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学童の集団疎開生活
最終更新日 2022年5月11日
解説
疎開学童たちは、初めは疎開先の人々の親切もあって、親元を離れた寂しさを忘れ心和む日々もあった。やがて食糧事情が悪化し、お腹がすきすぎて、消化剤やお手玉の中の豆やクレヨンを食べた子どもたちも多かった。毎日、ノミやシラミと戦い、空腹と寒さに耐える生活が続いた。教師と学童らはドングリやイナゴとり、落ち穂を拾って少しでも食事の足しにしなければならなかった。
食糧とともに教師たちがもっとも気づかったのは、学童の健康状態であった。横浜市に提出された学童傷病報告によると、初めは胃腸カタル、急性結膜炎などが記録され、冬に入って感冒、凍傷と続き、疎開生活が長びくにつれ、栄養障害による浮腫、脚気が多くなり、一年後の昭和20(1945)年8月には疥癬(かいせん)が蔓延している。
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