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掃部山公園を知ろう

最終更新日 2019年1月7日

 掃部山公園とは

掃部山-この難しい名前は、「かもんやま」と読みます。この言葉は、横浜の開港に貢献した大老、井伊直弼公にちなみ付けられた名前です。井伊直弼は彦根藩の藩主で、井伊家の当主は代々、「掃部頭(かもんのかみ)」と呼ばれていました。
四季折々、落ち着きと安らぎを与えてくれる公園です。敷地内には子供たちがたくさん集まる遊具広場や関東に現存する最古の能舞台を持つ、横浜能楽堂もあります。


~掃部山公園を知ろう~

1 掃部山公園の今昔

(1)むかし

1)関東大震災まで
江戸時代までは、海に面した高台で不動山と呼ばれていました。
明治初期、日本初の鉄道開通(新橋・桜木町間)に携わった外国人鉄道技師の官舎が建てられ、開通後も鉄道用地として利用されたことから、「鉄道山」と呼ばれていました。
明治17年に旧彦根藩士らが買い取って井伊家の所有となり、明治42年の横浜開港50周年記念に井伊直弼の銅像建立と共に、石造りの水泉も寄贈されました。
大正3年に井伊家より横浜市に寄付され、掃部山公園として整備されました。公園からは海を見下ろすことができ、眺望が良い景勝地としての人気も高かったようです。
大正12年の関東大震災では、全園が崩壊しましたが、公園が防火帯となり、近隣住民の避難場所ともなりました。

横浜市開港資料館所蔵
「掃部山の賑い」「横浜貿易新報 明治42年7月11日」(横浜市開港資料館所蔵)


横浜中央図書館所蔵
銅像広場の様子「絵葉書で見る風景100年前の横浜・神奈川」(横浜市中央図書館所蔵)

横浜市中央図書館所蔵
掃部山での花見「絵葉書で見る風景100年前の横浜・神奈川」(横浜市中央図書館所蔵)


横浜市開港資料館所蔵
除幕式の様子「開港50周年記念帳」(横浜市開港資料館所蔵)


(2)太平洋戦争まで

関東大震災後、市内の各地で復旧が進む中、掃部山公園でも復旧整備工事が進められました。園内にある日本庭園は、この時に造られたものです。桜や松など数多くの植栽も施されました。また、地域住民が桜や梅を献木し、景勝遊覧地として賑わいました。
第二次世界大戦中は、政府の金属回収指示によって銅像が回収されました。桜などが燃料として伐採され、更に昭和20年5月28日の横浜大空襲により施設や樹木のほとんどが焼失し、残ったものも焼け焦げた状況となりました。

横浜市中央図書館所蔵

横浜市中央図書館所蔵


震災復興後の銅像広場の様子「横浜復興誌 第三編」(横浜市中央図書館所蔵)

(3)戦後

戦後、桜の苗(80本余り地元有志からの寄附)や岸根公園からの椎の木やヒマラヤ杉など(数十本)を植樹しましたが、数ヵ年は復興が思うように進みませんでした。
昭和28年の開港100年祭で、銅像の修復、銅像周辺の整備補修、植樹、広場園路等の整備を行い、記念行事が行われました。
また、地元町内会など地域住民の行事の場としても利用され、広く親しまれてきました。

横浜市開資料館所蔵
「神奈川新聞 横浜版」昭和37年9月21日(横浜市開港資料館所蔵)


横浜市中央図書館所蔵

横浜市中央図書館所蔵

横浜市中央図書館所蔵

横浜市中央図書館所蔵


第8回虫の音を聞く会(昭和47年)の様子「ものがたり西区の今昔」(横浜市中央図書館所蔵)

(4)いま

都市化が進んだ西区においては、まとまったみどりが残る、代表的な公園です。戦後に植えられた桜が育ち、花見の名所として知られています。また、毎年夏には虫の音を聞く会が催されています。
平成8年には、横浜能楽堂が建設されました。近年、周辺ではマンション建設が行われており、新たな公園利用者が見込まれます。
また、新(みなとみらい)と旧(掃部山公園、県立音楽堂などが集まる文教地区)の魅力が広がるエリアに位置する、西区の代表的な公園となっています。

近年の桜と銅像の画像
近年の桜と銅像


2 参考文献

(1)横浜開港資料館編(1999) 百年前の横浜・神奈川 絵葉書で見る風景、有隣堂

(2)横浜西区史編集委員会(1995) 区制50周年記念 横浜西区史、横浜西区史刊行委員会

(3)西区の今昔・編集委員会(1973)西区の今昔、西区観光協会

(4)田村泰治(2009)横浜掃部山公園 井伊直弼銅像建立をめぐる紛争と事件のてん末

(5)不明(1938)横濱市公園概要

(6)横浜市役所(1932)横濱復興誌 第三編、横浜市役所

(7)横浜市西区史編集委員会編(1995)西区史、横浜西区史編集委員会

(8)飯岡幸吉歌碑建設委員会(1982)掃部山 飯岡幸吉翁追慕歌碑建設祈念

ほか多数

3 掃部山公園がつなぐ彦根市との交流

横浜市の発展は、1859年、横浜港の開港により、世界に開かれた日本最初の貿易都市となった時からはじまりました。この開港に尽力した立役者が井伊直弼大老です。
時を経て 、1884年旧彦根半紙が故井伊直弼大老の記念碑建立のために西区にある鉄道山を購入し、その25年後の1909年(横浜開港50年)に苦心の末、銅像を建立しました。銅像建立後、公園敷地と銅像は横浜市に寄付され、現在では鉄道山は井伊直弼の官職から「掃部山(かもんやま)公園」となりました。

明治から続く彦根市と横浜市西区の交流

1958年、横浜開港100年祭の年、滋賀県彦根市長ら関係者1,000人の方が、「掃部山(かもんやま)公園」において井伊直弼を偲ぶ記念式典を開催しました。その後も彦根市と西区との交流はつづき、「西区虫の音を聞く会」に彦根市長・彦根鉄砲隊が来浜、鉄砲隊の演武も行われました。

掃部山公園での彦根鉄砲隊演武の画像
掃部山公園での彦根鉄砲隊演武


これからも、西区と彦根市との交流は続きます!

問合せ:西土木事務所 下水道・公園係 電話:045-242-1313 FAX:045-241-7582

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