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鶴見区読書活動報告 令和4年度

令和4年度「脚本家の仕事~「ちむどんどん」はこうして生まれた~

最終更新日 2023年3月14日

NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」脚本家の羽原大介さんをお招きし、「脚本家の仕事 ~「ちむどんどん」はこうして生まれた~」と題した「つるみ読書講演会」を、令和4年12月24日(土曜日)に鶴見大学会館で開催しました。
講演会は、松本 鶴見図書館長との対談形式で、羽原さんにお話を伺いました。

講演中の羽原大介さん
質問に答える羽原大介さん

講演要旨

Q.脚本家としてどのように仕事に取り組んでいますか?

A. 脚本家は自己主張が強い人、芸術家タイプが多いですが、自分は様々な方々と打合せを重ね、皆さんの合意を得ながら作業を   進める職人気質に近いタイプの脚本家として仕事をしています。

Q.どうやって脚本家になったのでしょうか?

A. 12年前に亡くなった劇作家のつかこうへいの運転手からこの仕事をスタートしました。シナリオスクールに通ったり、シナリオ大賞などを受賞したわけでもなく、何となく劇作家の弟子で、見よう見まねで小さなお芝居から初めて、深夜ドラマなどの脚本を書かせてもらいながら、地味にこの世界に入りました。

Q.NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の脚本執筆期間、番組制作期間はどのくらいですか?

A.「ちむどんどん」のお話をいただいたのは放送が始まる2年半くらい前でした。NHKで沖縄本土復帰50周年に合わせたドラマを朝ドラでやるということが決まり、「羽原さん興味がありますか?」とお話をいただいて、取り掛かりました。

Q.いわゆる「朝ドラ」というのは特別なものでしょうか?

A. 間違いなく、圧倒的に特別です。朝の15分間放送され、面白いと思う人もあまり面白いと思わない人も見る、NHKの看板番組の一つです。2年半前に仕事をもらって、そこからずっと勉強して取材、また勉強して取材と繰り返しました。

Q.構成はどのように考えるのですか?

A. だいたいこの辺で上京、だいたいこの辺で恋愛、修行して苦しくなって逃げ出す、この辺で結婚、この辺で出産、というように、25週分をA4用紙1枚に書いてみて、そこから分解して少しずつコーナーを膨らませていくという作業です。

Q.羽原さん個人として、特に思い入れのある登場人物や役者さんはいらっしゃいますか?

A.片岡鶴太郎さんが演じてくださった平良三郎さんです。鶴太郎さんが平良三郎という役を引き受けてくださった時から、この沖縄二世がウチナーグチを使うのか、標準語でいくのか、かなり意見が分かれました。沖縄県人会の会長をやるくらいの沖縄愛がある人だったら、たとえ鶴見で育っていても周りの大人はウチナーグチをしゃべる人も多かっただろうから、沖縄の言葉で過ごしているのではないかという意見もありつつ、鶴太郎さんの魅力を最大限に活かすということで、結局標準語でいきました。結果、物語上、締めるところは締めて、ボケるところはボケて、撮影のスタジオではいつも明るいムードメーカーで、本当に素敵な平良三郎さんだったなぁということで、印象に残るお一人です。
もう一人は志ぃさーさん(藤木勇人さん)です。役者をやるときは志ぃさーで、沖縄言葉指導で入っていただく時は藤木勇人でやってくださいました。藤木さんは、沖縄に関わるドラマをやることが決まって、最初に決まった外部スタッフの一人です。たとえば、豆腐屋を取材したいとか、琉球舞踊の取材をどこにお願いしたらいいかなど、基本的には藤木さんが窓口になって、すべての取材に帯同してくださいました。戦友のような志ぃさーさんもすごく印象に残っています。

Q.ドラマの重要な局面、特に恋愛模様で沖縄角力(すもう)が登場するのが印象的ですが、どのような狙いがあったのでしょうか。

A. 実は相撲には成功体験があって、以前手掛けたNHK連続ドラマ小説「マッサン」で前田吟さんと玉山鉄二さんが父・息子で相撲を取って、勝ったらお前の進路を認めてやるというシーンがすごく自分的にも納得のいく、非常に盛り上がった記憶があったものですから、「ちむどんどん」でもぜひ相撲のシーンをやりたいと提案させてもらいました。そうしたら、沖縄の角力はルールが違うんだよから始まって、勉強させてもらい、鶴見県人会が中心になって作られた映画「だからよー鶴見」を拝見したり、藤木さんを介して沖縄角力に詳しい人に話を聞かせてもらったりして沖縄角力シーンができあがりました。

Q.沖縄角力と同じように、重要なシーンにエイサーという伝統的な沖縄文化が登場します。羽原さんの想いを教えてください。

A.「昇龍祭太鼓」という創作エイサーのチームが東京にあり、そこの沖縄出身の女性に沖縄言葉の家庭教師をしてもらっていました。その方の発表会や新宿エイサー祭などを見せてもらったりして、非常にちむどんどんする舞踊だということがわかっていたので、暢子と和彦の胸の高鳴りを表現するのにすごく良いのではないかなということでシーンに提案させていただきました。

Q.羽原さんにとって特にこだわったシーンや思い入れのあるシーンを教えてください。

A. 自分自身の人生でリンクするのは、私も鳥取県出身の田舎者なので、故郷を離れて上京するというシーンにはどうしてもすごく感情移入してしまいます。送る側も送られる側にも感情移入してしまうので、2週目で暢子が養女として東京へ行こうとした時、兄姉妹が「行かないで」とバスを止めてもらったシーンと、5週目の最後で高校を卒業して就職するために東京へ行ってきますといって旅立つシーンは特に思い入れがあります。

Q.和彦の母、重子が「中原中也の詩集」を愛読していました。その意図などを聞かせください。

A. 当初の台本にはありませんでした。この役を鈴木保奈美さんがやってくださるとしたら、どういう母親像で攻めたらいいだろうかという議論の末に、プロデューサーの案で、中原中也を愛読している、それを和彦も継承してるということで親子のつながりを見せられるんじゃないか、またそれを勧めたのが亡き夫だったという裏設定もありなんじゃないかというようなこと。また、重子はただの意地悪な義母ではなく、文学的なセンスなどを持っていて、天然なところもあり、 ただ、息子との関係がこじれているということを表現するのに、何か工夫をしてお茶の間に届けたいというアイデア出しの中から出てきたのが中原中也の詩集です。

Q.羽原さんご自身が、これまでに影響を強く受けた本、推薦したい本があれば教えてください。

A. つかこうへいの「蒲田行進曲」です。それは冒頭にお話しした、どうして脚本家になったかというくだりから察していただければわかると思います。「蒲田行進曲」の本も映画も舞台もさんざん見て、まさにこの本に、いい意味で人生を変えられたと思っています。

Q.参加者から寄せられた質問です。私(質問者)は夏休みに沖縄に行き、沖縄料理と沖縄そばを暢子を思い出しながらいただきました。羽原さんはどのような夏休みを過ごされましたか?

A. 令和5年3月25、26日にテレビ朝日で2夜連続で放送される、薬師丸ひろ子さんが出るドラマ(「キッチン革命」)を書いていました。ぜひご覧ください。

Q. 参加者から寄せられた質問です。比嘉家の姉妹、良子は一度遠ざかった教師という職に復帰し、暢子は次々と夢を叶え、歌子は秘めた夢をあきらめずに叶えました。羽原さんが一番共感する女性はどなたですか?

A. もちろんヒロイン暢子を軸に書かせてもらったので、暢子に一番思い入れがあります。でも、「沖縄の未来を考える会」の活動をしてた頃の良子は結構好きでした。あと、歌子も好きでしたがやっぱり口数が少ないので、シナリオの状態ではあまり魅力が見えてこないのです。でもシナリオに一行だけ書いてある「歌う」の部分を実際に歌っていただくと、一気に存在感が増して、そこがドラマになった時の大きな感動ポイントの一つだったと思います。

Q.最後に、ドラマ「ちむどんどん」を通して一番伝えたかったことは何ですか。

A.ドラマ「ちむどんどん」を通じてというよりも、新しい作品を世の中に出す時には、見てくださるお客様が、見る前よりも少しでも元気になってもらいたいということを意識しています。特に、今あまり色々なことが上手くいってないとか、ちょっと元気がないとかいう人にこそ元気になってもらいたいし、自分自身も自分が書いた二次元(脚本)が三次元(ドラマ)になったものを見て、そこからまた元気をもらって次に進んでいきたいです。

会場で最後に投影したお礼の画像
会場で投影したお礼画面

本日は興味深いお話を有難ううございました。羽原さんの今後の益々のご活躍を期待しています!

このページへのお問合せ

教育委員会事務局鶴見図書館

電話:045-502-4416

電話:045-502-4416

ファクス:045-504-6635

メールアドレス:ky-libkocho02@city.yokohama.jp

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