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神奈川区の歴史年表
最終更新日 2024年3月28日
西暦 | 和暦 | できごと |
---|---|---|
1266 | 文永3 | かながわの地名所見。北条時宗下文に「神奈河」とある。 |
1510 | 永正7 | 権現山の合戦 |
1601 | 慶長6 | 東海道宿駅伝馬の制が定められる。神奈川宿設置 |
1604 | 慶長9 | 東海道を整備して一里塚を置く |
1622 | 元和8 | 御殿町に神奈川御殿が造営されたという(神奈川青木町年鑑) |
1655 | 明暦元 | 神奈川御殿破却されたという(神奈川青木町年鑑) |
1667 | 寛文7 | 吉田新田埋立なる |
1703 | 元禄16 | 元禄地震 |
1707 | 宝永4 | 富士山噴火、宝永山できる。武蔵・相模被害大 |
1786 | 天明6 | 神奈川宿大火、300軒焼失 |
1802 | 享和2 | 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」初編刊 |
1803 | 享和3 | 幕府、五街道分間延絵図御用のため、宿村の村明細帳を差し出させる |
1806 | 文化3 | 五街道分間延絵図完成 |
1824 | 文政7 | 「金川砂子」刊 |
1831 | 天保2 | 神奈川宿大火、荒宿町より出火。青木町へおよぶ。1200軒余焼失 |
1832 | 天保3 | 葛飾北斎「富嶽三十六景」刊 |
1833 | 天保4 | 安藤広重「東海道五十三次」刊 |
1836 | 天保7 | 「江戸名所図会」刊 |
1843 | 天保14 | 「東海道宿村大概帳」刊 |
1853 | 嘉永6 | ペリー浦賀に来航 |
1854 | 安政元 | 幕府、ペリーと日米和親条約(神奈川条約)を締結 |
1855 | 安政2 | 安政大地震 |
1856 | 安政3 | 米総領事ハリス下田に着任 |
1857 | 安政4 | 幕府、松山藩に神奈川の警備を命ず |
1858 | 安政5 | 幕府、神奈川でハリスと日米修好通商条約を締結 |
1859 | 安政6 | 英駐日総領事オールコック着任 |
神奈川・長崎・函館を開港 | ||
神奈川-洲干間の通船開始 | ||
神奈川台場着工 | ||
米国長老教会宣教医ヘボン夫婦、神奈川に来航 | ||
米国改革派教会宣教師ブラウン、同宣教医シモンズ、神奈川に来航 | ||
関門7か所、番所10か所を設置 | ||
1860 | 万延元 | 神奈川台場完成 |
1862 | 文久2 | 生麦事件 |
1868 | 慶応4 | 神奈川宿大火、西ノ町より出火。生麦村へおよぶ。 |
明治元 | 9月8日 明治と改元 | |
1869 | 明治2 | 東京-横浜間に電信開通 |
1870 | 明治3 | 本陣・脇本陣の名目を廃す。 |
神奈川陸橋(初代青木橋)完成 | ||
1871 | 明治4 | 高島嘉右衛門、高島町埋立完成 |
関門・番所を廃止 | ||
1872 | 明治5 | 新橋-横浜間鉄道開業 |
1873 | 明治6 | 高札を撤廃 |
1879 | 明治12 | 青木町大火、220軒焼失 |
1889 | 明治22 | 横浜市誕生 |
1901 | 明治34 | 神奈川町が市に合併 |
1904 | 明治37 | 横浜電気鉄道、神奈川-大江橋間開業(市電のはじめ) |
1905 | 明治38 | 京浜電気鉄道、品川-神奈川間(後の京浜急行) |
1908 | 明治41 | 横浜鉄道、東神奈川-八王子間開通(後のJR横浜線) |
1923 | 大正12 | 関東大震災 |
1926 | 大正15 | 東京横浜鉄道、丸子多摩川-神奈川間開通(後の東急東横線) |
京浜第一国道完成 | ||
1927 | 昭和2 | 神奈川区制施行 |
1928 | 昭和3 | 東急東横線、神奈川-高島(後の高島町)間開通 |
1929 | 昭和4 | 上無川埋め立てられる。 |
1930 | 昭和5 | 上台橋造られる。 |
神奈川公園開園 | ||
1931 | 昭和6 | 横浜市中央卸売市場、山内町に開設 |
1945 | 昭和20 | 横浜大空襲 |
第二次世界大戦終わる。 | ||
1947 | 昭和22 | 現JR横浜線 大口駅開業 |
1949 | 昭和24 | 横浜貿易博覧会が反町で開催される。 |
区役所庁舎青木町に落成 | ||
1950 | 昭和25 | 市庁舎が横浜貿易博覧会跡地(反町)に移転 |
1955 | 昭和30 | 第10回国民体育大会開催 |
1956 | 昭和31 | 横浜市が政令指定都市となる。 |
1959 | 昭和34 | 市庁舎、中区港町に移転 |
1963 | 昭和38 | 市庁舎跡地に反町公園開園 |
1964 | 昭和39 | 区総合庁舎広台太田町に落成 |
三ツ沢公園球技場完成 | ||
東京オリンピック開催 | ||
1965 | 昭和40 | 第三京浜開通 |
1967 | 昭和42 | 神奈川区青少年図書館開館(現幸ケ谷公園コミュニティハウス) |
1969 | 昭和44 | 区内の市電廃止 |
1970 | 昭和45 | 平沼記念体育館開館 |
1972 | 昭和47 | 区内のトロリーバス廃止 |
1974 | 昭和49 | 第一回区民会議開催 |
1975 | 昭和50 | 第一回区民のつどい開催 |
1976 | 昭和51 | 第一回区民まつり開催 |
神奈川音頭制定・発表 | ||
1978 | 昭和53 | 神奈川公会堂開館 |
1979 | 昭和54 | 東海道貨物線 鶴見-横浜羽沢-戸塚間開通 |
1981 | 昭和56 | 神大寺地区センター開館 |
区のシンボルマーク制定 | ||
1983 | 昭和58 | 豊顕寺市民の森開園 |
区マスコットマーク制定 | ||
1984 | 昭和59 | 沢渡中央公園開園 |
1985 | 昭和60 | 市営地下鉄、横浜-新横浜間開通 |
1986 | 昭和61 | 神奈川地区センター開館 |
1987 | 昭和62 | 神奈川図書館開館 |
うらしま荘開館 | ||
1988 | 昭和63 | 三ツ沢せせらぎ緑道整備完了 |
区の木(こぶし)、区の花(チューリップ)制定 | ||
1989 | 平成元 | 横浜博覧会開催 |
1990 | 平成2 | 区役所別館しゅん工 |
1991 | 平成3 | 第一回神奈川区チューリップまつり開催 |
神大寺中央公園こどもログハウス開館 | ||
区役所本館再整備しゅん工 | ||
1992 | 平成4 | 神奈川区文化協会設立 |
浦島丘中学校コミュニティハウス開館 | ||
反町在宅支援サービスセンター開館(現反町地域ケアプラザ) | ||
神之木地区センター開館(現神之木地域ケアプラザ併設) | ||
1993 | 平成5 | 神奈川区イメージソング「早春花」選定・発表 |
1994 | 平成6 | 神奈川スポーツセンター開館 |
ポートサイド地区第二種市街地再開発しゅん工 | ||
六角橋中学校コミュニティハウス開館 | ||
市立小・中学校(22校)を地域防災拠点に指定 | ||
区内全域で缶・びん分別収集開始 | ||
1996 | 平成8 | 「ふれあい訪問」開始 |
1997 | 平成9 | 生涯学習支援センター開設 |
「神奈川区防災計画(震災対策編)」策定 | ||
入江川せせらぎ緑道整備完了 | ||
こども・家庭支援センター開設 | ||
1999 | 平成11 | はーと友 神奈川・若草開設 |
幸ケ谷公園コミュニティハウス開館 | ||
菅田地域ケアプラザ開館 | ||
菅田地区センター開館 | ||
2000 | 平成12 | 片倉三枚地域ケアプラザ開館 |
新子安駅西地区第一種市街地再開発事業完了 | ||
2001 | 平成13 | 新子安地域ケアプラザ開館 |
2002 | 平成14 | 福祉保健センター開設 |
東神奈川駅東口第一種市街地再開発事業完了 | ||
2003 | 平成15 | かなっくシティ東部療育ビルしゅん工 |
横浜市都市計画マスタープラン神奈川区プラン「神奈川区まちづくりプラン」策定 | ||
2004 | 平成16 | みなとみらい線開通 |
白幡地区センター開館 | ||
かなっくホール開館 | ||
区民活動支援センター開設 | ||
2005 | 平成17 | 神奈川区地域福祉保健計画策定 |
2006 | 平成18 | わが町かながわ50選選定 |
沢渡三ツ沢地域ケアプラザ開館 | ||
2007 | 平成19 | かながわ地域活動ホーム ほのぼの開館 |
地域子育て支援拠点”かなーちえ”開館 | ||
2008 | 平成20 | 臨港幹線道路開通 |
2009 | 平成21 | 「わが町 かながわ とっておき」選定 |
2010 | 平成22 | 反町駅前ふれあいサロンオープン |
2011 | 平成23 | 東横フラワー緑道全線開通 |
横浜市動物愛護センター開館 | ||
2015 | 平成27 | 横浜市環境科学研究所が磯子区から神奈川区恵比須町に移転 |
横浜銀行アイスアリーナ(旧神奈川スケートリンク)開館 | ||
2016 | 平成28 | かながわ支え愛プラン(第3期神奈川区地域福祉保健計画)策定 |
2017 | 平成29 | 神奈川区制90周年 |
2019 | 平成31 | 横浜市都市計画マスタープラン神奈川区プラン |
2020 | 令和2 | 市立市民病院が三ツ沢西町に移転 |
2021 | 令和3 | かなーちえサテライト開館 |
2022 | 令和4 | かながわ支え愛プラン(第4期神奈川区地域福祉保健計画)策定 |
2023 | 令和5 | 相鉄・東急直通線開業 |
2024 | 令和6 | 多文化共生ラウンジオープン |
かながわ 地名の由来
「かながわ」の名の由来は・・・?
いくつかの説があり、本当のところはわかりませんが...。
その昔、区内を流れていた小さな流れを「上無川(かみなしがわ)」といっていました。
それは、いつも水が涸れてほんの少ししか流れていない。水源地もどこかわからないので、「上(かみ)がない川」と呼ばれていました。それがいつしか「み」「し」の二字を略して「かな川」をいうようになったという話です。
また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫(やまとひめ)にいただいた宝剣が金色燦然としてこの川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かながわ)の風光を賞し、「<金>は西の方角をつかさどるというが、西方は上(かみ)にあたるし,皇城(こうじょう=都、天子のすむところ)にもあたる。これは神を大いに示す地である。」として<大いに示す>を「奈」の字にして、金川→神大示川→神奈川とすべきだといったので、その時から金川を神奈川としたという話です。
ほかにも、古文書の中に「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」と記されているものがあります。
〔参考 出典:神奈川区誌ほか〕
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