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第5回:鶴見の伝統芸能(その3)

最終更新日 2019年3月4日

蛇も蚊も

鶴見区生麦に伝わる「蛇も蚊も祭り」は、昔は毎年6月6日に原・本宮地区が一緒に行っていたが、明治の中頃から本宮の道念稲荷社と原の神明社の2ヶ所で行われるようになった。伝えによると、山梨県の身延山の奥の院のさらに奥にある、大蛇が蛇に化身したという話が伝えられている七面山で修行をした道念和尚が、生麦に立ち寄った時に建立したのが道念稲荷社であるという。
今から400年前以上も昔、生麦は半農半漁の村であった。そのころ、村に模範的な青年がいた。青年は村人の世話で美人の妻を迎え幸せに暮らしていたが、その妻はふとした病をこじらせて床に伏せてしまい、手厚い看護の効き目もなくあの世へと旅立ってしまった。妻が息を引き取るとき、男は妻に「私はもう二度と再び妻をめとらず、おまえのことはひとときも忘れない」と約束した。
ところが、妻の四十九日も過ぎぬうちに、男は村人の世話で後添えを迎えてしまった。再婚後3日目に新妻は夫とともに里帰りをした。その途中、のどが渇いた妻は道端の池の水を飲もうと、夫に支えられて水面に顔を差し出した。美しいはずの妻の顔が水面に写ると恐ろしい大蛇の顔になっていた。驚いた男は思わず妻を支えていた手を放してしまい、妻はサブーンと池の中に沈んでしまった。
すると、不思議なことに、一天にわかにかき曇り、大風が吹きまくり大雨となった。稲妻が光り、雷鳴がとどろく大嵐となり、池からは大蛇が現れ、男をひと飲みにしようとした。
このとき男は「あっ」と驚いた。最初の妻が息を引き取るときに誓ったことを忘れて、二度目の妻を迎えたことに対する仏罰ではないかと思い、心の中で亡き妻の霊に「許してくれ」と謝罪し、念仏を唱えながら我が家に逃げ帰った。そして、毎日亡き妻の冥福を祈り続けると、6日目にどこからともなく大蛇が現れて、のろうように家の周りをまわり、夕暮れ時に姿を消した。男はただひたすら家の中で神仏に祈り続けた。
この話を聞いた村の古老が、「家の軒先にショウブとモチ草、カヤをおけば大蛇はこない」と教えてくれた。さっそく各家では屋根の上にショウブとモチ草とカヤを束ねておいたところ、6日目に現れた大蛇は、この束を見ると、残念そうに、いずことなく去って行った。
このことがあってから、生麦村では、カヤを材料にして大蛇をつくり、自分の家の周りを子どもに担がせて回り、仏の供養として柏餅を作り、子どもたちに振る舞った。最初に行われたのが6月6日だったので、大蛇の徳を長く伝えようと、悪疫退散、豊年大漁を祈願して6月6日を吉例の行事と定めて、「蛇も蚊も出たけ、日よりの雨け・・・」と叫びながら、村中を回り、日照り、雨降り、悪魔退散、豊年大漁を願ってきた。
また、稲荷のお告げで、「疫病退散と海上安全そして子どもの成長を祈るためにカヤで大蛇をつくり、氏子中を回した」という話も伝えられている。
昔から大蛇を担ぐと身体がじょうぶになると伝えられている。蛇も蚊も祭りが終わると、子どもたちは鶴見川河口に大蛇を流しに行っていた(現在は環境に配慮して流してはいない)。この祭りが過ぎると子どもたちは海に入ることを許されたという。
本宮保存会は道念稲荷神社で、生麦保存会は原の神明社境内で長さ15間(約27メートル)、胴回り3尺余(約1メートル)の蛇体をつくる。目は貝殻、舌はショウブ、角は木の枝、尾には2尺くらい(約60センチ)の木剣を取り付け、この蛇体を大勢の子どもたちが担いで、町内各家の門口に蛇頭を差し入れて家の悪疫を追い出す。「蛇も蚊も出たけ~日よりの雨け~ワッショイワッショイ」とかけ声をかけてまわり、祭りの最後には生麦小学校の校庭で大蛇同士を戦わせ、祭りを盛り上げている。
現在は両地区とも6月の第1日曜日に行っている。横浜市無形民俗文化財に指定されている。

生麦囃子

囃子は「祭り囃子」とも呼ばれ、祭礼の象徴ともいえる。鶴見区内には江戸時代や明治のころに始められた7つの囃子がある。これらの囃子は神田囃子、葛西囃子など江戸囃子が源流といわれている。江戸囃子には山の手流儀と下町流儀があり、鶴見区の囃子の場合、そのどちらかの流儀を受け継いでいるが、その中間の流儀を受け継いでいるものもある。祭囃子は笛1、大太鼓1、小太鼓2、鉦1の5人で構成されるので5人囃子ともいわれている。
演奏曲目は、囃子連によって異なるが、生麦囃子では、「打ち込み・早・聖天・鎌倉・国固め・四丁目・(玉入れ)・四丁目・早・揚げ」となっている。
鎮守の祭礼には宵宮の囃子、祭礼当日は終日にぎやかに囃子を奉奏した。鶴見区の囃子連の特徴として、家々をまわって行われる獅子舞による「アクマッパライ(悪魔払い)」があげられる。これは、悪霊を追放する正月行事として明治後半から行われてきたといわれている。
区内にあった7つの囃子連も後継者難などから中断したものが多く、現在、継承されているのは生麦囃子、潮田囃子、市場囃子だけである。生麦囃子は横浜市無形民俗文化財に認定されている。
囃子に合わせて獅子舞やおかめ、ひょっとこの舞をする。
各地の祭礼や正月の角付、結婚式、各種団体の周年行事など依頼に応じて出演している。

木遣

木遣とは、伐採した木材や重い石材など、音頭をとりかけ声をかけて送り運ぶ作業のこと。そして、そのときに互いの息を合わせるため、かけ声のように即興の詩をつけて歌った仕事唄が木遣唄である。祭礼の山車をひくときや祝儀の席などでも歌われる木遣唄は、千年近い歴史があるといわれ、昔から鳶職人や火消したちによって歌い継がれてきた。東京木場の木遣は、徳川家康が江戸城造営のときに連れてきた材木商が伝えたともいわれているが、鶴見の木遣唄も江戸木遣の伝統を受け継ぎ、江戸時代から続いている。木遣唄は現在、鶴見鳶職人組合により継承されており、鶴見で伝承されている木遣唄は108あるが、実際に歌われているのは10曲ぐらいで、楽譜はなく、歌詞も調子も全て口伝のため、月に3日は必ず練習するようにしているという。
出初め式や上棟式、稚児行列、みなと祭、總持寺の節分祭、地域の祭礼、学校の記念式典、結婚式などで依頼に応じて出演している。また、江ノ島、香取神社、大山などへの木遣奉納も行っている。

文責:鶴見歴史の会会長・四元宏

このページへのお問合せ

鶴見区総務部区政推進課

電話:045-510-1680

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ファクス:045-510-1891

メールアドレス:tr-kusei@city.yokohama.jp

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