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都市化の進展と基地問題(昭和37(1962)年~昭和64(1989)年)

最終更新日 2019年3月8日

都市化の進展と基地負担

土地返還を求めた座り込み
上瀬谷通信施設では、電波障害防止制限に反対し、土地返還を求めた座り込みが行われました。(昭和36年)

昭和30年代後半からの高度経済成長期における急速な都市化の進展とともに、基地問題も顕在化していきました。


村雨橋事件
横浜ノース・ドックから船積みされる戦車の輸送が阻止された「村雨橋事件」。(昭和47年)

上瀬谷通信施設では、米軍の受信障害を防止するため、施設周辺での機器の使用や建物の建築などが厳しく制限されました。また、深谷通信所からの送信は、周辺にテレビの受信障害をもたらしました。上瀬谷通信施設の電波障害防止制限地域は、平成7年に廃止されましたが、長年にわたり市民生活に負担を与えてきました。


横浜海浜住宅地区の全景
新本牧にあった横浜海浜住宅地区の全景。(昭和56年頃)

横浜海浜住宅地区などでは、土地所有者を中心とした早期返還と復興に向けた運動が展開されました。
このような取り組みが進む中、日米間では、在日米軍施設の全面的な再検討が行われ、昭和43年の米軍施設・区域調整計画の合意などにより、根岸競馬場地区(現:根岸森林公園)や、市街地に所在する住宅地区や関連施設などが返還されました。


主な出来事
昭和主な出来事
37年1月25日・・・上瀬谷通信施設電波障害防止制限地域の設定等を日米合意
11月1日・・・防衛施設庁設置
39年5月21日・・・神奈川県基地関係県市町連絡協議会結成
40年2月7日・・・ベトナム北爆開始
43年12月23日・・・米軍施設・区域調整計画を日米合意
44年3月27日・・・横浜海浜住宅地区(1号地区)、山手住宅地区の返還を日米合意
6月30日・・・横浜兵員クラブ返還
11月23日・・・根岸競馬場地区返還
45年12月21日・・・在日米軍の整理・統合計画を日米合意
46年2月17日・・・富岡倉庫地区(一部)返還
47年2月9日・・・山手住宅地区返還
5月15日・・・沖縄返還
8月5日・・・村雨橋事件
8月25日・・・岸根兵舎地区返還

米軍をめぐる事件・事故、騒音問題

緑区荏田町米軍機墜落
緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、幼い子どもたちが犠牲となりました。(昭和52年)

昭和48年に、厚木基地の使用を開始した空母艦載機の離発着は、昭和57年から始まった夜間連続離着陸訓練(NLP)とともに、米軍機による騒音被害を一層深刻なものとしました。


落雷で炎上した鶴見貯油施設の306号タンク
落雷で炎上した鶴見貯油施設の306号タンク。(昭和54年)

昭和52年の米軍ジェット機墜落事故は、市民の尊い命を奪う大惨事となりました。また、米軍機のジェット燃料を扱う二つの貯油施設では、タンク火災が相次いで発生し、小柴貯油施設の爆発炎上事故は、周辺の家屋など広範囲に被害をもたらしました。


小柴貯油施設では、6号タンク(地下タンク)が爆発炎上
小柴貯油施設では、6号タンク(地下タンク)が爆発炎上しました。(昭和56年)

都市化とともに、米軍による事件・事故、米軍機による騒音が一層切実な問題となる中、横浜市は、神奈川県や県内の基地関係市と連携しながら、空母艦載機の移駐をはじめとする騒音問題の抜本的な解決や安全対策の徹底などを国や米軍に働きかけています。


主な出来事
昭和主な出来事
48年1月23日・・・関東空軍施設整理統合計画等を日米合意
9月27日・・・空母艦載機の厚木基地使用開始
50年4月30日・・・ベトナム戦争終結
52年9月27日・・・米軍ジェット機墜落事故(緑区荏田町)
12月15日・・・横浜海浜住宅地区(2号地区)、根岸住宅地区(一部)、新山下住宅地区、横浜チャペルセンターの返還を日米合意
54年7月27日・・・鶴見貯油施設火災事故
56年10月13日・・・小柴貯油施設爆発事故
57年2月16日・・・厚木基地で初のNLP実施
3月31日・・・横浜海浜住宅地区、新山下住宅地区、根岸住宅地区(一部)返還
60年5月31日・・・横浜市会接収解除促進特別委員会設置
62年1月20日・・・航空機事故等連絡協議会発足
63年8月16日・・・厚木基地騒音対策協議会設立

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政策局基地対策課

電話:045-671-2168

電話:045-671-2168

ファクス:045-663-2318

メールアドレス:ss-kichitaisaku@city.yokohama.jp

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