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5月29日
最終更新日 2022年5月11日
解説
昭和20(1945)年5月29日火曜日、天候は朝から快晴で無風状態だった。午前9時過ぎ、横浜上空に姿をあらわしたB29爆撃機は、防戦する日本軍の高射砲や機銃の弾幕の上を飛行し、高高度からの空爆を行った。降りそそぐ大量の焼夷弾によって、当時97万の人口をかかえる大都市横浜の中心部は、山手地区と山下公園周辺を除いて、ほとんどが燃え尽きた。
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昭和20(1945)年5月29日火曜日、天候は朝から快晴で無風状態だった。午前9時過ぎ、横浜上空に姿をあらわしたB29爆撃機は、防戦する日本軍の高射砲や機銃の弾幕の上を飛行し、高高度からの空爆を行った。降りそそぐ大量の焼夷弾によって、当時97万の人口をかかえる大都市横浜の中心部は、山手地区と山下公園周辺を除いて、ほとんどが燃え尽きた。
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