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鎌倉道
最終更新日 2024年11月28日
12世紀の末(1180年頃)に源頼朝のもと、鎌倉幕府が開かれました。鎌倉道は鎌倉と関東各地の幕府の御家人の領地を結び、有事の際には「いざ、鎌倉」と、鎌倉殿の元へ向かう重要な道路として発達しました。
鎌倉道のルートには諸説ありますが、都(京都)に近い側から「上道(かみのみち)」「中道(なかのみち)」「下道(しものみち)」と呼ばれる3本の幹線道路があり、ここから数多くの支道が枝分かれしています。
戸塚区内には「上道」「中道」が通っており、「下道」も接しています。また、それらの幹線に通じるいくつかの支道には鎌倉道の名前と、鎌倉道にゆかりの深い古碑や遺物が残っています。
「戸塚の古道 鎌倉道の歴史を歩く散策マップ」を配布しています
戸塚区内の、現座も残る鎌倉道や周辺の歴史あるスポット、鎌倉道ゆかりの石碑などをご紹介する散策マップを配布しています。東海道だけではない、戸塚区内の古道をご案内します!
【配布場所】
・戸塚区役所 情報コーナー(3階)、区政推進課窓口(9階93番窓口)
※原則 お一人1部でお願いします。
中道(なかのみち)
戸塚の古道 鎌倉道の歴史を歩く散策マップ【中道】(PDF:4,177KB)
「中道」は鎌倉と下野国(しもつけのくに、現在の栃木県)を結びます。鎌倉時代の記録にも記載があり、古くから重要な道であったことがうかがわれます。
鎌倉道散策マップ中道
上道(かみのみち)、吉田道(よしだみち)
戸塚の古道 鎌倉道の歴史を歩く散策マップ【上道】【吉田道】(PDF:82,132KB)
「上道」は鎌倉と上野国(こうづけのくに、現在の群馬県)を結びます。尾根や山中を通る道で、鎌倉幕府成立前から交通の要衝でした。
「吉田道」は大橋(現在の吉田大橋)を起点とし、東海道から分岐して鎌倉方面へと続いています。東海道五十三次の浮世絵にも鎌倉道の道標が描かれており、江戸時代には鎌倉へと続く主要な道として利用されていました。
鎌倉道散策マップ上道、吉田道
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