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時代から紐解く金沢
最終更新日 2020年11月6日
中世 鎌倉の東の拠点として
朝夷奈切通
鎌倉幕府の執権、北条氏の分家である金沢北条氏の拠点として、また幕府の海運の拠点として栄えました。
国指定史跡の称名寺・朝夷奈切通や金沢文庫等が作られたのも鎌倉時代です。
近世 風光明媚な景勝地として
金沢八景(歌川広重)のうち瀬戸秋月
(神奈川県立金沢文庫所蔵)
主要幹線東海道の近接地として、鎌倉とともに旧跡・名所と意識され、南関東有数の景勝地として、さまざまな寄稿文や詩歌に記されるようになります。
また、新田開発によって平潟湾が埋め立てられたのもこの時代です。
近代 多くの偉人の愛した土地として
明治後期の六浦荘村の情景
(横浜開港資料館所蔵)
明治時代、風光明媚な金沢には東京から多くの観光客が訪れましたが、この地に別荘を持ち、休日を楽しもうとするとする人も多くいました。
また、東京・横浜の食糧庫・燃料庫として、江戸時代から引き続き農業・漁業・塩業が盛んに行われました。
昭和に入ると、金沢は横須賀軍港や国際港横浜の後背地として急激に都市化が進むことになります。
現代 都市化と発展を遂げて
地先埋立の様子(横浜市史資料室所蔵)
戦後、横浜で都市化が進む中、横浜市6大事業(みなとみらいやベイブリッジ造成など)の1つとして昭和40~50年代に金沢沿岸部の埋立が行われました。
その後、海の公園・八景島造成、シーサイドライン開通等を経て、今の金沢があります。
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