MulitilingualPage

Machine Translation

閉じる

ここから本文です。

歴史

最終更新日 2026年10月7日

刊行物のご案内

栄区郷土史ハンドブック(栄区制40周年記念改訂版)


栄区郷土史ハンドブック

地域に伝わる歴史などがわかる「栄区郷土史ハンドブック」を改訂しました。写真や図も載っているので、楽しみながら読める一冊です。身近な町に隠れた意外な発見があるかもしれません💡
(300円税込)
抜粋版はこちらで紹介しています。(PDF:9,320KB)

栄の歴史


栄の歴史

平成25年3月発行の大人向けの冊子です。
(500円税込)

栄区歴史散策マップ


栄区歴史散策マップ

(100円税込)

上記の刊行物は下記の販売場所でお買い求めいただけます。

豊田地区センター(外部サイト)
上郷地区センター(外部サイト)
SAKAESTA(さかえすた)(外部サイト)                                                          
市政刊行物・グッズ販売コーナー(横浜市役所市庁舎3階)

イベント情報

古代の栄区に触れてみよう! 横穴墓と古代製鉄遺跡展、開催


チラシ(表面)

栄区制40周年を記念し、区内の貴重な古代遺跡「上郷深田遺跡」や、古墳時代頃の横穴墓(宮ノ前横穴墓群)など、栄区の古代史を 紹介する展示会を開催。砂鉄を使った子ども向けワークショップや大人向け講座もあります。親子で郷土の歴史に触れてみませんか。

①栄区の古代を知る展示会
約1300年前、栄区で鉄づくりが行われていたことを示す貴重な 資料を間近で見られます。
日時:10月7日(水曜日)~18日(日曜日)10時~17時
場所:栄区民文化センターリリスギャラリー(あーすぷらざ内)

②子ども向けワークショップ「砂鉄で遊ぼう!」
「砂鉄スライムづくり」や「砂鉄の砂絵マグネット」 に挑戦!
日時:10月17日(土曜日)10時~16時
場所:栄区民文化センターリリス会議室B(あーすぷらざ内)

③大人向け講座「古代人の鉄づくり」
古代の人々がどのように鉄を作ったのかを分かりやすく解説 します
日時:10月18日(日曜日)11時~、14時~
場所:栄区民文化センターリリスギャラリーB(あーすぷらざ内)

詳細は(公財)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターホームページ(外部サイト)をご参照ください。

歴史コラム

1 鎌倉幕府の重要拠点、山内本郷

 平安時代、現在の栄区を含む一帯は藤原秀郷の子孫通家が開発したとされる山内荘という荘園で、現在の本郷台周辺は「山内本郷」と呼ばれた地域の中心地でした。奈良時代以来の穀倉地帯であり、鎌倉時代には鎌倉への出入りを押さえる交通の要衝でもあったことから、源頼朝はこの地を重要視したと考えられています。兵站基地や軍事拠点、さらに幕府の安泰を祈願する寺院も置かれ、山内本郷は初期の鎌倉幕府を支える重要な役割を担いました。

2 鎌倉道といたち川

 いたち川周辺は、かつて鎌倉と関東各地を結ぶ鎌倉道が通る交通の要所でした。川の名は「出立川(いでたちがわ)」が転じたものともいわれ、この地で旅の安全が祈願されたと伝えられています。吉田兼好も旅立ちの心情を詠んだ歌を残しました。いたち川は古くから人々の往来を見守ってきました。
 鎌倉幕府の体制が安定すると、山内本郷は北条氏の重要な拠点となりました。この頃に北条泰時が新しく整備したとされる「山内道路」は、現在も新橋という橋の名前などにその名残を伝えています。また、笠間中央公園遺跡では幅約10メートルの道路跡が発見されており、中世の大規模な交通基盤の存在をうかがわせます。

3 長尾郷と長尾一族

 現在の長尾台周辺は、中世に長尾氏が本拠を置いた地域と伝えられています。長尾氏は後三年の役で勇名をはせた鎌倉権五郎景正が率いた武士団「鎌倉党」の一員で、鎌倉郡を中心に活躍しました。鎌倉時代以降、長尾氏の一族は関東から越後までの各地に広がり、後に上杉謙信として知られる長尾景虎を輩出しました。長尾郷を本拠とした武士の歴史が、遠く越後の英雄へとつながっていくことは、地域史の興味深い一面です。

4 宿場を支えた助郷村

 江戸時代、東海道の戸塚宿では多くの旅人や荷物が行き交いました。宿場だけでは人や馬が足りないため、周辺の村々が「助郷」として負担を分担しました。栄区域の村々も人足や馬を提供し、交通を支えていました。しかしその負担は重く、農繁期には農作業に支障をきたすこともあり、助郷役の免除や軽減を求める願いが出されることも少なくありませんでした。

5 外国船の来航と村人たちの海防

 幕末になると外国船の来航が相次ぎ、江戸湾防備が重要な課題となりました。栄区域の村々も海防を担当した会津藩などの支配・警備体制に組み込まれました。村々は人足や物資の供給を求められ、一度の動員につき少なくとも数日から十日ほど村を離れなければなりませんでした。江戸を守るため、栄区域の村々も重要な役割を担ったのです。

日本史の中の栄区(歴史年表)

太字部分:栄区域に関連する出来事
出展:『栄区郷土史ハンドブック』、『栄の歴史』

考古・古代

<旧石器時代>
・約30000年前 箱根山や古富士山の火山活動が活性化し、関東(立川)ローム層の堆積が始まる。当時の人たちは厳しい自然の中で獲物を追って移動する生活をしていた。

<縄文時代>
・約12000年前 土器の使用が始まる。
・約9000年前 氷河期が終わり、気候が温暖化する。縄文海進が始まり、海が陸地に入り込む。
・約6000年前 縄文海進が最も進む(柏尾川流域の大船や戸塚周辺まで藤沢方面から海が入り込む(古大船湾))
・約5000年前 市内各所に大型な集落が営まれる。/この頃公田ジョウロ塚遺跡の顔面把手(とって)が作られる。(自然に依存した生活だったので、災害や食糧難などの脅威を乗り越えるため、顔面把手や土偶など呪術的なものを作り、祭りに使用された。)
・約4000年前 上郷猿田遺跡で集落が営まれる。

<弥生時代>
・約3000年前 稲作技術と稲作に適した鉄器が大陸から伝わる。住居は川の近くの台地に集中するようになった。収穫を蓄えることで、人々の間には次第に「力の差」が生まれるようになった。鉄器や収穫物、耕地などをめぐって争いが起こるようになると、集落を防御するため周辺に濠を廻らせた環濠集落が構築された。

<古墳時代>
・3世紀 畿内で豪族間に政治的な支配関係が生じ始め、急速に古代国家形成が進む。「大王」と呼ばれる族長(首長)を中心とした、いくつかの豪族が連合した広域の権力組織が誕生する。(大和政権)
・4世紀後半 横浜市内にも前方後円墳(大和王権の古墳と同様の古墳)が作られる。
・5世紀 大型の古墳がつくられなくなる。/朝鮮半島からの渡来人が須恵器(すえき)とその技術を伝える。
・6世紀前半 武蔵国造の乱(むさしのくにのみやつこのらん)が起こり、武蔵国造が横渟(よこぬ)・橘花(たちばな)・多氷(おおひ)・倉樔(くるす)の4ヶ所を屯倉として大和王権に献上。横浜市域では倉樔が置かれる。(久良岐(くらき))
・6世紀後半~7世紀前半 横穴墓が市内に激増する。いたち川流域に多くの横穴墓群が造営される(七石山横穴墓群など)
・7世紀中頃から9世紀中頃まで 上郷深田遺跡で大規模な製鉄が行われる(7世紀中頃から9世紀中頃まで200年以上続く)
・701年 大宝律令の成立。全国に国・群・里(郷)の制が施かれ、土地はすべて国のものとされ、班田収授法により口分田を班給された農民が耕作する公地公民制となった。人々は租・庸・調・雑徭などの税を課された。栄区域は相模国鎌倉郡尺度郷(さかどごう)に属していたと思われる。

<奈良時代>
・710年 奈良に平城京が作られる。上郷猿田遺跡の集落内に大型の掘立柱(ほったてばしら)建物が作られる。
・723年 三世一身の法により、祖父の代の開拓地は孫まで使用できるようになった。(人口の増加と口分田の不足を背景とした土地の開墾奨励)
・743年 墾田永年私財法 耕地の私財化が進み、班田収授法が崩壊。律令制度がくずれて世の中が不安定な状態になると、私有化された土地を自分で守ることになった。各地の領主たちは名目上、土地を中央政府の有力者に贈ってその勢力下においてもらうようになった。(荘園制度)また、そのなかで武士が生まれ、より有力な武士を求めて棟梁と仰ぎ、その棟梁を中心として団結した武士団(鎌倉党など)が生まれた。
・755年 『万葉集』に相模国鎌倉郡出身の防人・丸子連多麻呂(まるこのむらじおおまろ)の歌

中世

<平安時代>
・1038年 平将門の乱を平定した藤原秀郷の子孫、通家がこの頃までに山内荘(荘園)を開発。
・1083年 後三年合戦(朝廷から恩賞がもらえなかった源義家が自分の財産をなげうって手柄をたてた武士に与えたことが、源頼朝の挙兵時に東国の平氏が味方になった理由の一つといわれている。)/鎌倉権五郎景正の活躍
・1159年 平治の乱 源頼朝、伊豆に流罪になる。
・1180年 源頼朝、挙兵/石橋山の戦い/富士川の戦い(源頼朝、平家の追討軍を破り、一応の安泰を得る。)→緒戦の反対勢力の所領を没収。(山内経俊、山内荘を没収される。山内荘は幕府の重臣、土肥実平・侍所別当和田義盛に預けられる。以後、幕府の直轄領として、幕府初期の防衛拠点としての役割を担った。)

<鎌倉時代>
・1189年 源頼朝、山内本郷に證菩提寺を創建(1197年完成)
・1192年 源頼朝、征夷大将軍就任
・1205年 畠山重忠の乱
・1213年 和田義盛の乱(山内荘、北条氏の私領(得宗領)になる。)
・1224年 鎌倉地区内で日照り、疫病流行 いたち川を含む霊所七瀬祓(疫病退散祈願)を幕府が施行する。
・1232年 北条泰時、貞永式目制定/親鸞、鎌倉に来訪(伝)
・1235年 小菅ヶ谷殿(北条泰時の娘)、新阿弥陀堂建立
・1240年 北条泰時、鎌倉新中の道「山内道路」建設
・1247年 宝治合戦(北条時頼、小袋谷・山内から山内本郷の軍勢を導入して三浦氏を滅亡させる。)
・1333年 鎌倉幕府滅亡
・1334年 足利直義(足利尊氏の弟)が新阿弥陀堂に領地などを保証する書状(安堵状)を与える。

<室町時代>
・1338年 足利尊氏が征夷大将軍になり、室町幕府を開く。
・1512年 北条早雲が玉縄城を攻略。長尾砦は出城として築かれた。
・1569年 甲斐国の武田信玄が小田原北条氏の領国に攻め込む。内通を危惧した北条氏に浄土真宗の寺院が弾圧を受ける。

近世

<安土桃山時代>
・1582年 本能寺の変
・1590年 豊臣秀吉が小田原北条氏を亡ぼし、天下統一。徳川家康が小田原北条氏の旧領を与えられ、江戸を本城とする。
・1600年 関ヶ原の戦い
・1601年 江戸時代の東海道が開設され、横浜市域では神奈川宿と保土ヶ谷宿が設置される。

<江戸時代>
・1603年 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府がはじまる。
・1604年 東海道の戸塚宿が設置される。
・1627年 上総国生実藩の森川氏が笠間を領有。
・1853年 アメリカのペリー艦隊、最初の来航
・1854年 ペリー艦隊、再度の来航。3/3日米和親条約の締結、開国
・1858年 日米修好通商条約の締結
・1859年 横浜開港
・1862年 生麦事件
・1867年 大政奉還

近代

<明治時代>
・1871年 廃藩置県
・1873年 地租改正条例交付、徴兵令布告
・1889年 市制・町村制施行(本郷村、豊田村、長尾村が誕生)

続きは栄区のあゆみをご覧ください。

このページへのお問合せ

栄区総務部地域振興課

電話:045-894-8391

電話:045-894-8391

ファクス:045-894-3099

メールアドレス:sa-chishin@city.yokohama.lg.jp

前のページに戻る

ページID:513-833-756

  • LINE
  • Twitter
  • Instagram
  • YouTube