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最終更新日 2019年3月18日
一般的に江戸から京に向かう場合、最初の宿泊地となったのが保土ケ谷宿や戸塚宿でした。日本橋から保土ケ谷宿まで八里九町(約33km)、戸塚宿まで十里半(約42km)なので1日の行程はおよそ八里から十里強(約32~40km)といえます。
宿場は宿(しゅく)、宿駅とも呼ばれ、街道の拠点となったところです。宿場には、旅人を泊めたり、休ませたりする役割がありましたが、最も重要な役割は、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務でした。
鶴見では米饅頭(よねまんじゅう)、「しからき茶屋」の梅干しと梅漬けのショウガ。神奈川宿では、黒薬、生魚、亀甲煎餅。境木では牡丹餅が知られていました。
並木は、天平宝治3(759)年、東大寺の僧普照の奏上によって、駅路の両側に果樹を植えたのが始まりといわれ、江戸幕府もまた街道に並木を植えることを命じています。並木は、暑い夏には旅人に緑陰を与え、冬は吹き付ける風や雪から旅人を守ります。また風雨や日差しから道そのものを守る役目もありました。
旧東海道は古代・中世を通じて東西交通の重要な幹線道路でした。この道が、江戸時代に至ってその交通体系が本格的に整備されたため、一般に旧東海道という場合、江戸時代の五街道の1つとしての道を指しています。慶長6(1601)年正月、幕府は東海道の各宿に対して、徳川家康の伝馬朱印状と、伊奈忠次、彦坂元正、大久保長安の連署による「御伝馬之定」を交付しました。 そこで一般には、この2 つの文書の交付をもって、東海道に宿駅伝馬制度がしかれ、近世の東海道が成立したと理解されています。
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