このページの先頭です

鎌倉武将 畠山重忠

最終更新日 2020年2月7日

畠山重忠と旭区

畠山重忠は、鎌倉時代に活躍した武将で、幕府を開くときにも力をつくし、源頼朝にたいへん信頼されていました。
平氏全盛の時代に、現在の、埼玉県深谷市畠山(旧川本町)で生まれ、、嵐山町に屋敷を構えていました。重忠は、源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したといわれています。
しかし、幕府の権力争いにまきこまれ、鎌倉に向かう途中、鶴ケ峰付近で討ち死にしました。地元の人たちは、その人柄をしのび、八百年以上たった今も語り継いできましたので、旭区内には、重忠ゆかりの史跡がたくさん残っています。
また、六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催されています。

畠山重忠ゆかりの史跡の写真

旭区内にある主な畠山重忠ゆかりの史跡
名称 説明 写真① 写真②

畠山重忠
公碑

畠山重忠没後750年を記念し、昭和30年6月、鶴ケ峰と埼玉県深谷市畠山(旧川本町)の有志により建立されました。碑は、水道道が厚木街道を横断する交差点の、見晴らしのよい場所に建っています。

畠山重忠公碑の写真1 畠山重忠公碑の写真2
首塚 重忠の首が、祭られた所と言われています。区役所裏側のやや小さな高い場所にあり、『首塚』と書かれた標柱が目印です。現在は、西向きですが、以前は南を向いていたそうです。
その側には、首を洗い清めたと言われる『首洗い井戸』がありましたが、現在はなくなっています。河原に、直径1メートル程の穴があり、水が湧いていたと言います。
首塚の写真1 首塚の写真2
駕籠塚 畠山重忠の内室(身分が高い人の妻のこと)「菊の前」は、合戦の連絡を受け、急ぎ駆けつけました。
しかし、この地で重忠戦死を聞いて悲しみ、自害しました。その場所に駕籠ごと埋葬されたといわれています。
以前は、浄水場の中に周りを囲まれた大きな塚があったそうです。昭和30年に場外に移され、その後、昭和49年に現在の姿に整備されました。
駕籠塚の写真1 駕籠塚の写真2

六ツ塚
(薬王寺)

畠山重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられている6つの塚があります。霊堂である薬王寺には重忠の霊が祭られており、毎年、命日の6月22日には慰霊祭が催されます。 薬王寺の写真 六ツ塚の写真

埼玉県深谷市にある主な畠山重忠ゆかりの史跡
名称 説明 写真① 写真②
畠山重忠墓 畠山館跡に残る大型の五輪塔6基が「畠山重忠墓」として大正13年に埼玉県史跡として指定されている。
五輪塔は、凝灰岩製で鎌倉時代の特徴をもち、中でも高さ1.8メートルの中央の五輪塔が畠山重忠の墓といわれる。現在は、覆屋の中に保存されている。

重忠の墓

重忠の墓2

重忠公の銅像 一の谷の戦いでの「鵯越(ひよどりごえ)逆落(さかお)とし」の場面で愛馬「三日月」を背負って坂を下った重忠の雄姿

銅像1


銅像2


重忠公産湯の井戸 重忠産湯の井戸と伝えられる井戸

産湯の井戸


産湯の井戸2



協力:深谷市教育委員会

畠山重忠に関する資料

●畠山重忠の生涯について

●鶴ケ峰周辺の畠山重忠ゆかりの地について

※その他の「あさひ散歩」については、(散策マップ「あさひ散歩」発行!)からご覧ください。

※畠山重忠に関することは、次のページからもご覧いただけます。

PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Get Adobe Acrobat Reader DCAdobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ

このページへのお問合せ

旭区総務部地域振興課

電話:045-954-6095

電話:045-954-6095

ファクス:045-955-3341

メールアドレス:as-chishin@city.yokohama.jp

前のページに戻る

ページID:160-728-013

先頭に戻る