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横浜の代表的な街路樹と歴史
最終更新日 2024年8月16日
横浜は日本の近代街路樹の発祥の地だと言われています。慶応3年(1867年)、馬車道の各商店が、店の前に柳と松の街路樹を植えたのが始まりです。
この並木は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失し、現在では昭和52年(1977年)以降に植えられたアキニレに代わっています。
関内駅近くの馬車道広場には「近代街路樹発祥之地」の記念碑が建てられています。
▲ 明治後期頃の馬車道【開港記念資料館蔵】
▲ 現在の馬車道(アキニレ)
▲ 記念碑位置図
▲ 「近代街路樹発祥之地」記念碑
この道路は、慶応2年(1866年)に発生した「豚屋火事」と呼ばれている横浜大火を契機に、防火対策として英国人H.R.ブラントンの設計により生まれました。
中央に車道12m、左右に歩道3mと植樹帯9メートル、合計道路幅員36メートルと言う、当時としては近代的で立派な道路です。
この時代の植栽は関東大震災によりほとんど焼失してしまいましたが、復興整備により昭和2年(1927年)から3年間をかけてイチョウが植えられました。
現在では立派に生長し、自然樹形の風格あるイチョウ並木を見ることができます。
※日本大通りは、平成14年(2002年)に国土交通省の「手づくり故郷賞(外部サイト)」(地域整備部門)を、平成19年(2007年)には(社)道路緑化保全協会主催の第5回「菊池道路環境賞」を受賞、また平成23年(2011年)には象の鼻地区と共に国土交通省の「都市景観大賞【都市空間部門】(外部サイト)」の大賞(国土交通大臣賞)を受賞しました。
※ここのイチョウ並木は、平成23年(2011年)、景観法に基づく「景観重要樹木」に指定されました。
▲ 大正9年(1920年)頃の様子
【開港記念資料館蔵】
▲ 現在の日本大通り(イチョウ)
横浜の代表的な公園、山下公園の前に続くイチョウ並木です。
このイチョウ並木も関東大震災の復興事業により昭和3年(1928年)から植えられました。 この辺りは、倒壊した建物の瓦礫などを埋め立てた上に植栽されており、樹木が生育するには厳しい環境でしたが、今日では大きく生長し横浜の観光名所の一つになっています。
※山下公園通りは、昭和61年(1986年)に「日本の道百選」(建設省(現・国土交通省)と「道の日」実行委員会により制定)に選ばれました。
※ここのイチョウ並木は、平成6年(1994年)に「新・日本街路樹百景」(読売新聞社)に選ばれました。
▲ 昭和初期、植栽後間もない頃【開港記念資料館蔵】
▲ 現在の山下公園通り(イチョウ)
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