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金沢歴史年表
最終更新日 2020年11月6日
年表の出典は、「翔べ金沢(平成元年発行)」→●、「図説かなざわの歴史(平成13年発行)→☆
西暦 | 年号 | 主な出来事 | 出典 |
---|---|---|---|
7世紀中頃 | 各地に評が置かれ、金沢区域を含む久良評も置かれる。 | ☆ | |
701 | 大宝元 | 大宝律令が成立。武蔵国久良郡・都筑郡が置かれ、郡の役所である群家が作られる。 | ☆ |
1180 | 治承四 | 源頼朝挙兵、鎌倉に入る | ☆ |
1185 | 元歴二・文治元 | 源頼朝が瀬戸明神をたてた(伝) 同じころ、北条政子が琵琶島弁財天をたてた(伝) | ● |
1189 | 文治五 | このころ、源頼朝が、文覚上人と志をあわせ六浦の山中に浄願寺をたてた(伝) | ● |
1191 | 建久ニ | 源頼朝が、富岡の鎮守(今の八幡社)をたてた(伝) | ● |
建久ニ | 源範頼が六浦の瀬ヶ崎に薬師寺をたてた(伝) | ● | |
1241 | 仁治二 | 北条泰時の監督のもとで六浦道を開削 | ☆ |
1247 | 宝治元 | 宝治合戦。三浦泰村ほか一族滅亡。北条実時、六浦庄内の残党を追補 | ☆ |
1267 | 文永四 | 審海、北条実時の招請により称名寺の中興開山となる | ☆ |
1285 | 弘安八 | 霜月騒動。安達氏に連座して、北条顕時、上総国に籠居 | ☆ |
1305 | 嘉元三 | このころ、瀬戸橋架橋に成功 | ☆ |
1323 | 元亨三 | 称名寺伽藍完成 | ☆ |
1326 | 嘉暦元 | 金沢貞顕執権に就任 | ☆ |
1333 | 元弘三 | 鎌倉幕府滅亡、金沢北条氏も全滅 | ☆ |
1349 | 貞和五 | 足利基氏、鎌倉公方として下向。鎌倉府体制のはじめ | ☆ |
1353 | 文和ニ | 六浦妙法発願の瀬戸橋再興なる | ☆ |
1493 | 明応二 | 建長寺の玉隠英?、金沢の領主伊丹氏の居館に招かれ、夏島の漢文を草す | ☆ |
1541 | 天文十 | 上杉氏の被官古尾谷重長、龍華寺に梵鐘を寄進 | ☆ |
1560 | 永禄三 | 北条氏康、金沢文庫本『文選』を足利学校に寄進 | ☆ |
1590 | 天正十八 | 豊臣秀吉、小田原北条氏を滅ぼす。豊臣英次、金沢文庫本を接収し京都に移出 | ☆ |
徳川家康、関東の領主となり、江戸城を居城とする | ☆ | ||
1591 | 天正十九 | 瀬戸神社の領地100石と称名寺の領地100石が与えられる | ☆ |
1603 | 慶長八 | 徳川家康、江戸幕府を開く | ☆ |
1624 | 寛永元 | 豊島刑部少輔信満が富岡村に慶珊寺をたてた | ● |
1668 | 寛文八 | 永島祐伯(泥亀)が平潟湾の一部を埋め立てる | ☆ |
1675 | 延宝三 | 泥亀新田の成立 | ☆ |
1696 | 元禄九 | 寺前村・社家分村の一部と寺分村・平分村・宿村・赤井村が米倉丹後守の領地となる | ☆ |
1703 | 元禄十六 | 関東の大地震により泥亀新田陥没 | ☆ |
金沢八景の勝景を、心越禅師は漢詩で、京極兵部高門は和歌でほめた(伝) | ● | ||
1707 | 宝永四 | 幕府の元老酒井候が牡丹を泥亀新田の永島氏におくった(伝) | ● |
1722 | 享保七 | 米倉氏が金沢に陣屋を移す(金沢藩の成立) | ☆ |
1786 | 天明六 | 入江新田の成立 | ☆ |
1849 | 嘉永二 | 泥亀新田の復興 | ☆ |
1853 | 嘉永六 | ペリー浦賀に来航 | ☆ |
1854 | 嘉永七 | 横浜村で日米和親条約調印 | ☆ |
1858 | 安政五 | 神奈川宿の沖合に停泊中のポーハタン号上で、日米修好通商条約調印 | ☆ |
1859 | 安政六 | 横浜開港 | ☆ |
1867 | 慶応三 | 大政奉還 | ☆ |
1868 | 明治元 | 神奈川県設置 | ☆ |
1869 | 明治二 | 版籍奉還、米倉藩領が六浦県となる | ☆ |
1871 | 明治四 | 六浦県が神奈川県に併合 | ☆ |
1872 | 明治五 | 横浜・新橋間に鉄道開通 | ☆ |
1887 | 明治二十 | 東海道線横浜・国府津間開通 | ☆ |
伊藤博文が金沢に来て夏島に別邸をつくった | ● | ||
1889 | 明治二十二 | 大日本帝国憲法公布・横須賀線開通 | ● |
市制・町村制施行。金沢区域に、金沢村・六浦荘村ができる。 | ● | ||
1894 | 明治二十七 | 日清戦争はじまる | ☆ |
1897 | 明治三十 | 伊藤博文が平沼専蔵の出資を得て金沢文庫を復興し石倉一棟と書見所一棟をたて、上棟式をあげた | ● |
1904 | 明治三十七 | 日露戦争はじまる | ☆ |
1913 | 大正二 | 5月ころ、柴のトンネルができた | ● |
1920 | 大正九 | 第一回国勢調査が行われ、金沢村5,232人、六浦荘村4,219人であった | ● |
日本画家川合玉堂の別荘がこの年から昭和7年ごろまで富岡にあった | ● | ||
日本画家鏑木清方の別荘がこの年から昭和14年まで君ケ崎にあった | ● | ||
1923 | 大正十二 | 関東大震災がおきた | ☆ |
1926 | 大正十五 | 金沢村が町制を施行、金沢町となる | ☆ |
関東大震災で倒れた称名寺の鐘楼が再建された | ● | ||
1928 | 昭和三 | 神奈川県は、大橋新太郎の寄付金50,000円と合わせて100,000円で金沢文庫と昭和塾をたてることに決めた | ● |
1930 | 昭和五 | 湘南電鉄開通(金沢区内に湘南富岡・金沢文庫・金沢八景の三駅が設けられた) | ● |
神奈川県立金沢文庫設立 | ● | ||
1931 | 昭和六 | 湘南電気鉄道株式会社が乙艘海岸に海水浴場を開いた | ● |
1935 | 昭和十 | 称名寺で北条実時660年忌大法会がひかられ、その記念事業として大橋新太郎が金沢三山に百番観世音配置と八角堂を建立した | ● |
1936 | 昭和十一 | 金沢町と六浦荘村は横浜市に併合され、磯子区に属す | ☆ |
1939 | 昭和十四 | 柴・長浜間の新トンネルが完成した(昭和十二年三月着工) | ● |
1948 | 昭和二十三 | 磯子区から独立して金沢区が発足 | ☆ |
乙艘海岸に市営海水浴場ができた | ● | ||
1949 | 昭和二十四 | 京浜急行電鉄の六浦駅が設けられた | ● |
乙艘の運河に野島橋ができて渡船が廃止された | ● | ||
1952 | 昭和二十七 | 金沢海の祭典納涼花火大会が行われた | ● |
1966 | 昭和四十一 | 平潟湾埋立が完成、柳町が設定された | ● |
1969 | 昭和四十四 | 金沢区住民登録人口10万人を突破した | ● |
1971 | 昭和四十六 | 金沢地先埋立事業が着工した | ● |
1978 | 昭和五十三 | 海の公園着工 | ● |
1983 | 昭和五十八 | 金沢産業振興センターが竣工した | ● |
1984 | 昭和五十九 | 金沢シーサイドラインの建設に着工した | ● |
1987 | 昭和六十二 | 称名寺の庭園が復元された | ● |
1988 | 昭和六十三 | 海の公園海水浴場がオープンした。上行遺跡の復元 | ● |
1989 | 平成元 | 金沢動物園がオープンした | ☆ |
1989 | 平成元 | 新交通システム「金沢シーサイドライン」が開業した | ☆ |
1991 | 平成三 | 金沢区人口20万人突破 | ☆ |
1993 | 平成五 | 横浜八景島「シーパラダイス」がオープンした | ☆ |
1993 | 平成五 | 横浜金沢ハイテクセンターがオープンした | ☆ |
1994 | 平成六 | 区の花牡丹・山桜が制定した | ☆ |
1996 | 平成八 | 横浜ベイサイドマリーナ第1期がオープンした | ☆ |
2009 | 平成二十一 | 旧伊藤博文金沢別邸が開園した |
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