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最終更新日 2019年3月7日

※五十音順

本文は全て、横浜市市民局総務部住居表示課(現市民局窓口サービス課)が平成8年12月に発行した『横浜の地名』を転載しました。発行時から10数年の歳月が経ち、現状にそぐわない箇所もございますが、著作権の関係で、本文は発行当時のものになっております。現状および、語句の解説等については、各項目の本文の後に、記載させていただきます。あらかじめご了承ください。

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡中里村大字青砥から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡青砥村といい、明治22年の市町村制施行の際、寺家村、鴨志田村、成合村、上谷本村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ケ尾村、北八朔村、西八朔村、小山村、下麻生村飛地と合併して中里村大字青砥となる。町名は旧村名を採った。
地元では「青砥」の由来について、鎌倉時代の武士、鎌倉幕府の評定頭、青砥左衛門藤綱が居住していたからだという。青砥藤綱のことは『弘長記』や『太平記』に記されているだけで、『吾妻鏡』には記されておらず、実在の人物であるかは不明。地名研究で「アオ・ト」は「川辺の地、湿地」を意味するという。東側を鶴見川が流れ、南側を恩田川が流れる。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡中里村大字北八朔から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡北八朔村といい、明治22年の市町村制施行の際、寺家村、鴨志田村、成合村、上谷本村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ケ尾村、西八朔村、小山村、青砥村、下麻生村飛地と合併して中里村大字北八朔となる。町名は旧村名を採った。『新編武蔵風土記稿』の「北八朔村」に「八朔は仮借の字にて『倭名類聚鈔』の郷名にのせたる針折の地なるべきことは、既に郡の惣説の下に辨せし如くなり」とあり、「都筑郡総説」に「針折(罰佐久)此郷名も正しきことを傳へず、按するに今の八朔村もしくは遺名なるべし、八朔は郡の中央にあり、かの村の條にも出せし如く、後にいつの頃にや八朔と書改めしならん、元亀永禄の頃も今の文字に書来たれば、古きことなるべし」の記録がある。東側を鶴見川が流れ、北西側を東名高速道路が通る。
※『新編武蔵風土記稿』の武蔵の漢字は、本来旧字体ですが表示の関係で常用漢字を用いました。

地名の由来

昭和56年の土地区画整理事業の施行にともない、十日市場町、新治町、長津田町、三保町の一部から新設した町。古くは十日市場村といい、明治22年の市町村制施行の際、鴨居村、中山村、榎下村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字十日市場となり、昭和14年の横浜市編入の際、十日市場となる。昭和43年に、この地区の土地区画整理事業名が「霧が丘区画土地整理事業」と決定され、その名称を町名に採った。五丁目に霧が丘公園(こどもログハウス・きりっ子ランド)がある。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡中里村大字小山から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡小山村といい、明治22年の市町村制施行の際、寺家村、鴨志田村、成合村、上谷本村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ケ尾村、北八朔村、西八朔村、青砥村、下麻生村飛地と合併して中里村大字小山となる。町名は旧村名を採った。南側を恩田川が流れ、田園風景が広がっている。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡新治村大字台から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡台村といい、明治22年の市町村制施行の際、中山村、十日市場村、榎下村、久保村、寺山村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字台となる。町名は旧村名を採った。村の西南部が台地になっていて、民家がすべてこの台地上にあったことから「台村」と呼ばれるようになったという。北側を横浜線が通り、町内に緑警察署がある。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡新治村大字寺山から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡寺山村といい、明治22年の市町村制施行の際、中山村、十日市場村、榎下村、久保村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字寺山となる。町名は旧村名を採った。町内に緑区役所、県立四季の森公園があり、公園内は芦原湿原や紅葉の森など、四季折々の自然にあふれ、夏にはホタルが飛び交う。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、新治村大字十日市場から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から分村したという。明治22年の市町村制施行の際、中山村、榎下村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字十日市場となる。町名は旧村名を採った。ここには毎月10日に市が立ったという。北西側を東名高速道路、南東側を横浜線が通り、十日市場駅がある。町内に横浜市緑図書館、市営十日市場団地がある。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡新治村大字中山から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区がら編入。古くは都筑郡中山村といい、明治22年の市町村制施行の際、十日市場村、榎下村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字中山となる。町名は旧村名を採った。村の中央部が丘陵になっているところから「中山」と呼ばれるようになったという。北側を恩田川が流れ、中央を横浜線が通り、中山駅がある。町内に横浜市緑スポーツセンターがある。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡新治村大字榎下から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡榎下村といい、明治22年の市町村制施行の際、中山村、十日市場村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字榎下となる。町名は編入前の村名を採った。旧村名を採れば「榎下町」とすべきところ、近村の元郷であったので、新たな村の幸先を祝って名付けたという。北東側を恩田川が流れ、横浜線が通る。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡中里村大字西八朔から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡西八朔村といい、明治22年の市町村制施行の際、寺家村、鴨志田村、成合村、上谷本村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ケ尾村、北八朔村、小山村、青砥村、下麻生村の飛地と合併して中里村大字西八朔となる。町名は旧村名を採った。北側を東名高速道路が通る。町内に横浜商科大学みどりキャンパスがある。

地名の由来

昭和14年の横浜市編入の際、都筑郡新治村大字久保から新設した町。昭和44年10月1日の行政区再編成にともない、(旧)港北区から編入。古くは都筑郡久保村といい、明治22年の市町村制施行の際、中山村、十日市場村、榎下村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字久保となる。町名は、旧村名を採れば「久保町」となるところ、横浜の旧市内に既に「久保町」があるため、久保村が3つの谷戸になっていて、その親睦互助の精神を表現し、明朗発展を祝して、「三谷戸」の「三」と「久保」の「保」を採り「三保町」と名付けた。町内に東洋英和女学院大学などの教育施設や公営の住宅が多数あり、舊城寺、三保市民の森がある。

地名の由来

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