(一六三三)庚申塔願主
関口九右衛門他
菅沢町一五 宝泉寺宝篋印塔形、山王二十一社庚申。塔身背面「庚申本地薬師云々」
明暦二・九・三(一六五六)念仏供養塔願主 村田三右衛門
市場村念仏講中
市場下町六-三三
金剛寺
舟形、地蔵立像浮彫り「奉造立地蔵尊念仏講供養也」
延宝八(一六八〇)地蔵像 菅沢町一五 宝泉寺祠堂 舟形光背、地蔵立像(浮彫)。
元禄一〇・二・一五(一六九七)庚申塔施主 善極坊
講中八人
菅沢町一〇
(鶴見川べり)
六臂青面金剛、二鶏三猿を浮彫りする。
「奉庚申供養」
元禄一五・二・二四(一七〇二)地蔵像 菅沢町一五 宝泉寺丸彫地蔵立像。
宝永五・一・一四(一七〇八)名号碑市場村 角和惣兵衛市場下町六-三三
金剛寺
碑正面「南無阿弥陀仏」
宝永六・三(一七〇九)手洗鉢未富六郎右衛門他市場東中町三-一八
専念寺
鉢正面「奉寄進水鉢」
宝永六・三(一七〇九)石燈籠(一対)國広小助他竿正面「奉寄進石燈籠」
宝永七・二・二八(一七一〇)廻國供養塔祐誉宗心市場下町六-三三
金剛寺
舟形、地蔵立像浮彫、右側「奉納大乗如典日本廻國六十六部供養仏」
宝暦四・一〇(一七五四)庚申塔願主 鈴木三郎衛門市場下町九板碑形六臂青面金剛(合掌)像を浮彫り。
宝暦九・三・二一(一七五九)名号碑
(道しるべ兼)
願主 善心市場東中町三-一八
専念寺
角塔の正面「南無阿弥陀仏」。右側「矢向小杉への道」、左側「のみち」
明和五・四(一七六八)千手観世音碑願主 静誉大渕和尚 紫式部の守本尊角塔正面「災難除千手観世音菩薩」。左側面、当山鎮守富士浅間大菩薩とある。
寛政一〇・九(一七九八)巡礼供養塔願主 岸定右衛門市場下町六-三三
金剛寺
撫肩角塔「奉巡礼四國西國坂東秩父霊場巡拝供養塔」背面、俗名紋十郎菩提とある。
享和三・一一(一八〇三)手洗鉢宮田定七菅沢町一三-一〇
大山祇神社
筒形。
文政二・一二・六(一八一九)三界万霊塔 市場下町六-三三
金剛寺
自然石。
文政六・一・一九(一八二三)筆子塚筆子世話人
橋場 勘助他
角塔正面「仙嵒良壽信士」右側面「俗名鈴木与右衛門」台石左側面に「筆子中」とある。
天保八・五(一八三七)手洗鉢願主 畑宗吉市場東中町九-二一
熊野神社
鉢正面の刻銘は、玉山浅井長衛の書。
元治一・九(一八六四)万霊塔功徳主 檀家中市場下町六-三三
金剛寺
角塔正面「万霊塔」
慶応三・五(一八六七)常夜燈(一対)総氏子中市場東中町九-二一
熊野神社
棹石「寄進総氏子中」
明治一五・八・一四(一八八二)筆子塚大島村世話人
青木庄左衛門他
市場下町六-三三
金剛寺
「慈嶽妙光大姉、俗名中村浪」とあり、台石正面に「筆子中」とある。
明治二七・三(一八九四)添田知通壽像碑 市場東中町九-二一
熊野神社
神奈川県官吏元市場村名主、撰文と書は文学博士重野安繹。
昭和八・六(一九三三)一里塚碑 市場西中町五慶長九年築造、日本橋から五里(二十キロ)「武洲橘樹郡市場村一里塚」とある。
情報なし馬頭観世音矢向、みき、金次良、兵次良菅沢町一〇剣型角塔、文字碑。

鶴見中央地区(鶴見、鶴見中央)

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
寛永七・七・二八(一六三〇)宝篋印塔黒川権六鶴見一-三 東福寺基礎正面に「僧都法印賢膳、志者黒川権六、十三回忌」とある。
延宝九・五・八(一六八一)石燈籠堀周防守親貞鶴見二-一 総持寺旧在上野寛永寺。将軍家綱廟奉献灯籠。
延宝九・五・八(一六八一)石燈籠浅野長矩
貞享一・四(一六八四)道標了眞房各賢鶴見一-三 東福寺正面「從是子生山観音道」、左右側面
「これよりこいけ山くわんおん道」
宝永二・二(一七〇五)道標 鶴見中央一-一四
鶴見神社
「從是二十五丁馬上安全寺尾稲荷道」(現馬場稲荷)もと旧東海道鶴見橋際にあった。
宝永三・四(一七〇六)石燈籠(一対)願主 休心
関口次郎右衛門他
鶴見一-三 東福寺棹石に「別当子生山東福寺」とある。観音堂奉献の石灯籠。
宝永五・二・一八(一七〇八)六地蔵 舟形光背六地蔵(浮彫)石工飯島吉六。
享保二・三・五(一七一七)庚申塔講中七人の名を刻む鶴見一-一〇 八幡神社六臂青面金剛像浮彫り。像の右側に「奉納庚申供養仏」とある。
宝暦三・一二(一七五三)道標武蔵國住尾車文五郎
上野國住荒邑五郎
鶴見一-三 東福寺角塔の上部に如意輪観世音を浮彫り、下に「子生山観音江之道東福寺現住法印寂照造立之」と刻んでいる。
宝暦一三・一一(一七六三)石鳥居願主 池田藤左衛門
世話人 惣氏子中
鶴見中央一-一四
鶴見神社
明神形。別当最勝寺七世圭灌代の建立石工飯島吉六。
寛政一一・一(一七九九)手洗鉢願主、大石勘左衛門
羽黒山講中
水屋内に据え置かれる。鉢正面に大きく「巴絞」を浮彫りする。
寛政一二・四(一八〇〇)題目塔八丁堀つちや長次郎自然石、「南無妙法蓮華経」
寛政一二・六(一八〇〇)手洗鉢中橋十七日講中同(境内浅間社)鉢正面、丸に一山の講絞、左右に奉納。
文化五・三(一八〇八)石鳥居惣氏子中鶴見一-一〇 八幡神社明神形。石工鶴見村飯島吉六。
文化一〇・二(一八一三)句碑七十二世祐山代
催司武橘庵白紙
鶴見一-三 東福寺「観音の甍見やりつ花の雲 芭蕉翁」、碑陰に、「文化十癸酉年如月東都沙羅書」とある。
文化一三・春(一八一六)句碑小島玄氐「糸桜はらいっぱいに咲にけり去来」ほかに漂国、白帋の句を刻んでいる。
文政二(一八一九)道標願主 遊馬平右衛門他三名正面「如意輪観世音道」、右側「山門まで二丁半東海道上下」
文政一一・二(一八二八)石鳥居 鶴見中央一-一四
鶴見神社
旧中町稲荷社石鳥居。
文政一三・九(一八三〇)石宮世話人 清蔵 兼吉笠付、台石に奥洲仙台金成町とある。
明治三〇・三・二五(一八九七)念徳碑村内有志生見尾小学校訓導小島先生碑。
明治三九・一〇(一九〇六)戦役記念碑鶴見、東寺尾有志鶴見町一-一明治三十七・八年戦役記念、乃木希典書。
大正五・七(一九一六)方位志るべ東京洋品商神部干三鶴見二-一 総持寺角柱頂部平面に干支で方向を陰刻。
大正七・一〇(一九一八)中国革命追念碑 鶴見二-一 総持寺汪兆銘の撰文がある。
大正一〇・一〇(一九二一)石垣等寄進碑鶴見 塩田徳松ほか鶴見中央一-一四
鶴見神社
黒川鶴園、吉川兼本の献詠歌句を刻む。
大正一〇・一(一九二一)自由党追遠碑立憲旧友幽明会鶴見二-一 総持寺自然石西園寺公望の題字がある。
大正一一・二(一九二二)ラッド博士の碑 米国人、教育家。
大正一三・一〇・一七(一九二四)道標黒川鶴園
吉田兼次郎
鶴見二-一 角柱正面二行に「西 みかへし坂、東見返し坂」
大正一三・一一(一九二四)手枕坂碑黒川荘三鶴見二-一 総持寺「旧蹟手枕坂」とあり、右側にその由来を刻む。
昭和六・一一(一九三一)大阪事件記念碑発起人大井憲照他鶴見二-一 総持寺自由党左派の朝鮮改革運動追念碑。
昭和一六・(一九四一)長谷川時雨の碑 鶴見二-一 総持寺自然石「むさしのゝわれも土なりをみなへし時雨」
昭和一六・四・一四(一九四一)戸板関子顕彰碑戸板高女職員有志
卒業は有志
教育家明治二年宮城県に生る。横浜フェリス女学校卒業、のち、大正五年戸板高女を創立。
昭和三九・一一・九(一九六四)慰霊碑鶴見事故慰霊碑建立の会鶴見の列車事故による遭難者慰霊碑。
昭和二七・四・二四(一九五二)慰霊碑発起人 東京駅長加藤源蔵他鶴見二-一 総持寺観音像(金銅)昭和二十六年四月二十四日、桜木町駅構内で起った電車事故遭難者慰霊碑。
昭和五五・七(一九八〇)鶴見川水難者慰霊供養塔鶴見橋住人吉田徳松
山田鉄五郎
鶴見中央二-二〇-二九自然石、このあたり古くは、多くの水難犠牲者を葬ったところという。

潮田中央、潮田東部、潮見橋、潮田西部、小野町地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
明暦二・三(一六五六)地蔵像 潮田町三-一四四 東漸寺舟形光背。地蔵像を浮彫りとするが、磨滅がはげしく、錫杖宝珠を欠落する。
万治二・二(一六五九)念仏供養塔女人念仏講中舟形碑、蓮坐上に地蔵立像浮彫り。右側「爲念仏供養也十七人妙心信女」とある。
元禄一三・一二・二(一七〇〇)庚申塔講中十八名仲町一-二 大聖寺板碑形六臂青面金剛、三猿を浮彫りとする。
正徳六・二(一七一六)念仏供養塔女人念仏講丸彫阿弥陀如来立像。台石に「奉造立念仏講結衆、畑中女人中」とある。
正徳六・一(一七一六)念仏供養塔念仏講中南村女中聖観音立像丸彫り。台石に銘文を刻む。
享保一二・九・七(一七二七)庚申塔庚申講中
野沢市郎兵衛他八名
潮田町三-一三一板碑形、頭光ある六臂青面金剛、二鶏三猿を浮彫りとする。
延享二・三(一七四五)石鳥居(残欠)総氏子中柱のみ、上部欠損。
宝暦七・五・三(一七五七)海翁石西潮田若者中自然石大田蜀山人の調布日記に、この海翁石のことがみえる。
安永四・五(一七七五)手洗鉢 鉢は、中央から真二つに亀裂が入っている。
安永七・一〇(一七七八)庚申塔庚申講中潮田町三-一四四 東漸寺板碑形六臂青面金剛立像を浮彫りとする。
享和二・五(一八〇二)巡拝供養塔願主
林市左衛門他二名
仲町一-二
大聖寺
撫肩角塔正面「奉供養西國・坂東・秩父百番爲二世安楽也」左右に出羽三山、富士山、立山とある。
享和二・三(一八〇二)宝篋印塔世話人
林市左衛門他一〇名
塔身の四面に、四仏の種字。台石正面「先祖代々一切精霊」基礎に法印貞順誌とある。
文化一〇・二(一八一三)念仏塔念仏講中汐入町三-五一丸彫り地蔵立像。
文化一〇・二(一八一三)石鳥居願主 氏子中下野谷町四-一五四
小野弁天神社
額束に「弁天社」とあるが、柱に、文化十癸酉二月初午とあり、稲荷社鳥居である。
天保一一・二(一八四〇)手洗鉢願主 柏屋半兵衛境内の稲荷社々前にある。
嘉永三・九(一八五〇)常夜燈世話人
岩沢三右衛門他
潮田町三-一三一
潮田神社
左右の棹石に氏子中および寄進者名を刻み、基礎に石工飯島吉六とある。
文久二・一一(一八六二)無縁塚 仲町一-二 大聖寺塔身上円光に大日如来種字、塔身に三界万霊、台石正面「無縁塚」
昭和二八・三・三一(一九五三)故大川常吉氏之碑在日朝鮮統一民主戦線鶴見委員会潮田町三-一四四 東漸寺関東大震災時の鶴見警察署長。死を堵して鶴見在住の朝鮮人多数を救う。

生麦第一地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
慶安五・五・一六(一六五二)念仏供養塔願主
三人同行四十七人
生麦四-三一 正泉寺舟形光背地蔵立像を浮彫り「奉造立念仏供養」
寛文八・八・一五(一六六八)念仏供養塔生麦村念仏講中生麦四-二七 稲荷社舟形光背地蔵立像、「奉造立、念仏講供養同行二十人」
寛文一二・一一・一五(一六七二)庚申塔庚申講中生麦五-一三 慶岸寺阿弥陀如来立像、右側「奉造立庚申講同行九人」
延宝五・一一・二五(一六七七)庚申塔庚申講中生麦三-一三 神明社舟形光背阿弥陀如来立像「奉造立庚申供養同行十四人」台坐正面三猿(浮彫)。
延宝八・一一(一六八〇)庚申塔当村同行七人生麦四-三一 正泉寺阿弥陀如来立像「奉造立庚申供養現当二世悉地成就所」台座三猿(浮彫)。
宝永三・五・二七(一七〇六)子育地蔵尊 生麦五-一三 慶岸寺舟形、地蔵立像の胸前に児を双手に抱く。全体に磨滅が激しい。
享保一七・一二(一七三二)庚申塔七郎右衛門他生麦三-一三 神明社板碑形青面金剛(合掌)立像を浮彫り。
享保一九・一一・二九(一七三四)念仏供養塔 生麦五-一三 慶岸寺丸彫地蔵立像。台石に「念仏供養」
明和三・三(一七六六)地蔵講供養塔生麦村講中三十人生麦四-二七 稲荷社舟形地蔵立像浮彫り像の右「地蔵講供養仏」
文化三・一一(一八〇六)百番並敷石供養塔施主 長谷川勘四郎生麦五-三 慶岸寺尖頂角塔、百観音霊場巡拝先祖精霊菩提供養、敷石寄進。
文政一二・四・二六(一八二九)白熊神社碑願主 内田西蔵
内田倉次郎
生麦五-二三の一三文政年間内田家の先祖が、茶店の名物「白熊」の供養として建立。
天保二・(一八三一)手洗鉢願主 田邊伊左衛門生麦四-二七 稲荷社鉢正面「奉納」石工鶴見橋飯島吉六。
安政六・一(一八五九)手洗鉢原町 新藤屋万三郎生麦三-一三 神明社鉢正面中央「神明宮」、左右「奉納」
明治一六・一二(一八八三)生麦事件碑黒川荘三生麦一・一六自然石、文久二年生麦事変の旧跡に建立。碑文並に撰文は、中村敬宇。彫工鶴見村飯島吉六。

生麦第二地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
慶安四・四(一六五一)地蔵像 岸谷一-二二 安養寺舟形、頭光背地蔵合掌立像を浮彫りとする。
宝永二・三(一七〇五)三界万霊塔 岸谷四-三 龍泉寺舟形、地蔵立像浮彫り。
享保九・六(一七二四)手洗鉢施主 南北、八郎右衛門、十左衛門岸谷一-二〇 杉山神社 
延享一・一一(一七四四)庚申塔池谷作左衛門他岸谷一-二八角尖頂角塔、文字碑「庚申講中」
宝暦一〇・三・一五(一七六〇)庚申塔願主 庚申講中岸谷四-三 龍泉寺板碑形、六臂青面金剛像、三猿を浮彫りとする。
天明一・六(一七八一)石鳥居惣氏子中岸谷一-二〇 杉山神社明神形左柱「奉納杉山大明神」
文政一〇・三(一八二七)
(境内福壽弁財天)
手洗鉢願主 江戸芝口新町
監留 山崎屋吉兵衛
岸谷一-二二 安養寺内境内福寿、弁財天社前
天保二・七(一八三一)六地蔵講中 惣檀方中
相誉代
岸谷一-二二 安養寺丸彫地蔵立像蓮坐および台石を備える。
天保五・三・二一(一八三四)弘法大師千年御忌塔功徳主 八木清九郎
妻いち
岸谷四-三 龍泉寺報恩建立とある。法印照海代。
天治一・七(一八六四)
(福壽弁財天)
巡拝供養塔生麦北町
小堀庄三郎
尖頂角塔正面、「奉納経、観世音菩薩供養塔」とあり、西国、秩父、坂東百番順拝を果しての造塔。
昭和二七・一〇・(一九五二)画筆塚飯田九一還暦記念、香蘭会岸谷一-二〇 杉山神社自然石正面「画筆塚」飯田九一書。
情報なし日露戦役記念碑 碑面に、出征軍人六十五名を刻す。

豊岡地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
慶安一・五・一六(一六四八)念仏供養塔念仏講中寺谷一-二 天王院地蔵立像を浮彫り。正面「奉造立地蔵尊一体念仏講之供養也」
元禄一三・一〇(一七〇〇)庚申塔東寺尾村講中寺谷一-二一板碑形、六臂青面金剛坐像、三猿を浮彫りとする。
元禄一五・一一・一三(一七〇二)庚申塔庚申講中(八人)諏訪坂一三角塔正面「奉供養為庚申講之施」
正徳一・一一・一八(一七一一)巡拝塔東寺尾村願主
吉田清左衛門他
寺谷一-二一剣形角塔正面、聖観音坐像を浮彫り、下中央「奉納秩父・坂東・西国百枚札諸願成就」
宝暦二・四・八(一七五二)出羽三山供養塔
(道標兼)
願主 鶴見村、中山先達長伝坊、羽黒山正穏院講中豊岡町六-一 成願寺角塔正面上部に出羽三山の神号を刻み下に「薬師如来道 匡王山成願寺」台石「寛政二庚戌年安楽院修復」
宝暦八・一二(一七五八)地蔵像願主 東寺尾村寺谷一-二〇舟形光背地蔵立像を浮彫りとする。
安永三・八(一七七四)廻国塔鶴見村、池田重兵衛寺谷一-二 天王院寄棟笠付角塔塔身上部に仏坐像を浮彫り、中央「六十六部供養」
安永八・一〇(一七七九)念仏供養塔願主 園西従徳丸彫地蔵坐像、台石正面「念仏供養一切聖霊、爲菩提也」
天明一・八(一七八一)馬頭観世音 諏訪坂一三舟形の八臂馬頭観音坐像を浮彫り。
寛政五・九(一七九三)石鳥居 寺谷一-二一 熊野神社明神形、棟札に「寛政五癸丑歳清浄山弘誓寺、石鳥居一基建立」とある。
寛政五・九(一七九三)手洗鉢願主 吉田甚左衛門同(境内)鉢の右側面弘誓寺(廃寺)七世宥善代造立とある。
寛政一〇・六・二〇(一七九八)百番供養塔願主 吉田甚左衛門
筆子中、吉田長八他
寺谷一-二一
(吉田屋墓地)
自然石、碑陰に「水無月の水にまかせて行身かな」

寺尾地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
康永(一三四二
一三四五)
板碑 獅子ヶ谷町三三五
横溝氏地内(墓地)
山形に二線の切込みは浅く、中央蓮弁の下に、ようやく康永の文字だけが判読される。高さ四十センチ。
延文六・六(一三六一)板碑 上部に阿弥陀種字、蓮弁の下に花瓶、その左右に延文六年六月と紀年銘を陰刻する。高さ四十五センチ。
嘉慶二(一三八八)板碑 東寺尾五-一九
(寺尾小学校内)
上部蓮台上に、大日如来の種字、中央に年号その左右下部に一対の花瓶を丁寧に浮彫りする。南北朝時代。高さ七十七センチ。
情報なし板碑 東寺尾五-一九
(寺尾小学校内)
紀年銘はあるが、部分的磨滅して判読し得ない。大日種字花瓶一対など、同所の嘉慶二年の板碑と同形態で、出所も同じと見られる。高さ五十二センチ。
寛文一二・一〇(一六七二)庚申塔東寺尾村東寺尾中台七
不動堂境内
舟形、右手に剣、左手に索を持つ不動習合の庚申、台石に三猿を浮彫り。
延宝三・一一(一六七五)念仏供養塔獅子ヶ谷村同行十人獅子ヶ谷町七四六
光明寺墓地
舟形、地蔵立像浮彫り。
延宝八・一一(一六八〇)庚申塔願主
源左衛門他
獅子ヶ谷町一六六
神明社境内
剣形角塔 六臂青面金剛立像を浮彫りとする。
延宝八・一一・五(一六八〇)庚申塔 獅子ヶ谷町七九九
本覚寺墓地
舟形、地蔵立像浮彫。
宝永三・一一(一七〇六)庚申塔獅子ヶ谷村同行七人獅子ヶ谷町六九八
神明社境内
板碑形六臂青面金剛立像、頭上に蛇巻き、台石に三猿を浮彫り。
正徳二・一〇(一七一二)廻国塔施主
吉田太良右衛門
東寺尾中台一九
吉田氏地内(墓地)
笠付角塔塔身正面に「奉納大乗妙典六十六部日本廻國諸願成就」
正徳四・九・二一(一七一四)庚申塔講中十二人東寺尾一-一八舟形、光背地蔵立像、台坐に三猿浮彫。
享保一・九(一七一六)法華塔東寺尾村名主
友野太郎左衛門
東寺尾一-一八
松蔭寺境内
笠付角塔、塔身正面「法華塔」
享保一・一一・四(一七一六)庚申塔平田安兵衛他舟形光背、地蔵立像浮彫り。右側「奉彫刻地蔵菩薩尊像爲二世安楽」
享保一・一一・四(一七一六)庚申塔八木下金右衛門他東寺尾六-三六板碑形、六臂青面金剛立像浮彫り。
享保三・一〇・二〇(一七一八)地蔵像施主 獅子ヶ谷村
念仏講中
獅子ヶ谷町一六三丸彫地蔵立像。一般に「子授け地蔵車地蔵」と呼ばれ、古くは村人の信仰を集めた。
享保五・一一(一七二〇)石坂供養塔願主 獅子ヶ谷村
横溝五郎兵衛
獅子ヶ谷町一六六
神明社
撫肩角塔、庚申講、弁天講中および、村中惣氏子の建立である。
享保八・一〇(一七二三)順礼供養塔願主 武州入間郡小谷田村 円誉教心東寺尾一-一八 松蔭寺丸彫地蔵立像、「秩父、坂東三十三度成就供養佛」愚海代。
享保一七・(一七三二)霊場石標施主 持丸氏尖頂角塔義高入道尊参道入口、正面「小机十一番慈眼堂」とある。
元文三・六・二三(一七三八)庚申塔施主 吉田氏東寺尾中台一九舟形碑、六臂青面金剛(合掌)立像を浮彫りとする。
寛保二・一二(一七四二)庚申塔 東寺尾一-一三剣形角塔、六臂青面金剛立像浮彫り、右側「奉造建庚申尊形石橋二箇所」
延享二・九(一七四五)庚申塔昼間源八他三人獅子ヶ谷町六八〇尖頂角塔、文字碑、「奉造立庚申供養」と刻む。
宝暦六・一一・一四(一七五六)庚申塔松陰寺十八世超宗和尚東寺尾四-一一板碑形角塔、六臂青面金剛像、台石に三猿浮彫り。
宝暦八・一二・(一七五八)地蔵像願主 東寺尾村東寺尾中台一九舟形碑、地蔵立像(浮彫)、「奉造立地蔵大菩薩」
明和九・一一・五(一七七二)石宮願主 獅子ヶ谷村中勘左衛門獅子ヶ谷町一六二切妻笠石宮石室右側面に別当本覚寺廠弁代とあるが、祭祀をつまびらかにしない。
安永二・八(一七七三)地蔵像(残欠)天岩代東寺尾一-一八 松蔭寺地蔵尊は欠落、台石「武州東寺尾仙鶴山松蔭寺、除地境内三反八畝歩、山林壱町三反一畝三歩」
安永七・四(一七七八)無縁供養塔横溝平七獅子ヶ谷町七九九
本覚寺境内
観世音菩薩立像(浮彫)。像の右側「爲志聖霊無縁十法界菩提也」
安永八・一一(一七七九)地蔵像東寺尾村 願主 松沢源左衛門東寺尾六-三三丸彫地蔵立像 台石正面「奉造立地蔵尊一切聖霊爲菩提也」
天明六・五(一七八六)石鳥居 獅子ヶ谷町一三七
稲荷社(旧灰ヶ久保)
「額束」背面に、「祭典紀念、明治四十一年初午」とある。
寛政四・八(一七九二)大六天碑願主 由松獅子ヶ谷町二二〇自然石市民の森中央の台地にある。
寛政五・一一(一七九三)石鳥居「惣氏子中」東寺尾二-一〇
白幡神社境内
明神形、石工鶴見村飯島吉六。
寛政六・七(一七九四)石燈籠(一対)願主
横溝五郎兵衛
獅子ヶ谷町一六六
神明社境内
座禅燈籠形。火袋が欠落。棹正面「奉献御宝前」
寛政七・一〇(一七九五)十七夜塔施主 横溝七郎兵衛獅子ヶ谷町七九九
本覚寺境内
舟形、六臂観音合掌立像を浮彫り。台石正面「諸願成就二世安楽」右側「十七夜待」
寛政九・六(一七九七)手洗鉢願主 吉田清兵衛他東寺尾三-一〇
白幡神社境内
鉢正面中央に巴絞を大きく浮彫り。
寛政九・八(一七九七)手洗鉢獅子ヶ谷村
横溝平七
獅子ヶ谷町一六六
神明社境内
境内の光献大明神手洗鉢。
享和二・四(一八〇二)石燈籠飯山谷、荒立谷、白幡谷、池谷 世話人 熊沢弥右衛門東寺尾二-一〇
白幡神社
寛政十三年と明治十九年に修繕。
文化三・四(一八〇六)山王大権現碑 獅子ヶ谷町一六六
神明社
自然石正面、「山王大権現」
文化四・八(一八〇七)手洗鉢願主 横溝清蔵鉢中央「巴」、両側に「奉納」
文化七・二(一八一〇)手洗鉢 獅子ヶ谷町一三七 
稲荷社
 
文化九・二(一八一二)石階標 獅子ヶ谷一六六 神明社尖頂角塔。
文政五(一八二二)力石 東寺尾二-一〇
白幡神社境内
長卵形「文政五午年三十五貫匁、天野仙吉」
文政五・一(一八二二)馬頭観世音願主
横溝七良兵衛
獅子ヶ谷町七九九
本覚寺境内
三面六臂馬頭観音坐像を浮彫り、下辺花頭形わく取りの中に銘文を刻む。
天保一〇・六・一五(一八三九)百番供養塔 舟形光背観音立像浮彫、塔身正面「南無観世音菩薩百番供養塔」
天保一四・三・二七(一八四三)不動像横溝清蔵獅子ヶ谷町七九九
本覚寺
舟形、火焔光背不動合掌坐像を浮彫りとする。
天保一四・一一(一八四三)地蔵像願主 獅子ヶ谷村
横溝五郎兵衛
獅子ヶ谷町一六二舟形、頭光背地蔵立像浮彫り、像の右側に「奥州塩竈地蔵菩薩之写」とある。
天保一四・一一(一八四三)石宮上獅子ヶ谷村獅子ヶ谷町一六六切妻破風、境内社光献大明神祠。
弘化二・五(一八四五)石燈籠(一対)願主 市川重郎兵衛東寺尾中台七
不動堂
棹石正面「御神燈」
弘化二・八(一七四五)狛犬(一対)小田切土佐守直煕 横溝五郎兵衛、郷中獅子ヶ谷町一六六
神明社境内
境内光猷大明神祠前、台石に「從五位下土佐守源朝臣直煕」と刻む。
嘉永五(一八五二)石階標世話人
五神宗左衛門
東寺尾一-一八 松蔭寺境内義堯入道尊石階。
安政三・一一(一八五六)石鳥居世話人
源右衛門他三人
獅子ヶ谷町六九八
神明社
明神形文政十年建立後再建したもの。石工は鶴見村飯島吉六。
安政五・(一八五八)石鳥居(残欠) 参道に放置。
安政六・(一八五九)金毘羅大権現碑 獅子ヶ谷町六九八
神明社
自然石。
昭和四一・八・二七(一九六六)慰霊碑白幡神社奉賛会他東寺尾二-一〇
白幡神社
角塔日清・日露・大東亜戦の戦死者慰霊碑。

寺尾第二(馬場、北寺尾、上の宮)

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
□元□板碑 馬場四-七
宝蔵院境内
中央蓮弁の下に、かすかに紀年の一部が判読される。近年本堂裏の台地から発見されたという。
万治一・八(一六五八)念仏塔寺尾上ノ宮
念仏講
上ノ宮二-二四
宗泉寺境内
舟形、地蔵合掌立像を浮彫り。
寛文一・一一(一六六一)庚申塔北寺尾村
庚申講中
北寺尾五-二
渋沢稲荷境内
宝篋印塔形、塔身の各面上部に、四仏種字を彫出し、正面と左右に一猿ずつ三猿を、瑞雲上に半肉彫りする。
寛文八・七・一五(一六六八)地蔵像 馬場六-一七 神明社舟形、逆修墓碑。地蔵立像を浮彫り。
「奉地蔵尊逆修爲道鏡禅定門菩提也。」
寛文一二・一二・一九(一六七二)庚申塔北寺尾村同行八人北寺尾五-二
渋沢稲荷境内
舟形光背、地蔵立像浮彫り。「奉立石仏者庚申供養也」、台石に三猿彫出。
延宝四・七・二〇(一六七六)念仏塔馬場村念仏講中同行六十人馬場三-一一の八舟形阿弥陀如来立像浮彫り。「奉造立此一尊以切徳主仏果菩提也」
延宝七・一二・一五(一六七九)念仏塔北寺尾村念仏講中上の宮二-二四 宗泉寺舟形碑地蔵立像を浮彫りとする。
貞享一・一〇・二八(一六八四)庚申塔庚申講中北寺尾六-四板碑形六臂青面金剛、「奉造立庚申供養爲二世安楽也」像下に三猿を浮彫りとする。
貞享三・八(一六八六)六地蔵馬場村
願主 沢野勘左衛門他
馬場一-二 建功寺板碑形、一石に地蔵尊三体を線刻し、二石をもって六地蔵とする。馬場村など五か村による石橋架橋供養造立。
貞享五・九・一九(一六八八)庚申塔東寺尾村
八木下安左衛門他
馬場四-七
宝蔵院境内
板碑形角塔六臂青面金剛立像(浮彫)、もと二反田と二本木の境の辻にあった。
元禄五・一(一六九二)庚申塔金井宇右衛門他上の宮二-二四
宗泉寺境内
舟形地蔵立像、「奉造立庚申供養」
元禄六・一一・九(一六九三)庚申塔施主 友野利兵衛他馬場一-二
建功寺境内
舟形光背、観世音菩薩立像を浮彫り。
元禄九・一一(一六九六)庚申塔寺尾村別所谷
鶴田勘左衛門他
北寺尾七-二六板碑形、六臂青面金剛立像、三猿を浮彫り。
元禄九・一一(一六九六)庚申塔別所庚申講北寺尾二-三
熊野神社境内
六臂青面金剛像、もと馬場町一八五番地の丘陵に、北向庚申塔として建立され、昭和三九年当所に移建された。
宝永八・三・五(一七一一)念仏供養塔北寺尾村、下末吉村、鶴見村、馬場村上の宮二-二四
宗泉寺境内
地蔵像浮彫り、「奉造立念仏講供養」
正徳一・五(一七一一)手洗鉢江戸八官町
住吉屋仁兵衛他
馬場三-一六 馬場稲荷鉢正面花頭形にわく取り、中央上に御宝前、大明神とし、年号銘文を刻む。
享保四・一一(一七一九)六十六部供養塔上総國市原郡
西岸禅心
馬場一-二
建功寺境内
舟形、如意輪観音像浮彫り。背面「六十六部供養仏」
享保六・一〇(一七二一)廻國供養塔馬場村宝蔵院
願主 大坂西応
馬場四-七
宝蔵院境内
破風笠付角塔、塔身正面「奉納大乗妙典日本廻國諸願成就所」
享保一〇・二(一七二五)庚申塔九郎右衛門他馬場三-五地蔵立像浮彫り、「庚申供養南無阿弥陀仏」
享保一三・一一・二四(一七二八)庚申塔庚申講中
金井源左衛門他
上の宮二-二四
宗泉寺境内
丸彫地蔵立像、台石「奉造立地蔵尊二世安楽」
享保一四・一一(一七二九)庚申塔馬場村、即翁他馬場三-三地蔵立像を浮彫りとする。
享保一六・二・二七(一七三一)庚申塔田口八左衛門他馬場四-七 宝蔵院地蔵像浮彫「奉供養庚申爲二世安楽」
享保一九・一一・一(一七三四)庚申塔寺尾村馬場谷
田口八左衛門他
馬場四-二〇舟形、地蔵立像、三猿浮彫。
元文一・(一七三六)廻國塔願主 寺尾村雲隆馬場三-五笠付角塔、「大乗妙典日本廻國」
元文三・一一・一三(一七三八)庚申塔施主 今井権左衛門、滝川作兵衛上の宮二-二四 宗泉寺丸彫地蔵立像、「奉造立地蔵尊」
明和一・一一・二八(一七六四)庚申塔鈴木仁右衛門他馬場七-四青面金剛合掌立像を浮彫りとする。
明和四・一二(一七六七)石燈籠(一対)惣氏子、庚申講中上ノ宮一-三二 八幡社棹石正面「奉納石燈籠二基」
明和四(一七六七)地蔵像施主 助右衛門馬場四-七 宝蔵院子安地蔵尊を浮彫りとする。
明和六・六(一七六九)道標江戸八官町
施主 伊勢屋徳兵衛
馬場三-二二
福村クリニック地内
尖頂角塔、正面「右、寺尾稲荷道」
安永九・五(一七八〇)順礼供養塔北寺尾村
施主 滝川氏
北寺尾七-二六舟形、地蔵立像浮彫り。四國西國坂東秩父順礼供養とある。
安永九・一二(一七八〇)石鳥居願主 平野宗久馬場 馬場稲荷「五穀成就福寿増長当所繁栄詣願満足」神主友野伊織。石工与兵衛。
天明六・二(一七八六)巡礼供養塔願主 金井宇左衛門上ノ宮一-四舟形、地蔵西國、秩父、坂東、順礼供養佛。
寛政一・一一(一七八九)石鳥居「惣氏子中」上ノ宮一-三二
八幡神社
明神造。
寛政二・一(一七九〇)巡拝供養塔東寺尾村
熊沢彦兵衛他七人
馬場四-七
宝蔵院境内
尖頂角塔、出羽三山供養と百観音順礼供養と一石として造立。導師宝蔵院真純
寛政三・八(一七九一)手洗鉢「氏子中」上の宮一-三二
八幡神社
鉢正面「巴」紋。
寛政五・二(一七九三)禁葷酒碑 上ノ宮二-二四
宗泉寺境内
「不許葷酒入門内」とあり、碑陰に「宗泉律寺」とある。
寛政一〇(一七九八)開山念誉上人塔宗泉寺二三世妙瑞代尖頂角塔。正面「南無阿弥陀仏」
寛政一〇・一二(一七九八)石燈籠阿久津礼正利、横田乙活郎、完上敬四良馬場三-一六 馬場稲荷棹石正面、奉納御宝前、左右に名を刻んでいる。
寛政一二・一〇(一八〇〇)庚申塔北寺尾村溝中
世話人 横溝源六
北寺尾五-二
渋沢稲荷境内
文字碑「庚申供養」
享和二・六(一八〇二)手洗鉢 馬場六-一七の二〇
神明社境内
鉢中央「巴」紋を大きく浮彫りとする。
享和二・六(一八〇二)石鳥居「惣氏子中」明神造、石工鶴見村飯島吉六。
文化二・一二(一八〇五)馬頭観世音寺尾村池谷講中馬場四-三三舟形、馬頭観音合掌立像を浮彫りとする。
文化二・六(一八〇五)巡礼供養塔施主、滝川氏北寺尾七-二六撫肩角塔坂東、西国、秩父巡礼供養。
文化二・一一(一八〇五)庚申塔綿内谷講中馬場七-四尖頂角塔、文字碑「庚申青面金剛」
文化三・七・二三(一八〇六)三界万霊塔建功寺九世梵秀代馬場一-二 建功寺角塔正面「三界万霊等」
文化三・二(一八〇六)石階標(一対)江戸本所浜町連中
土屋内 吉五郎他
馬場三-一六
馬場稲荷
尖頂角塔、寄進者の大名家厩仲間の名が、連名で刻んである。
文化七・一一(一八一〇)狐像(一対)仙台藩士佐藤大次郎石工飯島吉六、狐像は、飯島吉六の作品では珍らしい。
文化七・(一八一〇)禁葷酒碑建功寺十世一叟代馬場一-二 建功寺 
文政八・一(一八二五)狛犬(一対)願主 金井茂右衛門
鶴田治兵衛
上の宮一-三二
八幡神社
石工鶴見村飯島吉六。
天保二・七(一八三一)石階標当山十世虚堂代馬場一-二 建功寺剣形、合掌を尖頂角柱、石工飯島吉六。
天保一二・一二(一八四一)馬頭観世音鶴田治兵衛上の宮二-二四 宗泉寺馬頭観音座像を浮彫りとする。
天保一四・九・五(一八四三)左文字の墓数馬ノ子 金太郎馬場四-七 宝蔵院尖頂角塔正面「安政二年四月十七日寺尾義金翁行年一百五歳」と左文字で刻む。
天保一五・五(一八四四)庚申講碑庚申講中北寺尾六-四尖頂角塔 文字碑。
嘉永四(一八五一)馬頭観世音金井氏上ノ宮二-二四 宗泉寺角塔、馬頭観世音座像を浮彫りとする。
慶応一・九(一八六五)石階標惣氏子中北寺尾二-三
熊野神社
 
慶応二・一(一八六六)手洗鉢氏子中 
昭和二・九・一(一九二七)震災殃死者供養碑施主裏子安衛生組合
青年同志会、中島庄兵衛ほか二十二名
馬場一-二 建功寺自然石、大震災五周年供養碑。

駒岡地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
慶安五(一六五二)念仏供養塔観音念仏講中
男女共三十四人
駒岡町三九四 常倫寺舟形頭光背地蔵立像を浮彫り「奉造立観音念仏供養也」
慶安五・三(一六五二)念仏供養塔念仏講中四十人駒岡町三八三 長松寺舟形光背、地蔵合掌立像を浮彫り。像の右側「奉供養念仏」。
元禄六・二(一六九三)梵鐘小田切土佐守直利駒岡町三九四 常倫寺以前は駒岡、獅子ヶ谷の農家では、この鐘の音で、農作業の時分を計ったという。
元禄一五・二・八(一七〇二)庚申塔中駒岡村
青木金左衛門他
舟形碑正面「奉彫造青面金剛現未安穏也」とあるが、地蔵立像の浮彫りである。
宝永二・一〇(一七〇五)石坂供養塔 駒岡町一二二〇
厳島神社
自然石の表面「弁才天」文字碑。背面に「石坂造」とある。
寛保四・二(一七四四)庚申塔施主
横須賀長三郎他
駒岡町二七五板碑形青面金剛像浮彫り。「奉建立庚申供養」像の頭上蛇巻きに特色がある。
寛延四・九(一七五一)念仏供養塔願主 中下駒岡村 大塚市右衛門駒岡町一三九二
正行寺内
丸彫り地蔵像、午年寒念仏、女人念仏講、善光寺講、巳待講中の造立。
天明三・一一(一七八三)供養塔小塚勘右衛門駒岡町三九四 常倫寺丸彫地蔵立像、台石正面「供養仏」、右側面に童子三人の戒名を刻む。
寛政一〇・二(一七九八)廻國供養塔 駒岡町一三九二 正行寺出羽三山および百観音順礼供養塔。
寛政一一・四(一七九九)石鳥居願主
硃谷忠左衛門他七名
駒岡町一〇〇二 神明社明神形、額束「神明宮」は、明治十五年の奉納。
寛政一一・四(一七九九)手洗鉢願主 惣若衆中鉢正面中央「巴」紋。
文政四・三(一八二一)石階標世話人
磯ヶ谷太良左衛門他
駒岡町一六四七庚申堂石標。
文政四・三(一八二一)庚申塔小堀助右衛門他駒岡町一六四七板碑形、六臂青面金剛立像、三猿を浮彫りする。
文政八・四(一八二五)道陸神碑小堀氏駒岡町一〇〇二
神明社内
駒形碑、正面「道陸神」
文政一一・一一(一八二八)手洗鉢磯ヶ谷松五郎他十三名駒岡町一六四七
金毘羅社
 
弘化二・八(一八四五)石階標下駒岡村惣氏子中駒岡町二四六七 
弘化三・九(一八四六)道祖神碑願主
宗吉、長兵衛
駒岡町二七三
稲荷社内
尖頂角塔、文字碑正面、道祖神 昭和二十九年駒岡一九四番地より移建。
嘉永四・七(一八五一)石橋願主 小塚長左衛門駒岡町
常倫寺参道入口
常倫寺参道入口の用水路に架る。江戸時代架橋の石橋は、区域でも数少ない。石工矢上村片野七治郎。
嘉永五・三(一八五二)石鳥居(残欠)願主 小塚長左衛門駒岡町一二二二
厳島神社
 
嘉永五・一一(一八五二)狛犬(一対)願主 小塚長左衛門駒岡町一〇〇二 神明社 
嘉永五・九(一八五二)石鳥居氏子中駒岡町二七三 稲荷社 
嘉永七・七(一八五四)石階標発願主 合譽代駒岡町一三九二 正行寺尖頂角塔。
安政三・二(一八五六)地神塔上駒岡村駒岡町二七三 稲荷社尖頂角塔「地神燈」
安政五・一一(一八五七)石鳥居氏子中駒岡町二四六七
八幡神社
明神造。
慶応二・九(一八六六)手洗鉢願主 上駒岡村駒岡町二七三 稲荷社 
明治四三・七・一(一九一〇)追念碑発起人
小塚清五郎他
駒岡町二四九四
浅間神社
自然石神道扶桑教大教正鴨志田興右衛門追念碑。
昭和四三・四・六(一九六八)忠魂碑寺檀一統
三六世乗誉代
駒岡町一三九二 正行寺自然石正面「戦没者弔魂標」とあり、背面、明治百年記念。

上末吉地区(上末吉、梶山三ツ地)

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
寛永二〇・八(一六四三)石燈籠末吉村
吉沢善左衛門
上末吉一-一五 真福寺火袋六面の陵角に六地蔵を半肉彫り、竿は円柱状に二本の中節があり、奉造立地蔵所吉沢善左衛門、と刻銘がある。
慶安五(一六五二)地蔵像 梶山二-八舟形、地蔵像を浮彫りするが、全体に磨滅が激しく、紀年がわずかに判読される。
寛文一三・二・三(一六七三)念仏供養塔念仏講施主
小林弥左衛門内儀他
梶山二-二七の一六
小林忠一氏地内
舟形地蔵像、供養施主はいずれも内儀となっている。
延宝一・一一・一八(一六七三)庚申塔清水吉左衛門他上末吉一-一五 真福寺舟形六臂観音立像を浮彫り、台座の正面中央に一猿(合掌)を小さく刻む。
正徳三・三(一七一三)廻國供養塔六十六部願主 快禅丸彫地蔵立像、台石に「廻國供養仏」
享保一一・一一(一七二六)石坂供養塔
(宝器印塔)
名主 横山次右衛門
上下末吉惣念仏講中
塔身正面に阿弥陀如来種字。基礎に「石坂建立勧化衆中宝塔供養云々」
享保一三・四・五(一七二八)筆子塚手習子
横山七之助他
上末吉一-八
(元円明寺跡)
撫肩角塔墓碑正面「権律師辧頼不生位」
延享二(一七四五)不動像
(道しるべ)
 上末吉一-一五 真福寺舟形正面、不動立像浮彫り。左右側面「從是すへよし不動道」
延享二・四(一七四五)庚申塔 舟形、不動立像、台石に「庚申供養祈祷」
寛延二・一(一七四九)庚申塔横山甚右衛門他上末吉一-一八板碑形六臂青面金剛(合掌)立像。日月邪鬼三猿を浮彫りとする。
寛延三・三(一七五〇)念仏供養塔念仏講中上末吉一-一五 真福寺舟形塔身正面如意輪観世音、右側念仏供養十八人講中。
宝暦三・九(一七五三)念仏供養塔
(道しるべ)
上末吉村
小林
上末吉四-四 行定庵尖頂角塔、正面「一億念仏供養為二世安楽」、右側面二行に「右ハあわしま道、左ハ当村ふどう道」
宝暦一一・一一(一七六一)廻國供養塔願主 小林氏「奉納大乗妙典」六十六部供養塔。
明和一・(一七六四)末吉不動碑江戸土橋講中上末吉一-一六角塔正面、「末吉不動」
明和七・八・八(一七七〇)出羽三山供養塔羽黒山正穏院講中
願主、八幡谷
清水幾右衛門
上末吉一-一五 真福寺塔身上部大日如来座像正面、「三宝大荒神背面、湯殿山、月山、羽黒山供養塔」
安永九・三(一七八〇)庚申塔庚申講中
清水七良兵衛他
板碑形、六臂青面金剛(合掌)立像を浮彫りとする。
天明一・四(一七八一)庚申塔願主 幸助梶山二-三〇青面金剛(合掌)立像、台座三猿浮彫り。
天明二・三(一七八二)供養塔願主
小松原市良兵衛
梶山二-三六阿弥陀如来立像、側面供養者戒名。
天明七・三(一七八七)水神碑名主
横山勘兵衛他
三ツ池公園角塔、正面「水神●」、右側、「池浚御普請御代官城戸佐兵衛」とある。
寛政五・一二(一七九三)庚申塔横山治兵衛他上末吉一-一五 真福寺青面金剛立像浮彫り。
寛政八・七(一七九六)阿弥陀如来像上末吉
山田弥右衛門
梶山一-一(鎌倉街道)舟形碑、頭光阿弥陀如来座像。
寛政九・一(一七九七)庚申塔講中 世話人
小林忠左衛門
梶山一-一八青面金剛(合掌)立像を浮彫りとする。
享和二・四(一八〇二)石鳥居惣氏子、若者中上末吉四-一四明神形、鶴見村石工飯島吉六。
文化一一・八(一八一四)筆子塚施主
筆子四六人
上末吉四-四
行定庵内
卵塔墓碑、台石正面に「施主筆子四拾六人」墓前の角標一対には「奉献筆子中」とある。墓碑に享外和尚とあるも不詳。
文化一四・九(一八一七)手洗鉢氏子上末吉四-一四
末吉神社境内稲荷社
 
天保三・一二(一八三二)狛犬(一対)願主 清水助左衛門昭和三三年再修。
天保一〇・九(一八三九)手洗鉢願主
石塚文蔵娘匁津
石工鶴見橋飯島吉六。
天保一四・三(一八四三)三ツ池碑上末吉村三ツ池公園自然石、正面「千町田に引ともつきじ君が代の恵もふかき三ツ池の水」とあり、古くは上末吉村の灌漑用水であった。
天保一五・一(一八四四)百万遍供養塔権大僧都法印祐志代上末吉一-一五 
天保一五・一一(一八四四)手洗鉢 梶山二-三九の三一稲荷社。
嘉永二・二(一八四九)石宮梶山氏子中上末吉四-一四切妻造、石室正面「梶山氏子中」とあり、梶山神社を末吉神社に合祀の際遷座した。
嘉永六・四・七(一八五三)筆子塚筆子連中
小林忠太郎他
卵塔墓碑正面「大僧都智静塔」とあり、台石に筆子の連名を刻む。
安政四・一二(一八五七)石鳥居 梶山二-三九 

下末吉地区

石碑一覧
年代名称建立者所在摘要
寛文三・四(一六六三)薬師如来像角輪権右衛門他下末吉六-一九
宝泉寺
薬師信仰として地域では数少ない初期の造塔である。
寛文六・二(一六二六)聖観音像 下末吉六-二五 宝塔寺逆修墓碑「爲秀翁妙均禅定門 敬白」
宝永七・一一(一七一〇)庚申塔小松原忠兵衛他下末吉五-二九
愛宕神社
板碑形、六臂青面金剛像(浮彫)。
享保一六・二・二七(一七三一)庚申塔田口伊左衛門他下末吉六-一九 宝泉寺舟形,地蔵立像(浮彫)、「奉供養庚申為二世安楽」
元文三・一二(一七三八)庚申塔庚申講中七人下末吉五-二九
愛宕神社
舟形青面金剛像(浮彫)石橋六ヶ所架橋庚申供養。
延享三・五(一七四六)板碑 下末吉三-一七 稲荷社円形光背神像上に鳥居、中央「空海」とあり。右に年号、左に法華経の偈を刻む。
宝暦四(一七五四)禁葷酒碑鶴見別所
池田藤左衛門母
下末吉六-一九 宝泉寺「不許葷酒入山門」は月舟書。当寺十二世舟禅和尚代。
宝暦八・二・三(一七五八)幟立石標施主 梶山 小林氏下末吉六-一九 宝泉寺角柱、十二世舟禅代。
明和六・一一(一七六九)出羽三山供養塔羽黒山正穏院講中
願主、反塚小八
下末吉五-二九
愛宕神社
角塔上に舟形の大日如来座像、塔身正面出羽三山および庚申講、観音講供養と刻む。
寛政一〇・一〇(一七九八)宝篋印塔横山忠蔵為章下末吉六-二五 宝塔寺塔身の四面に四仏の種字を刻み、台石に、先祖代々一切聖霊菩提爲建立とある。
文化一四・二(一八一七)道標願主 萩原□□□下末吉六-一九 宝泉寺舟形、地蔵像(浮彫)正面二行に「右野みち」、「左てらを道」
天保九・七(一八三八)庚申塔施主 横山四郎兵衛下末吉六-一九 宝泉寺六臂青面金剛立像を浮彫りとする。
天保九・七(一八三八)観音像 下末吉六-一九 宝泉寺舟形、観世音菩薩像浮彫り。
 道標願主 横山平蔵下末吉六-一九 宝泉寺角塔上部仏座像、正面「北 品川みち」右側「西 てらをばば道」左側「東 すへよし宝泉寺道」背面「南、東海道つるみ道」

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