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開発までの道のり

最終更新日 2019年1月16日

1.港北ニュータウン開発の時代背景(昭和40年代)

1-1.昭和40年代の「高度経済成長」と横浜市の人口増加

昭和30年代から臨海工業地帯には石油化学工場や鉄鋼工場などが次々に建ち、地方から大都市である東京近郊に多くの人が集まり出しました。
東京まで電車で通える距離にある横浜市は、東京の職場に勤めるお父さん達が住む場所としてたくさんの住宅が作られました。その結果、市の人口は昭和30年の約114万人から昭和40年には約179万人にまで急増しました。

1-2.農村地帯に無秩序な都市化の影

横浜市の北西部に位置する港北ニュータウン地域は、かつて、なだらかな丘の畑と竹林や山林と谷戸には水田が広がる農村地帯でした。
しかし、昭和40年代になると周辺が「高度経済成長」に伴って住宅地化されてきました。
丘陵地が切り崩され、田畑が埋められて出来た土地にどんどん家が建てられていきました。こうして出来た街並みはどこか似た風景で、道が行き止まりになっていたり、急に狭まったりしました。
このような住宅地の開発は、キャベツを食べる青虫のようにどんどんその範囲を広めていきました。この住宅地化の動きは"無秩序な都市化現象"という意味で「スプロール現象」と呼ばれています。

港北ニュータウン昔の風景


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