ここから本文です。
よくある質問 歴史・文化について
最終更新日 2024年10月18日
1854年ペリー来航により、(現開港資料館中庭で)日米和親条約が締結され鎖国から開国へ踏み出し、1858年に神奈川沖ポーハタン号船上で、日米通商条約が締結され翌年1859年7月1日(安政6年6月2日)を開港の日と決めました。そしてこの記念館近くに運上所(税関)を置き、これを中心に横浜町が誕生していきました。この頃、岡倉天心の父がいた越前藩は生糸その他を売り込む商店「石川屋」をこの地に出店していました。岡倉天心は1862年ここで誕生し、東京美術学校の創設、日本美術の海外への紹介、日本画家の育成など日本美術界の歴史を担いました。
横浜が開港場として運河が出来た(1860年)頃の「横浜絵」には運上所の隣に町政をみる町会所が描かれており、この実務は旧幕時代を引き継ぎ、総年寄3名、名主5人が置かれた。これはやがて横浜区役所として県庁の敷地内に区庁舎を持つが、記念会館前身ともいうべき町会所(市会所)はこの前に清水組によりここに建てられ県庁近くからここに移されました。これが開港記念横浜会館の前身です。
開港50周年を記念し、大正6年に市民の寄付等により公会堂をメインとして、大小62室1,200人収容の市民の集会施設として工事費36万9千円で建てられ、開港記念横浜会館としてスタートしました。
キングが県庁本館の塔(約49m)、クイーンが横浜税関の塔(約51m)、ジャックが(約36m)。ジャックが大正6年、キングが昭和3年、クイーンが昭和9年、時代は昭和9年以降、英語名であることからして、日本がアメリカと戦争に突入する昭和16年以前ということになりますが、トランプカードの絵札から連想して付けられたとも、チェスの形からとも言われています。また、船が入港する時の目印として呼ばれた、など様々な説がありますが、誰がいつ名付けたか明らかではありません。
廊下・階段・ステンドグラス・2階の資料コーナーなどは10:00から16:00まで見学できます。また、毎月15日は一般公開日となっており、日頃使用中で見られない講堂、1号室が見学可能となります。
このページへのお問合せ
ページID:274-454-224