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みなとへGO! 横浜港の歴史(4)

最終更新日 2019年1月10日

 横浜港の歴史(一般の方向け)
 開港 ~ 文明開化  市制施行 ~ 関東大震災  震災復興 ~ 第二次世界大戦
 戦後 ~ 高度経済成長期  コンテナ時代 ~ 現在

4.戦後~高度経済成長期

1946年~1973年
昭和21年~昭和48年

1945年(昭和20年)の終戦からの横浜港は、特に苦しい道を歩みました。

アメリカを中心とする連合国軍(れんごうこくぐん)によって港の施設のほとんどが接収(せっしゅう)され、軍以外の港の働きは、一時完全に止まってしまったのです。

民間貿易も終戦直後に中止されましたが、1949年(昭和24年)から再開され、高島、山内、大さん橋、新港の順に、つぎつぎにふ頭の施設が返されました。

しかし、瑞穂ふ頭や新港ふ頭の一部などは、今でもアメリカ軍によって管理されています。

1951年(昭和26年)、それまで国が行っていた港を管理する仕事は、港湾法(こうわんほう)という法律ができたことで、それぞれの地方に移され、横浜港は、横浜市が管理することになり、港湾管理者(こうわんかんりしゃ)となりました。

貿易再開後はしだいに海外との取り引きがさかんになり、港はますます大切な役割をはたすようになりました。

1957年(昭和32年)ごろには横浜港でも、外国貿易額・入港船舶トン数(にゅうこうせんぱくとんすう)取扱貨物量(とりあつかいかもつりょう)などのすべてが、戦前の記録をやぶるほどふえました。

横浜市は、増え続ける入港船舶や取扱貨物に対応するために新しい港湾計画(こうわんけいかく)を立て、ふ頭などのいろいろな施設の整備を続け、1963年(昭和38年)には、出田町ふ頭と山下ふ頭、1970年(昭和45年)には本牧ふ頭の一部が完成し、さらに1971年(昭和46年)からは大黒ふ頭の整備が進められています。

また、重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)の発達により、京浜工業地帯も拡大され、そのまわりの地域にも工場が建ちならびはじめ、昭和30年代に大黒町地先(だいこくちょうちさき)の海面をはじめとして、根岸湾が埋め立てられ、臨海工業用地が完成し、横浜港の工業港化も進みました。

そして、住宅地に工場がまじり合い環境を悪化(あっか)させてきたため、工場の移転先として、金沢地先に埋立地がつくられました。

また、1964年(昭和39年)には、東京オリンピックをきっかけとして、大さん橋ふ頭に、客船用の施設を整えました。

「この時代の主な輸入品」

非鉄金属をあらわす画像です
非鉄金属(ひてつきんぞく)

石油をいれたドラム缶です
石油(せきゆ)


「この時代の主な輸出品」

鉄鋼をあらわす画像です
鉄綱(てっこう)

自動車の画像です
自動車(じどうしゃ)


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