最終更新日 2024年8月2日
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象の鼻地区 歴史
象の鼻地区の紹介 | 立地・アクセス | 象の鼻地区の歴史 | 地区の変遷
現況の航空写真に明治15年(1882年)の地図(緑色部分)を重ねたもの
安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、翌年横浜港が開港すると、港には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の二つの波止場が作られました。
その東波止場が時代とともに少しずつ形を変え、現在の象の鼻の原型となりました。
現在の象の鼻は関東大震災後に復旧された形が元になっています。
明治15年
明治39年
昭和48年
現在
資料提供:横浜開港資料館
嘉永7年(1854年) ペリー提督の横浜上陸
ペリー提督は初めて横浜に上陸しました。
図の右側に見える木は、現在の横浜開港資料館中庭の玉楠の木です。
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資料提供:津田塾大学津田梅子資料室
明治4年(1871年) 岩倉使節団の訪欧
欧米の制度、文化を視察するために、岩倉具視を全権大使とする使節団が横浜港を出港しました。団員には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等が加わっていました。
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資料提供:小松商会
明治21年(1888年) 横浜港からの欧米留学
森鴎外がドイツ留学から帰国した12年後の同じ日、夏目漱石が英国留学のために横浜港から旅立ちました。鴎外は横浜市歌を作詞しています。
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資料提供:株式会社かまくら春秋社
昭和7年(1932年) 喜劇王チャップリンの出港
来日していたチャップリンは、この横浜港から氷川丸に乗って帰国しました。
天ぷらが好きなチャップリンのために船室に調理器具を持ち込み、作ったというエピソードもあります。
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