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「黒船さわぎ」をつたえる小冊子
最終更新日 2024年5月17日
●鎖国から開国への日々 嘉永7年、横浜村のできごと
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●「黒船さわぎ」をつたえる小冊子
横浜の動きを伝える瓦版
幕末、しばしば日本近海に出没した黒船(異国船)は、ついに、1853年(嘉永6)江戸湾に侵入、アメリカ使節ペリーが久里浜に上陸、翌1854年(安政元年)、再渡来。約3カ月にわたり、江戸湾、神奈川沖(小柴沖)に碇泊。日米間に和親条約を結び、数世紀にわたる国是鎖国が終末をとげ、近代日本の夜明けが始まる。鎖国から開国への第一歩を印した。
この日米和親条約締結の場所、日本側がいう応接場は、横浜村の海岸に定められた。幕府をはじめ、応接係の真田・小倉の両藩・江戸湾警備の諸藩らが、招かれざる客のアメリカの使節一行とのつきあいの間に体験した未知の経験は、一つは瓦版で江戸から諸国に流されていった。外国人とその動勢の紹介が主目的であるにしても。
瓦版といわれる、きわもの的出版物では、黒船(蒸気船)と、外国人(アメリカ人ペリー一行)、および横浜が主題となった。
単発的に発行された瓦版には、
『蒸気船之図』(横一枚)、嘉永七年正月、浦賀表江来、本牧横浜ニ於テ応対アル
『あめりかことバ和解の写』(横一枚)嘉永七年寅正月七日、北亜米里利加大合衆国の軍舶日本へ渡来ス
『武州横浜於応接所饗応之図』(横一枚)など
ペリー一行の画像や黒船は、前年の久里浜上陸の際に売出されている。
小冊子に集録されたものをあげると、『異国落葉篭(PDF:13,582KB)』(彩色)と『新製楽草紙(PDF:12,556KB)』(折本、一帖)がある。ともに編者をつまびらかにしない。前者は凡例に、東都隠学堂誌、後者の序は甲寅晩春大洋主人とあるのみ。
1854年2月から3月(嘉永7年1~3月)の日米和親条約の締結の舞台となった横浜村の条約館(応接所)、アメリカ使節ペリーとその一行、献上品、その他、海陸御固場所附などを集録した二○丁の彩色小冊子が『異国落葉篭』。それに対して『新製楽草紙』は折本。瓦版一枚刷の集録。
亜墨利加人物性名録(4枚)、亜墨利伽人物集(2枚)のほか、百人一首抄(4枚)、泰平献上鏡(1枚)、異国船一条(1枚)、万民安穏太剛記十段目抜文句(1枚)、三都くるわ紫の色噺初編(1枚)、毛唐人かへうた大津ゑぶし(1枚)、野保台詩(1枚)等を収める。江戸の町民の外国人観をかいまみることのできる替歌「擬小倉百人一首」のうちから抜き出してみる。
柿本人丸あしよハの、あめりか人をくがへあげ、しとうちにして、ちヽにかもねん
山辺赤人町中へうち出見れば、どふぐやの、よろひかぶとの、たかねうりつヽ
安部仲麿高なわで、ふりさけ見れバ、はるかなる、品川おきに出し島かも
喜撰法師わが内ハ、うらがのきんじよ、しかもはま、あやういとこと、人ハいふなり
源宗于朝臣 江戸・田舎、今ぞさびしさまさりけり、唐人さわくゆへと、おもへバ
西行法師なけいても、しちやハものをねさけして、くらしにこまる、わがかいなかな
藤原敏行すミなれぬ、きしによつたら、あめりかを、一トうちにして、こゝちよからん
鶴見区獅子ヶ谷町の横溝和子氏宅で発見された小本(折本仕立)の『黒船図譜』(仮題)は、神奈川宿の商人が顧客に配ったもので、献上品らを印刷している。神奈川での出版か。
出典:石井光太郎「横浜本発掘誌」[注:掲載にあたり、漢数字をアラビア数字に変更しました。]
(横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会/編『横浜の本と文化』横浜市中央図書館,1994年3月31日,所収)
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