朝夷奈切通って?
最終更新日 2020年11月6日
鎌倉に幕府(政治をするところ)ができると、ものを運ぶために港が必要になりましたが、鎌倉の海は遠浅で、波の高い時に船をとめる事がむずかしかったので、東の「六浦みなと」がそのかわりをしていました。
六浦みなとは、鎌倉に住む武士や農民の生活をささえる港としてにぎわいました。鎌倉と六浦みなとを結ぶ道を作るためにできたのが「朝夷奈切通」です。
※地名としては古来から「朝比奈」が使われていましたが、国指定史跡の正式名称は「朝夷奈切通」となっています。
最終更新日 2020年11月6日
鎌倉に幕府(政治をするところ)ができると、ものを運ぶために港が必要になりましたが、鎌倉の海は遠浅で、波の高い時に船をとめる事がむずかしかったので、東の「六浦みなと」がそのかわりをしていました。
六浦みなとは、鎌倉に住む武士や農民の生活をささえる港としてにぎわいました。鎌倉と六浦みなとを結ぶ道を作るためにできたのが「朝夷奈切通」です。
※地名としては古来から「朝比奈」が使われていましたが、国指定史跡の正式名称は「朝夷奈切通」となっています。
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