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解説(プロローグ)

最終更新日 2022年5月11日


昭和6(1931)年9月18日、中国奉天郊外柳条湖での南満州鉄道線路の爆破事件にはじまる「満州事変」は、その後の昭和20(1945)年8月15日までの15年にも及ぶ長い戦争の時代の幕開けであった。

昭和8(1933)年、日本は国際連盟から脱退し、国際社会の中で孤立を深めた。また、国内では「非常時」の名のもとに、軍国主義の影響が市民生活に次第に暗い陰を落としていった。

昭和12(1937)年7月7日、北京郊外廬溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突し、日中全面戦争へと突入した。

戦争は長期化し、「国民精神総動員運動」がはじまり、「国家総動員法」が成立するなど、あらゆる人的・物的資源の統制と動員が強められた。

昭和16(1941)年12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、英米両国に宣戦布告し、戦火はアジアから太平洋全域へと拡大した。市民生活のすべてが戦争遂行のために組織され、男性に代わり、食糧増産や軍需生産のために、女性や子どもたちまでが動員された。

戦争末期、米軍は日本の抗戦力を封じるため、都市爆撃を開始した。空襲に備え、官公署の移転や建物強制疎開、学童疎開が実施され、防空壕や待避壕などが盛んにつくられた。

東京、名古屋、神戸、大阪と大規模な空襲が続いた後、昭和20(1945)年5月29日、横浜はB29爆撃機によって市街地の大半が焼き払われた。

その年の8月15日終戦。一面の焼け野原の中で、人々は長く苦しかった戦争からようやく解放されたのである。

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